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第8話 傷よりも痛く

 堕天の烙印は人間によって天使たちに押されたもの。天使信仰が深くなったことにより、人間としての権威が失墜することを恐れた人間が天使に適当な罪を並べ立て、堕天の烙印として押した焼き印。

 人間は嘗て楽園にて神の信頼を裏切った。それゆえ、楽園から追放され、魔力をなくした。魔力のないものに魔力を扱うことなどできないはずだった。

 けれど、堕天の烙印には魔力が宿っていた。それが押された天使たちを蝕み、食い殺す。ウリエルやラグエルは潔白で高位の天使であったがために、奇跡的に生き残っているに過ぎない。

 背中に押された堕天の烙印。ウリエルは神の加護があり、限りなく烙印の効果を相殺できるとはいえ、そこに魔力を補填されてしまったら、侵蝕は進む。

 シャムシェルは魔力の使い手だ。魔術というのは魔力から何かを生み出す能力であるが、魔力を与えたり奪ったりすることができる。

 ウリエルほどの加護を持たないラグエルが生きているのはシャムシェルの魔力操作のおかげだった。ラグエルはシャムシェルの魔力操作によって、魔力を吸い上げられ、堕天の烙印の効果を弱めてもらった。そういう実績がシャムシェルにはある。だとしたら、逆ができても然りなのだ。

「ぐ、ぅ……」

 ウリエルの烙印にシャムシェルの魔力が補填され、ウリエルに苦痛を与える。神に逆らう者に神罰を、と込められた烙印の力は無罪だろうが冤罪だろうが有効であり、四大天使のウリエルさえも無力化できるほどなのだ。

「ねえ、ウリエル様」

 ウリエルを自らの手で苦しめているはずのシャムシェルの声は、何故か悲しそうだった。与えられる痛みに身悶えるウリエルの体をぎゅう、と慈しむように抱きしめる。

 力が抜けていくウリエルの体を支えながら崩れていく様はまるで兄弟であるかのような親しみを秘めていた。親愛や慕情を越えた何かがそこにある。

 うすらと目を開け、赤の消えた目でシャムシェルを睨むウリエル。けれどその視線に覇気はなく、突き刺さるというほどの効果をもたらさない。

「ウリエル様。あなたをこの烙印から解放するために、ボクはこの力を持ったのだと思います。あなたに苦痛を与える全てのものを奪うために。そして、あなたに苦痛を与えるのは、ボクだけであればいい。そう思っています」

「お前! 言ってることが身勝手で滅茶苦茶だぞ!」

 氷壁の向こうから、ガブリエルがだん、と壁を叩いてシャムシェルに抗議する。シャムシェルはそちらに目もやらず、とん、と杖を地面に突く。

 すると、氷壁の中に雷が流れる。ガブリエルとサドキエルが雷でできた蜘蛛の巣のようなものに捕らえられ、脳を焼き貫くような電撃に見舞われる。

 シャムシェルは穏やかに笑っていた。

「堕天の烙印の解明もできない無能な天使は黙っていてください。仮にも四大天使のくせに」

 シャムシェルは失望しているようだった。とはいえ、堕天の烙印が謎多き焼き印であることに変わりはない。

「ですが……シャム、シェル……」

 雷に身を焼かれながら、サドキエルが声を上げる。

「あなたが堕天の法を犯さなければ……あなたの力で、ウリエル様を、助け、られたはずです」

 そう、シャムシェルは堕天の法を犯しただからこそ堕天使とされ、第五天の牢獄に閉じ込められることとなった。そのため、もう被害者が二名しかいない堕天の烙印についても調べを行わないことが決まったのだ。

 それでもガブリエルやラファエルが調べているのは、ウリエルを救うためだ。神に命じられたわけではない、個人の善意。けれど魔力というものに造詣の深くない天使では、調べが行き詰まってしまった。

 シャムシェルは無論、その事実を承知している。

「やり方はいくらでもあったでしょう。ガブリエル様たちがなさっているのは、ウリエル様を助けたいというポーズです。蛇の道は蛇に聞け。あなたたちは仲間を助けるために道を踏み外すことができなかった臆病者です」

「なっ」

 ガブリエルが瞠目する。と、同時、シャムシェルの首筋にす、と金属の冷たい感触が当たる。ウリエルが槍の穂先をシャムシェルに突きつけていた。

「お前に神罰が降らないのは情状酌量の余地があるからと神が判断なされたのはわかった」

 蛇の道は蛇に聞け、とシャムシェルは言った。ここにおける蛇の道とは何か。魔力というのは通常、悪魔が持つものである。

 つまり、シャムシェルはウリエルの烙印を消すために悪魔と関わろうとしたのだ。けれど、悪魔の多くは元天使。天界より追放されたものを天界に招くわけにはいかないし、戦争でもないのに天使が魔界に踏みいるわけにもいかない。

 そこでシャムシェルは天界と魔界の間に存在する人界を介して、悪魔に接触し、烙印について調べようとした、というわけだ。悪魔にとっても、烙印について知っておくことにはメリットがある。烙印は悪魔をも殺しうる可能性があるからだ。人間に罪を唆し、その悪を蜜として啜る悪魔が人間に殺されるようでは形無しである。

 シャムシェルの行いは清廉潔白とまではいかないまでも、神から見たら許容範囲の行いだったのだろう。この推測が当たっていれば、シャムシェルに神罰が降されなかったことにも説明がつく。

 しかし。

 ウリエルは至近にある菫色をねめつけた。

「だが、お前は脱獄をしたばかりか、堕天使アスタロトの脱獄の手助けをし、天界に害を成した。この罪は言い逃れのしようがない。譬、神罰が降らずとも、断罪者が許さない」

「そうですか」

 断罪者本人の宣告に、シャムシェルはにこりと笑う。余裕の笑み、というより、何故だか嬉しそうだ。

「では、ボクをどうなさるのですか? 炎の断罪者様」

 シャムシェルが問うと、槍の穂先がシャムシェルの首を貫いた——ように見えたが、シャムシェルの姿は既にそこにない。

 シャムシェルは数歩向こうにいた。ウリエルはそれも予想の範疇だったようで、取り乱すことなく、槍を構え直す。ぼう、と炎を纏う槍は真っ直ぐシャムシェルを捉えていた。シャムシェルも油断なく杖を握りしめる。

「まだお前の罪は判然としない。極刑三種、いずれが相応しいか……見極めさせてもらう」

 ウリエルの鋭く冷たい眼差しに、シャムシェルは春を喜ぶ少女のような笑みを浮かべる。

「あなた直々に処刑していただけるなんて、本望です」

 とん、とシャムシェルが杖を床に突くと、ガブリエルとサドキエルを襲っていた雷が消える。ウリエルの相手にだけ、集中をするつもりらしい。

 彼の恐ろしき煉獄の番人を相手に、処刑されるのが本望だ、などとは、正気の沙汰ではない。ガブリエルは噎せながら、対峙する二人を見た。

 シャムシェルの脱獄も天界荒らしも、神が咎める様子はない。容姿の変化のないシャムシェル。罪は出揃っているのに、神罰が降されないことから察するに、神はシャムシェルを罰する気がないらしい。

 そうなると天使に罰を降すことが許されるのは神より「断罪者」の名を賜りしもの。断罪の天使サリエルより許可を得た、目の前の天使しかいない。

「わかった。望み通り、罰してやろう」

 四大天使とその元副官。その戦いの火蓋が切って落とされた。

 もう誰にも止められない。

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