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第6話 魔術の天使

「お久しぶりです、ウリエル様。お待ちしておりましたよ」

「待て、シャムシェ……ウリエル!?」

 シャムシェルの後ろからは幼い子どもの容姿をした天使が現れた。水色の目がウリエルの姿を捉え、大きく見開かれる。

 それから行儀悪く舌打ちをし、前髪に隠れた右側の頭を抱えた。

「ミカエルの野郎、やっぱ煉獄に行ってたか……」

「ガブリエル、お前が頼んだわけではないのか」

 この幼い男の子の容姿をしているのは預言の天使として有名なガブリエルである。ガブリエルは堕天使の牢獄がある第五天を管理する天使だ。幼い容姿は仮初めの姿とも言われている。

「あら、さすが四大天使様。幻惑の魔法を解いてらしたんですね」

「月と太陽の運行の妨害……いよいよ言い逃れはできないレベルの罪だぞ、シャムシェル」

 第二天ラキアでは月と太陽の運行が行われている。天使が何人かついていたはずだ。シャムシェルは幻惑の魔法と言った。おそらく月と太陽の運行を管理する天使たちを魔法で惑わし、運行を乱したのだ。

 月と太陽の運行は人界に多大な影響を及ぼす天界の重要な役割だ。昼と夜があることによって、人界には時間という秩序がもたらされ、人間は生きて、死んでいく。そんな重要な役割を惑わして妨害するとは。

 ウリエルは違和感を覚える。眼前のシャムシェルはウリエルが覚えている姿と寸分違わないシャムシェルだ。つまり、太陽と月の運行の妨害という重罪を犯したにも拘らず、シャムシェルは未だ神罰を受けていないということになる。

 ヤーウェは天界の最上階第七天アラボトにおわし、下層の全てを把握する。冷酷無慈悲な神罰を降す神は正しく神として断罪者たちを導く。罪を犯した者に情など抱かぬ絶対神。それがヤーウェであり、そのヤーウェの有り様こそがウリエルの生きる指針だ。

 何故、シャムシェルに神罰が降されないのか。ウリエルは自らの手でシャムシェルを処刑しようと考えている。が、太陽と月の運行の妨害という重罪をシャムシェルが犯したことはヤーウェは知っていて当然で、それを罰しないのは……何故?

 気味の悪さを覚えた。ガブリエルが捕縛に動いて、ミカエルが煉獄のウリエルに助力を求めた。これらの動きが速いといえば速いのかもしれない。が、シャムシェルに神罰を与えるなど、煉獄でラグエルが駄々を捏ねているうちにいくらでもできるのだ。神ヤーウェなら。

 冤罪を主張し続けるアスタロトにすら神罰を与えたヤーウェが、何故、シャムシェルには何もしない?

「考え事ですか?」

 はっとした。シャムシェルの顔が至近にある。白く小さな手が、ウリエルの頬に触れた。

「それとも、堕天の烙印が痛みますか?」

「っ……」

 近すぎて槍が振るえない。こんな至近距離になるまで気づかないなんて、随分と耄碌してしまったものだ。

 耄碌に甘んじるわけにはいかない。ウリエルはシャムシェルを睨み、炎を出した。

 シャムシェルがにこりと笑う。

「無駄ですよ、ウリエル様。ここをどこだとお思いですか?」

 ウリエルの代わりに解答するように、ばしゃん、と水場の水が大波を立ててウリエルに降りかかる。シャムシェルを焼こうとした炎は簡単に消えてしまった。

 ウリエルが操るのは神の炎。ただの水では消えない。が、この水場に湛えられるのはただの水ではなく、神の炎と同等の力を持つ聖なる水。シャムシェルはそれを操って、ウリエルの炎を消してしまった。

