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第24話 夜桜


 それから一週間が経過した。

 この日晴斗は当主の仕事で午前中は家を空けると話していた。見送った美弥は、入れ違いに若隅から話を聞いた。


「間に合いませんでしたか」

「どうかしたんですか?」


 美弥が問いかけると、若隅が電報を持っていた。


「実は、竜宮家の司様が、水害の復興の一件で、お目通りしたいと。御礼に来たいと申し使っていたのですが――……美弥様」

「はい」

「本日は雨月様も早霧様もご在宅ではないのです。そこで、晴斗様の伴侶となられるお方ですし、代理としてお会いになっていただけませんか?」

「僕が、ですか? 僕で……いいんですか?」

「ええ、是非美弥様ともお話がしたいと綴られておりましたゆえ」


 こうして美弥は、晴斗の代理で、司と対面することになった。和服を着替えた美弥は、客間で司を待つ。すると連絡があった午前十一時の丁度十分ほど前に、客間の和室の戸が開いた。


「久しいな――美弥、様?」

「は、はい」

「しゃきっとしろと何度言わせるつもりだ……いや、そんなことが言いたいわけではなくて……だな、その……」


 そこへ雪野がお茶を二つ運んできた。そして雪野が退出してから、対面する席に座っている司が、深々と頭を下げた。


「まずは、礼を」

「……」

「軍部は別として、神屋家の支援物資、本当に助かりました。誠にありがとうございます」


 いつもとは異なり、真剣かつ真摯な態度で、生真面目に司が頭を下げた。


「い、いえ……ぼ、僕はなにも出来なくて」

「いいや、晴斗様から伺った。連名で届いたあれらの物資は、美弥が口添えしてくれたと聞いた。本当に、ありがとう」


 顔を上げてから、唇の端を持ち上げて司が漸く笑った。いつも通り、よりは、少し困ったような笑みが覗いている。


「今、竜宮の領地は、だいぶ復興した。まだ落ちている橋はいくつかあるが、それが修繕されるのも時間の問題だ。人的被害が最低限で済んだのも、晴斗様が迅速に軍で対応してくれたおかげだ。重ねてお礼を。どうぞ、伝えてくれ」

「うん、分かった。絶対に伝えるよ」

「――それにしても、献血なんて馬鹿げた迷信かと思っていて、俺は命を捧げる覚悟だったから、本当に驚いた。助かった。今俺がこうしてここにいられるのもまた、軍のおかげでもあるし、何より提案して下さっていた晴斗様のおかげだ。そして、美弥、お前の」

「……ううん。本当に僕は、何も出来なくて」


 美弥が苦笑すると、大きく司が首を振った。それから少し照れくさそうに、懐から文を取り出す。いつか、美弥がしたためたそれだ。驚いて美弥は目を丸くする。


「文、本当に心強かった。ありがとうな」

「……っ、ううん」


 美弥は逆に、自分の胸がほんのりと温かくなった気がした。司が真面目に話していることは既によく伝わっている。そうか、と。己にも、出来ることが少しはあったのかと、美弥は両頬を持ち上げた。


「前を向くことが出来たのは、この文の、お前のおかげだ」

「違うよ、司くん」

『いいや、美弥の手紙を見て、明らかに竜宮が元気を取り戻したのは間違いないぞ』


 その時、閉じられていた襖の向こうから、どこか笑みを含んだ声がかかった。

 驚いて二人が顔を向けると、音もなく戸が開き、晴斗が顔を出した。


「晴斗、帰ってきたの?」

「ああ、諸用が早く済んでな。しかし――竜宮」


 晴斗はそう言うと、腕を組んで、顎を僅かに持ち上げた。口元にこそ笑みを湛えていたが、その眼光は鋭い。


「美弥が優しいのは明らかだが、あまり距離を詰めないでもらえるか?」

「聞いてらしたんですか……っ、て! 一切誓ってそんなつもりじゃないですから!」


 慌てた様子で司が抗議をした。

 晴斗はそれを聞くと破顔してから、美弥の隣に座して、美弥の肩を抱き寄せる。


「俺の代理、か。ありがとう、美弥。今後もしてもらうことは、きっと増える。しかし若隅もいきなりとは……執事失格とは言わないが、逆に……いいや。代理をしてもらうのならば、竜宮と知己であり、俺もそうしてほしかったから、美弥が適任とはいえ……」


