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第17話 野良猫


「あ」


 それは店から出て、馬車に入ろうとした時の事だった。


「ニャァ」


 小さな高い鳴き声が聞こえてきて、美弥は顔を向ける。そこには、薄汚れた白い仔猫がいた。そばには、他の仔猫に母乳を与えている母猫がいる。仔猫は二匹。白い仔猫と黒い仔猫が一匹ずつで、母猫はアメリカンショートヘアーに似たサバトラだった。母猫は前足を怪我している様子で、血が滲んでいる。


「……晴斗」

「野良猫のようだな。帝都に獣医はまだまだ少ないが、この怪我の具合なら家に保護して、獣医を呼ぶまで耐えられるだろう。連れて帰るか」


 連れ帰りたいという美弥の気持ちと同じことを、晴斗は考えていたらしい。自分達が同じ想いなのが、美弥は嬉しくて胸が温かくなった。


 三匹を馬車に連れる。

 母猫は最初威嚇をしたが、少しすると美弥の膝の上で丸くなった。仔猫二匹は、晴斗の膝の上にいる。母猫はそちらを見て、ペロペロと仔猫達の顔を舐めている。


 神屋家に馬車が到着すると、執事の若隅が出迎えた。


「若隅、俺と美弥の寝室に猫を三匹運ぶ。怪我の手当をする包帯と、お湯で濡らした布を用意してくれ。他にも、猫を飼う手配を」

「畏まりました」


 若隅はいつもの通りの無表情で頷くと、先に中へと入っていった。

 美弥と晴斗は猫を抱きかかえて、それぞれ階段を急ぎ登る。

 それから二人の寝室の戸を開けると、まずは布団に母猫を下ろした。白い布団が汚れ、血と土で染まったが、二人とも気にしない。汚れたら、取り替えればよいだけだ。


「お持ち致しました」


 若隅はすぐに用意を整えた。

 その後部屋を出てすぐの階段下の場所に、猫のトイレを用意したり、餌や水を用意したり、猫が蹲る座布団を用意したりと、晴斗と美弥の他、若隅と雪野をはじめとした使用人の手を借りて、猫の住処が出来ていく。


 それらが一段落した頃には、夕暮れになっていた。既に布団も新しいものに変えられている。手当された母猫は、布団の枕から少し離れた位置の座布団の上にいて、今、仔猫達は母乳を飲んでいる。愛らしい鳴き声が、室内に響いている。


「美弥、名前は何にする?」

「えっと……」

「俺につけさせると、シロとクロとトラになるぞ?」


 くすりと晴斗が笑ったのを見て、美弥は存外いいように感じた。


「可愛いと思うよ? そうしよう」

「――そうか。わかりやすいか」


 晴斗と目を合わせて、美弥は穏やかな気持ちで笑った。

 その夜は、二人で隣り合わせた布団にそれぞれ寝転がりつつ、そばに増えた三匹の温もりを感じていた。 




 翌日も晴斗はお休みだったので、美弥はゆっくりと朝食を食べた。その日の朝は洋食で、ふわふわのスクランブルエッグが金色に輝いているように見えて、レタスの緑と相まってとても食欲をそそった。付け合わせたのコーンクリームスープに入ったクルトンが美味だ。


 二人が食事をしていた和室の戸が、音を立てて開いたのは、朝の十時手前のことだった。顔を出したのは、晴斗の弟の雨月だった。黒い髪を揺らして雨月は、美弥と晴斗を見ると目を眇めた。


「なに暢気にに飯食ってんだよ」

「なんだ雨月。そちらこそ急に――」

「電報だ。ほらよ」


 雨月はそう言うと、晴斗に一枚の紙を渡した。怪訝そうな眼差しで受け取った晴斗が、驚いたように息を呑む。


「悪い、美弥。すぐに軍に顔を出さなければならなくなった」

「そう。お仕事、頑張ってね?」


 晴斗の強ばった表情に、美弥は心配になりながらもそう返す。そして力づけたいと思い、笑顔を浮かべた。それを見ると、晴斗の瞳が僅かに和らぐ。だがすぐに銀器を置き、晴斗は立ち上がると和室を出て行った。残された美弥は、廊下の方へと顔を見ている雨月を一瞥する。


「兄上も大概仕事中毒だっていうのに、美弥が来てから気が抜けてるなァ、ありゃ」


 そう言って笑うと、雨月が美弥へと視線を向けた。

 そして控えていた料理人の和木を見た。


「俺にも茶を淹れるように手配してくれ」

「……分かりました」


 和木はどこか無愛想な仏頂面だが、いつもこういった表情であり、元々の顔立ちがどこか男らしい様子だ。和木が部屋を出て行く。


「美弥は晴斗兄上がどんな仕事をしてるかは聞いてんのか?」

「えっと……帝国軍のあやかし討伐部隊から依頼があった時は、軍に行って……他は、当主としての仕事をしているって聞いているよ」

「まぁ確かに依頼が無ければ行く必要は無ぇけど、一応軍属で階級だってある。尤も、あやかし討伐部隊なんて公には存在しない事になってるけどな」


 雨月はそう言うと、美弥の隣にどかりと座った。


「食事中だったんだろ? 構わず食べろよ」

「……でも」

「お前は細すぎ。兄上じゃなくとも――下心をなしにしても心配になる。この前も貧血で倒れたんだって? 噂は聞いてるぞ? ほら、食べろって。残したら和木も悲しむぞ」


 その言葉に、美弥はフォークを手に取る。そこへ戻ってきた和木が、緑茶を雨月の前に置いた。そばには和菓子も置いたのが、美弥には見えた。どうやら三色の金平糖のようだ。


「兄上がどんな仕事をしてるか、気にならねぇのか?」

「え?」


 美弥が気を取り直してスクランブルエッグの残りを口にした時、雨月が言った。美弥が顔を向けると、雨月が小さく顎を持ち上げ、ニヤリと笑った。紫色の瞳には、楽しそうな色が宿っている。


「見に行くか?」

「見に?」

「俺もこれでも一応、緊急時には呼ばれることもあるから、部隊に所属してる。あやかし討伐部隊の本部は独立していて、二階に食堂があるんだけどな、誰かの連れなら民間人でも食べていいという決まりがある。昼、俺とそこで食べれば、兄上がどんなところにいるかは分かるぞ? どうだ? 魅力的なお誘いだろ?」


 その言葉に美弥は目を瞠った。

 正直好奇心ともまた異なるのだが、晴斗のことを知りたいという思いがある。もっともっと、色々なことが知りたい。


「……晴斗に、迷惑をかけることにはならない?」

「ただ飯を食うだけで迷惑だってんなら、帝都の多くの人間は兄上にとって迷惑な人種ってことになるだろ。違うか?」

「……」


 美弥は俯く。晴斗は優しいから、多くの人を迷惑だとは思わないだろうが、美弥個人の意識としては、迷惑をかけたくないという思いが大きい。だが、知りたい。


「美弥、どうする?」

「僕、行ってみたい」

「そうこなくっちゃなァ。じゃ、準備しとけ。外は寒いし上着を忘れるなよ。食事時を少し外して、十三時に本部に着くように出る。いいな? 十二時半には出られる用意をしとけよ」

「うん」


 こうして美弥は、雨月と食事をする約束をした。





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