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第11話 帰省


 猫崎家は、そう規模は大きくないが、まだ華族邸宅でも珍しい洋館だ。

 その応接間に通された美弥と晴斗は、長椅子に促される。そして雅美自らが珈琲を淹れた。父は豆を挽くのが趣味だと、美弥はよく知っている。


「どうぞ」


 雅美が差し出すと、晴斗が礼を言って陶磁器のカップを持ち上げた。

 対面する席に、雅美と弥彦が座す。


「しかし驚きました。晴斗様が美弥を本当に見初めるとは」


 父の、『本当に』という語に、美弥が首を傾げる。


「以前お会いした時の晴斗様の言葉は、てっきり冗談だと私なんかは思っていましたよ」

「お父様は、晴斗と前にも会ったことが……ええと、年始の宴以外でもあるの?」


 つい美弥が尋ねると、雅美が目を丸くしてから、少し困ったように眉根を下げて笑った。


「ああ、美弥は分からないんだったね」

「え?」

「いや、気にしないでくれ。あるんだよ。晴斗様は、猫神の末裔にも分け隔て無く、昔からお優しい方だということだ」


 雅美の声に美弥が小首を傾げる。その隣で、晴斗もまた苦笑していた。


「恐縮だが、俺が優しいのは、雅美さんがよい方であって、美弥もまた温かな者だからだ」

「それって俺には冷たいってことですか?」


 すると弥彦がびくびくした様子で言った。それに晴斗が喉で笑う。


「いいや、君のことはまだあまり知らないから、じっくりと聞かせてくれ」

「は、はい!」


 弥彦が元気よく頷いた。

 それから晴斗が、改めて雅美を見る。


「ご挨拶が遅くなりましたが、美弥を俺に下さい」

「私は美弥がよいのであれば、猫神の末裔家の当主としてではなく、一人の父親として構わないですが、美弥の気持ちはどうなんだね? 断れないから、飲んだのかい?」


 まっすぐな父の問いかけに、美弥は息を詰める。

 当初は間違いなくその部分もあった。押し切られたという感覚も強い。

 だがこの半月ほどの間、晴斗とともに過ごし、今では前向きに考えたいと思っていた。けれどそれを、どのように言葉にすればいいのか、上手く分からない。すると瞳があった父が微苦笑した。


「顔を見れば分かるな。嫌では無いんだね」

「う、うん。僕は……その、晴斗ともっと一緒にいたいと思ってます」

「そうか。ならば美弥を宜しくお願いします」


 美弥の返事を聞くと、雅美が深々と頭を下げた。


「どうぞ頭を上げてくれ。頭を下げるのは、本来俺の方なのだから」

「神屋の方に、それは恐れ多い」


 そんなやりとりをしていると、開いていた扉から毛並みの長い猫が入ってきた。これは本物の猫だ。猫神の末裔は、力が強ければ猫に化けられるとはよく言うが、入ってきたのは父が貰ってきた洋種の猫で、名前はベリーと言う。


「ベリー、久しぶり」


 愛猫の姿に、美弥が口元を綻ばせる。

 その横顔を見ていた晴斗が静かに尋ねた。


「美弥は猫が好きなのか?」

「うん。大好きだよ。それにベリーとは小さい頃からずっと一緒にいたから。僕の大切な友達なんだよ」

「そうか」


 美弥の足下にすり寄ってきたベリーを、美弥は抱き上げる。すると隣から、ゆっくりとその頭を晴斗が撫でた。


「俺も猫は好きだ」

「そうなんだ」

「飼うのもいいかもしれないな」


 そんなやりとりをしている二人を、雅美がにこにこと見守る。


「今夜は泊まっていってくれるのでしょう? シェフにお願いしてあるから、洋食を振る舞いますよ」


 雅美の心遣いがありがたいなと、美弥は思った。


 それから晴斗が、美弥の部屋を見てみたいというので、二人で応接間から外へと出た。手すりに触れながら、美弥は階段を上がる。踊り場には調度品の石像があり、廊下には等間隔に燭台が並んでいる。


「ここが僕の部屋」


 南側の奥の部屋の扉を、静かに美弥は開けた。

 広い部屋ではないが、よく整理整頓がされている。窓際に歩み寄り、美弥はカーテンを開けた。


「そうか。どことなく落ち着く部屋だな」

「うん。僕もそう思ってる」

「神屋の家にも洋間はあるが、部屋はそちらの方がいいか?」

「ううん。今の和室も気に入ってるよ」

「それはよかった」


 頷いた晴斗を、美弥はソファへと促す。そして隣に腰を下ろした。


「このお部屋とも、結婚したらお別れになるんだね」

「結婚する前から、美弥にはあちらを家だと思ってもらいたい」

「う、うん。努力するよ」

「美弥の帰る場所は、いつも俺の隣だと嬉しい」

「晴斗……ありがとう」


 それからは二人で雑談をした。神屋の家とそれは変わらないはずなのだが、場所が自分の実家であるせいか、いつもより気が抜けて、美弥は饒舌になった。


「晴斗はどんな子供だったの?」

「そうだな、ごく普通……では、ないか。小さい頃から当主であれとして躾られてきたというのはあるな」

「そうなんだ。学校は?」

「神屋家の者は、皆家庭教師に習うんだ」

「ふぅん」

「美弥は学校はどうだったんだ?」


 その声に、美弥は微笑した。


「僕は華族が通う藤波学園に通っていたんだけどね、十五歳の頃かなぁ……夏休みの林間学校があってね、そこには湖もあって……そこでね」

「ああ」

「迷子になっちゃったみたいなんだけど、不思議でね。林に入ったところと、林から出たところからは覚えているんだけど、中の何処で何をしていたのか記憶に無いんだよ。一晩僕はいなくなっちゃっていたみたいで、みんな大騒ぎして探してくれてたらしいんだ」

「――そうか」

「僕、どこにいたのかなぁ。他にもね、夏休みにお父様と弥彦と、別荘に行ったんだけど、そこでもね、僕は迷子になったことがあるんだよ。やっぱりどこに居たのか、記憶に無いんだけどさ」


 不思議な思い出話を美弥が語るのを、晴斗が一つ一つ頷きながら聞いていた。


 そうこうしている内に、夕食となり、弥彦が呼びにきた。

 階下のダイニングに向かうと、そこには今日特別に呼ばれたシェフが用意した、仔羊のステーキやスープ、サラダやパンが並んでいた。コース料理の仕様ではないが、このご時世では珍しい洋食が並んでいる。


「気に入ってもらえるといいんだが」


 雅美の声に、晴斗が目を伏せ笑う。


「どれも美味しそうだ」


 それから四人で席に着き、白いテーブルクロスのかかったテーブルを囲んで食事とした。


「これからは美弥と食事を出来る機会もほとんど無くなると思うと、父さんは寂しいよ」

「僕も寂しい」

「俺だってお兄様がいなくなるのは寂しい」

「なんだかそれでは、俺が悪者みたいじゃないか」


 晴斗の声に、美弥達三人はくすくすと笑った。

 そのようにして和やかに夕食が進んだ後、雅美が晴斗と話がしたいというので、美弥は弥彦とリビングで待っていることにした。


「でも驚いたよ、お兄様が結婚かぁ」

「僕だって驚いたよ」

「晴斗様ってどんな人? 見るからに優しそうだけど」

「うん。僕も優しいと思ってるよ」


 弟の問いかけに、美弥は両頬を持ち上げる。短期間の間にも、幾度も晴斗の優しさに触れたなと改めて思い返す機会となった。




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