「くっ、無事か、ウリエル?」

「……ガブリエル」

 結界を張り、水を受けるのを防いだガブリエルはウリエルとシャムシェルの方へ駆ける。

 名を呼ばれたと思ったら、安堵する間もなく、ぞくり、とガブリエルの背筋を悪寒が駆けた。

 真っ赤な目が、炎よりも赤い目が、ガブリエルを見据えていた。先程まで琥珀色であっただろう目が。

「手を出すな」

「はあ!?」

 ガブリエルはウリエルの主張を蹴ろうとした。場とウリエルの相性が悪すぎる。堕天の烙印を押されているウリエルはこの水場の水に濡らされてしまう。神の炎も簡単に消されてしまう。対するシャムシェルは一ミリも濡れていない。豪胆にもウリエルの至近にそのままいて、にこにこ微笑んでいる。

 ガブリエルとサドキエルの支援がなければ、まともに戦うことすらできない。それなのに、ウリエルはシャムシェルを殺す気でいた。その殺意はガブリエルに二の句を継がせないほどの迫力。

「邪魔をしないでくださいな」

 溢れた水を杖で操り、シャムシェルはガブリエルとサドキエルを囲う氷の結界を作った。ガブリエルは手で砕こうとするが、水を氷にした魔力と天使の力の相性が悪く、じゅう、とガブリエルの手が焼ける。

「ガブリエル様。不用意に動かない方がいいです」

「だがな、サドキエル」

「大丈夫です。シャムシェルにはきちんと『神罰』が降されます」

 サドキエルの言葉に言い返そうとして、ガブリエルは言葉に詰まる。

 神罰が降されていないだろう、とか、神罰は関係ないだろう、とか、ウリエルを助けないと、とか、シャムシェルを捕らえないと、とか。たくさんの言葉が浮かんでくるのに、そのどれも「違う」気がしたのだ。

 勘でしかないそれだが、残念ながら、ガブリエルの勘は当たる。彼が預言の天使だから。それは神の啓示なのだ。神の啓示は絶対なのだ。

「シャムシェルの目的はウリエル様です。そのためにやたらと派手に動き回った。おかしいと思いませんか? 太陽と月の運行者を惑わすほどの魔術の使い手ですよ? こんなに事を荒立てずとも、脱獄は叶ったはず」

 シャムシェルは第五天の牢獄からここに来るまで、随分と暴れた。わざわざ楽園の出入り口で草木を繁らす魔術を使い、番人であるミカエルの気を引いた。炎の魔術で繁らせた草木を全て焼くという意味不明な行いをし、第四天を荒らした。シャムシェルが随分と暴れながら降りてくるから、ガブリエルまで駆り出されたのだ。

「ミカエルのへっぴり腰が。なんでわざわざ思惑に乗ってウリエルを連れてきたんだ」

「ウリエル様。もう楽になりましょう?」

 シャムシェルが魔術で、ウリエルの足に絡みつくように草木を生やす。ウリエルのローブを食い破り、草木がウリエルを縛めていく。

 シャムシェルはあたかも救いであるかのように、慈愛の笑みを湛えて告げる。

「人間が勝手につけた堕天の烙印で苦しむくらいなら、あなた自身があなたを苛むくらいなら、もう、これ以上苦しくないように最初から地獄にいましょう。きっとルシファーさんが待っていますよ」

 ぱしん、とシャムシェルが差し伸べた手を、ウリエルは払った。次の瞬間、ウリエルを蝕んでいた草木が業火の下、塵にされる。

 シャムシェルは炎に巻き込まれないよう、後方に飛びすさった。炎に包まれたウリエルが、槍を一払いすると、炎が消え、ウリエルがとつとつと歩を進める。

「私は堕天使ではない。堕天の烙印も関係ない。神に逆らった者のところになど、誰が行くものか」

「ボクが連れていきますよ」

「戯れ言を」

 シャムシェルが杖を地に突く。

 それを合図に、ウリエルに雷が落ちた。

「ウリエル!」

「あなたを必ず、ルシファーさんのところに連れていきます」

 シャムシェルが切なげに目を細める。

「あなたの幸せのために」

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