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第12話 具合



「ねぇ、弥彦。それよりお父様のお体は、本当に大丈夫なの?」

「……それは」


 声を潜めて尋ねた美弥の前で、弥彦が俯いた。


「殴られて折られた肋骨自体は治ったみたいなんだけど、本当にちょっとだけど内臓を傷つけてたみたいで、まだそちらの衝撃から、咳き込むことが多いんだ。一度風邪を引いたりすると、すごく長引く」

「そう……」

「怪我自体は、なんでも神屋家の方に癒やしてもらったとお父様は話してたから、晴斗様なのかもな?」

「そうなんだ? 僕はそのお話は聞いてないよ」


 ただ確かに、己が手首を痛めた時も、晴斗は治してくれたなと、美弥は思い出した。


「ただ寝込む頻度はだいぶ減った」

「よかった……」

「うん。だからお兄様も心配しないで嫁げよ」

「う、うん」


 弥彦が明るく笑ったので、美弥もまた曖昧に笑った。


 そこへ晴斗と雅美が連れ立って戻ってきた。


「美弥、客間の用意は出来ているから、晴斗様をご案内してくれ」

「はい」


 こうして美弥は立ち上がった。


「あっちだよ」


 そして晴斗を促して、リビングを出る。エントランスホールから通じる階段を二階へと上がり、客間が並ぶ左側の通路を進んでいく。そして角の部屋で立ち止まり、美弥は扉を開けた。綺麗にシーツが敷かれていて、カーテンも開いている。明かりを点けてから、美弥は晴斗に振り返った。


「なにか困ったり、必要なものがあったら声をかけて」

「ああ。ありがとう」

「僕も今日はもう休もうと思うんだ」

「そうだな。俺もそうしよう」

「おやすみ、晴斗」

「おやすみ」


 その場で別れて、美弥は自室へと向かった。そして寝台に入りながら、ふと思う。一人で眠るのは久しぶりだ。横に晴斗がいないのが、なんとも不思議な感覚がする。


「僕、本当に晴斗に慣れてきてるみたい」


 それが不思議でもあり、どこか照れくさくもある。美弥はそんな風に考えながら、この日は早めに休んだ。




「お世話になりました」


 翌日、二人は猫崎邸を後にすることになった。雅美と弥彦が見送りに立っている。


 晴斗の声に、雅美が両頬を持ち上げて笑った。弥彦も満面の笑みだ。


 家族に受け入れられたことに、安堵した美弥は、己が安堵していることが不思議だった。もう自分の中でも晴斗と伴侶同士になるというのが、定まってきているような、そんな感覚に、僅かな戸惑いと気恥ずかしさを覚える。


 その後馬車へと乗り込み、それが走り出すと、晴斗が言った。


「美弥を大切にするように、義父殿と弥彦のことも、俺はきちんと大切にしよう」

「ありがとう、晴斗」


 微笑して美弥が頷くと、晴斗が笑顔を返した。

 そうしてしばらく走った時だった。公園が視界に入ると、看板が出ていた。


 ――氷の彫像展、と、そう書かれていた。車窓から美弥が目を丸くしてそれを見ていると、晴斗が笑う。


「少し見ていくか?」

「いいの?」

「ああ――馬車を停めてくれ」


 こうして二人で、公園へと向かうことになった。二人で馬車から降りて、手を繋いで公園へと入ると、大小様々な氷の彫像が視界に入った。


「わぁ」


 氷で作られた緻密な薔薇を見て、美弥は目を丸くする。他にも天使像などがそこにはあった。


「綺麗だな」

「そうだね。毎年ね、この公園では彫像展が開かれていたみたいなんだけど、僕、実は来たことがなかったんだよ」

「そうなのか?」

「うん。いつもこの時期は、お父様のお手伝いで外に出かけていたから」


 苦笑した美弥を見ると、そっと晴斗が手を握った。


「では今日は、ゆっくり見るとしよう。なにも帰路を急ぐ必要は無い」


 晴斗の提案で、この日は二人でその公園を見て回ることにした。いずれの彫像も美しく、美弥が満面の笑みを浮かべると、晴斗が優しい目をした。


「晴斗、どうかした?」

「今日は、いつもより笑顔が見られて、嬉しいと思ってな」

「え?」

「神屋の家にいる時はいつも、ふとした時に美弥は陰りのある顔をしていた。十二支亭の時ほど寂しそうではなかったが、俺としてはもっと笑ってもらいたかったんだよ」

「晴斗……」

「無理に笑えという意味ではない。ただ、俺がもっともっと美弥の笑顔を見たいだけだ。できるなら、俺の手で笑顔にしたかったから、ここへ立ち寄ってよかったと思ってる」


 晴斗の声が嬉しくて、美弥はより笑みを深める。そして繋いでいる手の指先に、美弥は力を込めた。すると晴斗が驚いた顔をする。


「連れてきてくれて、ありがとう」 


 すると晴斗がより虚を突かれた顔をした後、珍しく瞳を揺らしてから目を伏せた。その頬には僅かに朱が差している。


「これからは、もっともっと様々なところに連れて行く」

「うん。だけど僕は――」

「僕は?」


 自分が自ずと、晴斗の隣なら楽しいと言おうとしたことに、美弥は驚いた。


「……その、な、なんでもない」


 美弥は恥ずかしくなってしまい、言葉を濁した。代わりに、握っている手により力を込める。繋いでいる手の温度が愛おしくてたまらない。


 その後も二人で見て回り、一時間ほど経ってから、二人は馬車へと戻った。


 そして走り出した馬車の中で、温かい紅茶を二人で飲む。体が温まっていく。


「楽しかったね」

「ああ。嬉しそうに彫像を見ている美弥を見ているのが、とても楽しかった」

「僕を見てたの?」

「悪いか?」

「て、照れるよ」

「俺はお前の色々な表情が見たいんだ。美弥は見ていて飽きない」


 そんなやりとりをしながら、二人は馬車で帰宅した。

 美弥は神屋邸の門をくぐり玄関から中に入ると、『帰ってきた』と感じて、不思議な気分に陥った。まだ過ごして半月ほどだというのに、既にこの家が、自分の居場所になっている心地がして、それが不思議でたまらない。


 手を繋いだまま晴斗に連れられて自室に戻ると、その感覚はより顕著になった。


 自室を通り抜けて、二人の居間も兼ねている寝室に入ると、どうしようもなく落ち着くから不思議だった。晴斗と二人で同じ空間にいるからなのだろうかと、美弥は首を傾げる。


「どうかしたのか?」

「うん、その……なんだか……実家のお部屋も落ち着くけど、ここも落ち着いたから、それが不思議で」

「それは、ここが俺とお前の家になったから、ということだな。美弥の居場所は、もうここだ」


 晴斗の声は冗談めかしたものだったが、それが真理である気がして、美弥ははにかむように笑ったのだった。


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