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第3話 嘗ての栄光

 天界の要所にはそこを守る番人と管理人が存在する。番人は戦闘要員、管理人はその場所を管理、維持するのがその役目である。

 煉獄は天界にとっての要所の一つであり、そこに天使が番人、管理人として配置されるのは当然のことであった。

 ただ、ウリエルとラグエルに関しては堕天の烙印の影響が大きい。

 先に話した通り、天界にいると天界の聖性に充てられて、烙印は痛みを与えながら天使の命を蝕んでいく。ウリエルはラグエルと違い、見た目に変化もない上、四大天使の中でも武を司るその実力は以前と変わらず化け物じみている。が、これでもウリエル自身は自分の弱りを感じているらしい。

 ラグエルは「審判の時」を管理する天使であった。それは天使のあらゆる役割の中でも重要なもので、死した魂を導く役割がある。

 この世界において、死後は、死の国の洞穴で死んだ魂たちが「審判の時」を待つ。「審判の時」を経て、魂たちは再度命として生まれる。

 「審判の時」までに行われるのが、生前の行いから量る罪の計量だ。どれだけの罪を犯したか、どのような罪を犯したかを量ることで、再び生まれ落ちることを許すか許さないか定める。その罪の計量が終わり、魂たちの罪の整頓が終わったことを知らせるのが「審判の時」であり、ラグエルが鳴らす喇叭であった。

 それは人界で壁画や絵画になっているほど世界に深く浸透した理の一つである。だが、人間は堕天の烙印をラグエルに押し、その存在を否定した。

 故にラグエルは「審判の時」の役割を果たせなくなった。

 たかが人間ごときの焼き印、と思われた堕天の烙印だが、人間が持たないはずの魔力が焼き印に込められているらしい。その影響でウリエルやラグエルは天使としての力を吸い取られていっている。それでも、ウリエルとラグエルが死なないのは、ウリエルもラグエルも並の天使より遥かに強い天使であるからだ。

 ラグエルは肩を竦める。

「天界にいなければ、こんな烙印、蚊に刺されるほどの痛みもないですよ」

「そうか」

 けれど、ラグエルの容姿は明らかに変容した。肌にしわが寄ったのもそうだが、滑らかだったプラチナブロンドの髪は黒い縮れ毛になったし、蒼穹を思わす双眸も夜色に濁ってしまった。ラグエルは毛ほども気にする様子はないが。

「それに、審判の時の采配を担っていたのも私です。過去の栄光にすがってくたびれていくより、代わりの仕事を見つけて生かしていく方が生産的でしょう。サリエル殿の手伝いができて幸いですよ」

 そう、ラグエルもまたサリエルの代理で煉獄の管理人をしている。

 サリエルとは断罪の天使。天使の中において、天使を罰する天使である。捕らえた堕天使の罪を量り、相応の刑に処すのが役割の天使だ。煉獄の管理も、当初はサリエルに一任されていた。

 だが、サリエルの断罪担当範囲は煉獄のみにあらず、天界で拘束されている堕天使たちも裁かなければならない。サリエルの首が回らなくなるのは時間の問題だった。

 そこで煉獄に派遣されたのが、天界内では衰弱するばかりとなったラグエルとウリエルである。ラグエルは神の意思を無視して容姿が変容する有り様だ。今はこうして飄々とウリエルと語らっているが、天界で烙印について調べられたときは、立つこともままならないほどに弱った。烙印からの痛みにより、体に力が入らなくなるのだ。

 堕天の烙印の特異性については四大天使のラファエルとガブリエルが調べているところだが、今のところよくわかっていないらしい。

「使えないですねえ、四大天使が二人がかりで人間の焼き印の謎が解けないだなんて」

「口を慎め、ラグエル」

 ウリエルがラグエルの発言にじろりと琥珀色を持ち上げる。ラグエルはおお、怖い怖い、と大仰な仕草で怯えるふりをした。

 烙印の影響かどうかはわからないが、ラグエルの性格も変化した。以前は厳格な性格で、目上を重んじ、目下に慈愛を持つ天使の手本のような人物だったのに、今のラグエルは見ての通り。時に不敬な発言すらする。厳格のげの字もないような剽軽さ。とても昔と同一人物とは思えない。

