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第9話 大罪人

 先に動いたのは、ウリエルだった。槍を引き、シャムシェルに突進する。シャムシェルは杖を地面に刺し、杖を軸に空に回転する。ウリエルの槍は空を突いた。

 ガブリエルとサドキエルは唖然とする。シャムシェルは魔術師という点に目がいっていたが、腐っても四大天使の中でも武闘派のウリエルの元副官。体術にも覚えがあるようだ。

 しかも、ただかわしただけではない。ウリエルの眉間に皺が寄る。槍の穂先が見えない壁に刺さって抜けない。シャムシェルの魔術により、壁が形成されていたのだ。杖を地面に刺したのは単に回避の軸にするためだけではなく、この魔術を発動させるため。

 シャムシェルはウリエルの後ろを取るが、それと同時にウリエルの裏拳が飛んでくる。槍が抜けないのなら、肉弾戦にすればいいという冷静で素早い判断。それにシャムシェルの動きを正確に読み取る動作予知能力が成せる業だった。

 裏拳を避けるために、シャムシェルは転ぶように後ろへ倒れる。着地寸前の咄嗟の動作であったため、シャムシェルの足が変な方向に曲がるのがわかった。けれど、それを緩和するためにシャムシェルはわざと転んだのだ。転ぶというのは戦闘中において大きな隙を作る行為であるが、シャムシェルはそれさえ利用してみせた。

「ウリエル、下だ!」

 ガブリエルが前髪に隠れた右目部分を押さえて叫ぶ。そのときにはウリエルも直感で地面を蹴り、跳躍していた。

 次の瞬間には地面から多くの凶悪な棘が突き出し、ウリエルを貫こうとしていた。すんでで跳んだのが功を奏し、回避には成功するが、シャムシェルの姿が見当たらない。

 ウリエルは目を見開き、宙で身を翻しながら地面を注視する。そこで土の棘がぼわっと土埃に変わる。風が巻き起こり、砂嵐がウリエルを襲う。ウリエルは静かに目を閉じ……炎を水場の上空へ飛ばした。きん、と耳鳴りのような音がして、炎を弾く存在が現れた。シャムシェルだ。

 水球が炎を弾いていた。ウリエルが炎を収める。

「あいつ……!」

 ガブリエルが氷壁を殴る。罅一つ入らないが、その音の激しさでガブリエルの憤りがよくわかった。比較的冷静なサドキエルも、顔色に翳りが見える。

「好き勝手しやがって。水場を何だと思っているんだ!」

「いえ、それより……まずいですね」

 シャムシェルは水場の水を魔術で操っている。堕天使に水場を好き勝手されているのが気に食わない、という様子のガブリエルの隣で、サドキエルが表情を険しくした。

 その間に、シャムシェルは水を操り、いくつかの武器を作る。ウリエルは武器の形成を待たずにシャムシェルと距離を詰めた。

「ウリエル様、ここがどこだかお忘れですか?」

「っ」

 細波のような優しい声。けれどシャムシェルの対処は驚くほど的確で速かった。

 シャムシェルが水で作った針。それが無数にウリエルを襲ったのだ。人界と天界を隔てる聖なる水場の水は、当然ながら聖なる水。ウリエルの神の炎でようやく打ち消せる。ウリエルは打ち消さなければならなかった。

 水と炎が互いを打ち消し合い、爆発が起きる。視界も悪くなり、相手の位置を探るには気配を探知するしかない。

 ウリエルはすぐ側にシャムシェルの気配を感知、槍をそちらへ一閃するが、シャムシェルは地に足をつけていない。堕天の烙印を押されたウリエルと堕天の法を犯したにも拘らず、神罰の降されていないシャムシェル。その差の一つが飛べるかどうか。

 天使に翼が描かれるようになったのは、その方が絵として見映えがするからだ。実際の天使に翼はない。だが、翼がないからといって、飛べないわけではないのだ。

 神罰は天使としての容姿のみでなく、天使としての能力も奪う。だが、シャムシェルはまだ奪われていない。対するウリエルは、飛べないわけではないが、堕天の烙印の影響で、天界にいるうちはその能力が著しく低下する。

 この差が戦術に大きな差を生む。

 地面と体をほぼ水平にして飛んでいたシャムシェルにウリエルの下半身を狙った突きは当たらず、シャムシェルは爆炎の晴れた中、ウリエルの頬にそっと触れた。

「なっ……!?」

 氷壁から見ていたガブリエルとサドキエルが二人の姿に絶句する。

 見開かれた琥珀色の瞳。赤がぼやけた目は眼前の愛らしい人物を凝視していた。菫色の目を閉じ、愛おしむような、慈しむような表情で、金髪の天使が黒髪の麗人と唇を重ねている。宗教画のような、息を飲むほど凄絶に美しい光景。

 口づけを受けたウリエルの唇の端から、つうっと一筋、水が零れていく。そう、シャムシェルはウリエルに水を口移ししたのだ。

 終わらない接吻と流し込まれた反射とで、ウリエルの喉仏がこくりと動き、水を飲み込んでしまう。

 次の瞬間、神秘の絵画は血色に染まった。ウリエルが吐血したのだ。げほげほ、と咳き込みながら血を吐くウリエル。なんでもないことのように、それを介抱するシャムシェル。敵対者同士とは思えない異様な光景だった。

 呆けていたところから、ウリエルの吐血ではっとしたガブリエルがあいつ、とシャムシェルを睨む。

「聖水をウリエルに飲ませたのか」

 ここは聖なる水場。神の力を宿す水を湛え、外界を隔てる場所。悪しきものが容易に入り込めぬように、聖なる水が湖のように深くまで溜まっている。

 堕天の烙印を押されたウリエルは、その身の潔白を証明したものの、烙印が消せぬ限り、恩恵を受けられないばかりか、本来なら恩恵となるべきものが害悪となる。否、堕天の烙印のせいで、ウリエルそのものが悪しきものとして扱われてしまうのだ。

 シャムシェルの魔力を操る能力によって、堕天の烙印から苦痛を与えられるのは、序の口に過ぎない。ウリエルにより苦痛を与える方法は天界のものを体内に取り込ませること。神の力が強ければ強いほど良い。

 口から喉を伝って、内部から刺激を与える。シャムシェルは最も効率的な方法でウリエルに血を吐かせた。

「ウリエル様」

 ほう、と蕩けたような息を吐いて、シャムシェルはウリエルの顎をくい、と持ち上げる。ウリエルは吐血の影響で口元が真っ赤に汚れており、目からは生理的な涙が溢れていた。どこまでも清く、透明な涙に、シャムシェルは唇を寄せる。瞼に口づけ、唇をそのまま、耳元に寄せる。

「あなたの痛みも苦しみも、ボクが引き受けられればいいのに」

 そう紡いで再度、ウリエルの唇に自らの唇を重ね、呼吸を送り込む。ウリエルの息の荒さが収まるまで、丁寧に、じっくりと。

 シャムシェルの唇は紅を引いたよりも紅く、紅く染まる。それを軽くなぞりながら、シャムシェルはうっそりと笑んだ。

 ウリエルは虚ろな目でシャムシェルを見上げる。

「そうだな……」

 ウリエルとシャムシェルの視線がかち合った瞬間、シャムシェルの顔が燃え上がった。

「お前には第二極刑がいいのかもしれない」

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