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第7話 想い続ける

 シャムシェルにとって、ウリエルとは、慕うべき上官であった。

 ウリエルが人間の勝手で堕天の烙印を押されたと聞いたとき、ウリエルを救うために堕天の烙印の研究を進めたのはガブリエルでもラファエルでもなく、シャムシェルだった。結果、シャムシェルという魔力を扱う天使によって、堕天の烙印に魔力が使われていることが判明する。

 堕天の烙印を受けて生きていた天使はウリエルとラグエルのみ。ラグエルは虫の息だった。

 そんな二人の烙印の魔力が体を蝕むのを和らげたのがシャムシェルである。その功績により、シャムシェルの天使としての位階が上がるかもしれない、と囁かれていたときだった。

 シャムシェルが堕天の法を犯した、と明らかになったのは。

 シャムシェルが自己申告したのみで、証拠は何もない。だが、堕天の法を犯した以上、天使として扱うことはできない。

 そのため、シャムシェルは投獄された。しかし、シャムシェルが神罰を受けることはなかった。

 神罰を受けない堕天使というのは存在する。実際、堕天使の王とされるルシファーは天魔戦争で隻眼となっただけで、ほとんど天使時代そのままの容姿をしているという。人間に知識を与えたアザゼルやメフィストフェレスといった堕天使も、ヒトの姿をしているとされる。

 強い力を持つ者は神の与える業すら退けるのかもしれない。

 だが、シャムシェルの力は魔力を使った魔術。それは本来天界の聖なる力とは相容れないもの。故にシャムシェルは天界において希少な存在である。しかし、それは天界を出てしまえば、ありふれた力だ。堕天使や悪魔は魔術を使う。シャムシェルは天界を出たら、何の変哲もない人物となるだけだった。

 魔術以外突出した能力のないシャムシェルが何故神罰を受けないのかは長きに渡り議論されている謎である。諸説あるが、ヤーウェがシャムシェルの罪を情状酌量の余地ありとしている説が囁かれた。

 そうだとしても、相当なことである。ヤーウェは無実を主張する者にすら、弁明の機会も与えず神罰を降してきた存在だ。それが情状酌量だなんて、一体どんな理由があればするのか。

 有力とされたのは、シャムシェルが自ら罪に手を染めたのではなく、結果的に罪になってしまったというもの。有り体に言うと、人間に襲われ、性交渉をされた、という説だ。シャムシェルは愛らしい容姿をしているため、なきにしもあらずだ、と天使も堕天使もシャムシェルを憐れんだ。

 本当のところがどうなのかを知るのは、シャムシェルとヤーウェしかいないのだが、多くの者はその論に落ち着くこととなる。


 ウリエルに落ちた雷撃。普通なら、聖なる水は純なる水であるため、雷撃を通さない。しかし、堕天の烙印を負うウリエルに対して、水は聖なる水として機能しないため、雷を通す。

 ガブリエルは唖然としていたが、びりびりとした雷撃に炎が交じり始めた。じりじりと炎が雷を飲み込んでいく。気づけば火柱が立っていた。

 魔術を無効にされたことはシャムシェルの魔術師としてのプライドに響かないのだろうか。むしろ嬉々としている様子すらある。炎が雷を飲み込み、辺りに散った。

 中からは傷一つないウリエルの姿が現れる。高く括られた髪がゆらりと揺れた。赤い目がじっとシャムシェルを見据える。

「ルシフェルのところに行くなどと、よく堂々と言えたものだな」

 堕天使の王ルシファーのところに行く。それは神に反した者に与すると宣言するようなものだ。脱獄のことと言い、シャムシェルは神罰の降されない自分にわざわざ罪を重ねていっているように思える。

 シャムシェルはそれでも平気そうに紫色を綻ばせる。花の咲いたような朗らかな笑みを浮かべるシャムシェルはとても堕天使には見えなかった。

「それはあなた様もでしょう? ウリエル様。嘗ての天使の王ルシファーは神に謀反をはたらいたとして神の子である証の『エル』の名前を奪われました。それを未だに昔の名前で呼ぶなんて、あなたも反意を抱いていると受け取られかねませんよ」

 氷の結界の中で、ガブリエルがぎり、と歯噛みする。ああ言えばこう言う、と苛立っている様子のガブリエルをサドキエルが宥める。

「それより、シャムシェルに害意が一切ないのが気になります」

「害意がない? これでか?」

 ガブリエルは氷の壁に触れる。すると指先が焼け爛れた。サドキエルは目線だけで窘め、治癒を施す。

「ウリエル様に対して、という意味です。それに、彼の使った魔法は本気を出せば、天界の誰にも解けない。それなのに被害は少ないでしょう」

「太陽と月の運行妨害もか?」

「本気を出せば、太陽と月の運行が再開できていませんよ。シャムシェル自身の力もそうですが」

 シャムシェルが手に持つ杖をくるりと回す。

 一見するとなんでもない木の杖のようだが、シャムシェルがそれをウリエルに向けると、木の枝がウリエルに向かって生えてくる。しかも無数に。

 シャムシェルの魔術の施行をスムーズにしているのはあの杖だった。

「あれは生命の樹の一部によって作られた杖です」

「はあ!?」

 ガブリエルが目を剥くのも無理はない。生命の樹とは天界の根幹である大きな樹木のことだ。生命の生まれる理が描かれている破壊不可能の神の樹。

「私の管理する慈愛のセフィラーから分け与えた木です。よく覚えていますよ」

「まじか……」

 ガブリエルが落胆の色の濃い声を出す。切り出したとはいえ、破壊不可の樹木の一部。シャムシェルから杖を奪い、杖を破壊するという選択肢は消えた。堕天の法以外にも天使には犯してはいけない領域がある。

 シャムシェルの杖から出た枝にウリエルは炎を走らせる。だが、枝は燃え尽きることなく、そのまま炎を纏って、ウリエルに巻きついた。

「ボクは知っているんですよ、ウリエル様。あなたがあの人を想い続けているって」

 ウリエルはローブを脱ぎ捨て、難を逃れる。ローブは跡形もなく燃えた。

 ウリエルの炎でウリエルが燃えることはないが、火傷はするし、痛みもある。魔術で生み出された木は炎で燃えるはずだが、シャムシェルほどの使い手であれば、少しは神の炎に拮抗して存在できるらしい。杖が木であり、しかも生命の樹の一部であるからこそ、尚、頑丈に。

 ウリエルはシャムシェルが次の魔術を放つ前に一瞬で距離を詰めた。

 がきん、と槍の穂先を受けたのはシャムシェルの杖。通常なら、穂先の刃で杖など貫くはずなのに、競り合っているのは、やはり生命の樹からできた杖だからだろう。

 シャムシェルが杖で槍をいなす。それからウリエルの脇腹に杖の先端を叩きつけた。ウリエルは咄嗟に槍を立てて、受け止める。

「ボクは堕天使と天使の争いに興味はありません」

「なら何故ルシファーに与する?」

「ルシファーさんの仲間になる気はありませんよ」

 杖をくるりと翻すと、ウリエルが反応もできないうちに、シャムシェルはウリエルに抱きつく。その手がウリエルの背中に触れた。

「っ!?」

 雷でも炎でも、悲鳴一つ上げなかったウリエルが、痛みに息を詰まらせる。

「あなたの烙印を消したい。ボクの望みはそれです」

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