 堕天の烙印がそうさせているのか、堕天の烙印により力を失ったことを嘆いているのか、いずれにせよ、堕天の烙印が関わっていることに違いはない。

 それでも、ラグエルの罪の裁量は正確無比。サリエルと遜色ないどころか、サリエルより精密と評価されることすらある。容姿や天使としての力が損なわれても、ラグエルがこれまで役割をこなすことによって積み重ねてきた経験が喪失することはない。性格がどうなろうと、ラグエルが潔癖な天使であることに変わりはなかった。

 堕天の烙印を押された二人は、自らの潔白を証明することで、天使であることを許されている。苦労はしたが、潔白なものは潔白だ。二人のこれまでの清廉な行いが、二人の命を繋いでいる。「しかし、相変わらず、ウリエル殿は仕事の処理が早くて助かります。おかげで茶を飲む時間を設けられるのですから、以前より労働環境はずっといい」

「ラグエルは茶を飲む暇もなかったのか」

「審判の時というのは大変なのですよ」

 人間は天使や悪魔と違い、すぐ死ぬ。「審判の時」は何度も訪れる。人間一人にとっては一度きりでも、その人間という種族は蛆のように存在するのだ。世界中、ウリエルがカップをソーサーに戻すこの瞬間にも、誰かが死んでいる。さすがに一人ずつに「審判の時」を訪れさせるわけではないが、何千人、何万人とまとめようと、人間は生まれた分だけ死ぬため、審判は常に行い続けなければならない。

 栄誉ある役割ではあるが、天使一人が行うにはかなり荷の重い役割でもある。ラグエルはあからさまに嬉しそうにするわけではないが、この茶を嗜む時間を楽しんでいる様子が窺えるため、休息は欲しかったのだろう。

「ウリエル殿は楽園エデンの番人でしたか? 私、楽園エデンには行ったことがないのですよねえ。どんなところなのですか?」

 楽園エデン。それはヤーウェが人間のために作った安息の地であった。人間は楽園エデンにある禁断の果実を食べたために楽園を追放されることとなり、不届きな輩が侵入しないよう、番人が置かれるようになったのだ。その番人の任をウリエルは嘗て授かっていた。

 それはヤーウェが自ら管理する場所を守るという誉れ高い役目……のはずだが、ウリエルの表情は優れない。ラグエルはそれを見て取り、さて、どう話題を変えてやろうか、と考えた。藪蛇というものだ。知らなくていいことはこの世界にごまんとある。ラグエルはへらへらとしているようでいて、そこを弁えることは忘れていなかった。

 人間を追放してから、立ち入り禁止となった幻の楽園。そこには神秘と同等に危険も潜んでいることを察したのだ。第四階層の楽園を目にすることができたのは番人だったウリエルと、現在番人をしているミカエル、人間に禁断の果実を食べるよう唆したとされる堕天使ルシファーのみ。

 ルシファーは嘗て、四大天使よりも神に近い存在とされた天使だった。それほどの力を持つからこそ、神に届き得ると傲った結果が世界史上最も苛烈を極めたとされる天魔戦争である。その旗頭となった三人だ。ルシファー、ミカエル、ウリエルは。

 ラグエルはそこにわざわざ触れようとは思わない。厄介事の臭いがするのだ。

 この背に負うのは、堕天の烙印だけでいい。

 ──が。

「おい、ラグエル。ウリエルはいるか?」

「ちっ」

「舌打ちをするな。仮にも上級天使だぞ、俺は」

 煉獄の門扉を叩く明朗な青年の声。管理人の許可がなければ、煉獄には入れない。

 ラグエルは管理塔の螺旋階段を登り、わざわざその人物を塔の窓から見下ろした。

「これはこれは、反逆者ルシファーなき後天使の最高位におわしますミカエル殿が、煉獄にどういったご用件で? ちなみに番人殿は仕事終わりの一服を私めと相伴していたところでございますよ?」

「用件わかってるだろ、お前……」

 階下、門扉の外にいたのは金髪蒼眼の美麗な天使。彼こそが四大天使の長であるミカエルであった。

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