 ぶつぶつと晴斗が言うと、司が目を据わらせた。


「本当に見ているこっちが甘くなるほどの溺愛っぷりだな」

「なんだ? 悪いか?」

「いいえ、めっそうもない」


 その後、司が帰るというので、晴斗と美弥は玄関まで見送りに出た。そこに停まっていた竜宮家の馬車に、司が乗り込む。そして車輪が進み始めた時、美弥は晴斗の袖を引いた。晴斗が顔を向ける。


「よかったね」

「ああ、そうだな」


 顔を見合わせて、二人は笑顔を浮かべた。




 ――薄紅色の花びらが舞う季節が到来したのは、それから半月ほどが経ち、四月が訪れた頃だった。今年は開花が少し遅いようで、まだ春の日差しの中にも、時に肌寒い日がある神家の敷地で、今宵は花見の宴が催されることになっていた。


 提灯や灯籠、蝋燭が夜桜を照らし出している。

 広い敷地の外れにある大きな池の湖畔。朱い橋がかかっている。

 そこに満開の桜の木が並んでいる。そこに上質な敷物を敷き、この日も十二支の末裔達が集まっていた。例年、この宴には猫神の末裔は招かれないため、美弥の出席は記録に残る限り初の事例らしい。重箱に入った料理は、和木のお手製で、神聖なその場に花を添えている。その一角の一段高い場所にある屏風の前に座った美弥は、隣に座す晴斗を見る。晴斗は片手で手酌をしている。


「晴斗はお酒が好き?」

「好きというわけではないが、俺が飲まないと無礼講とはならないからな」


 苦笑した晴斗を見ながら、美弥は微笑する。場への気遣いを感じる。

晴斗は温かい。

 そう思いながら周囲を見渡すと、晴斗同様一人だけ、手酌をしている青年がいた。十二支亭でも見かけた記憶の無い、紅色の瞳をした青年で、長い髪を垂らし、肩口で緩く結んでいる。


「ねぇ、晴斗。あの人は誰?」


 美弥の視線に気づいた晴斗は、ああ、と頷いた。


「あれは、巳の次の当主――蛇神の末裔だ。これまで軍の仕事が忙しくてこういった席には顔を出さなかったんだが、今日は父上が外せぬ用で出てきたようだな」


 晴斗はそう言うと、そばの徳利を手に立ち上がった。


「美弥、少し話をしに行こう」


 いつもならば、晴斗は美弥が他の者と話すのを嫌がるが、今回はそうではなかった。手酌が気になっているのかと思い、頷いて美弥もまた立ち上がる。


「巳月」

「……ああ、これはこれは、晴斗様」


 すると巳月偲という名の青年は、鬱陶しそうな顔で、晴斗と美弥を交互に見た。美弥がそれにビクリとすると、晴斗が喉で笑い、ポンと美弥の肩を叩く。それから座ると、偲の持つ猪口を見た。


「まぁ、飲むといい」

「恐れ多いな」


 しかしぐいっと飲み干して、偲は晴斗からの酌を受ける。


「美弥。巳月は、な? 俺の数少ない友人なんだ」


 それを聞いて、美弥は目を丸くする。これまで、晴斗に、晴斗の友人を紹介されたことがなかったからだというのもある。


「そう思われているなら光栄だな的な」


 すると否定せず、ニッと唇の片端を持ち上げて偲が笑った。美弥は肩から力を抜く。晴斗がそう言うのならば、悪い人ではないはずだ。猫神の末裔の己であっても……もしかしたら、親しくなれるかもしれないと考える。年の頃は、晴斗と同じくらいに見えた。


「美弥も座れ。三人で少し話そう」


 晴斗がそっと指先で、美弥の手の甲に触れた。大きく何度も頷き、美弥もその場に腰を下ろす。そうして、美弥は夜空を仰ぐ。今宵は月も綺麗で、桜の花の合間から、銀の星が散る空と白い月がよく見えた。


「風流だな」


 偲がいう。偲の低音の声音は、とても聞き心地がいい。

 晴斗が微笑している。こちらも視線は、夜桜へと向いている。

 舞い落ちてくる薄紅色の花びらは、本当に綺麗だった。





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