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第7話 古文書

 翌日から、美弥の新しい生活が本格的に幕を開けた。

 早速朝食を晴斗と取る。朝は焼き鮭だった。ほうれん草の味噌汁もとても美味だった。


「美弥は少し痩せすぎているきらいがある。もう少し太れ」


 そう言って晴斗が苦笑していた。

 実際美弥は食が細い自覚があったので、苦笑してしまった。


「さて、今日は二十九日だな。少しゆっくりするとするか。何処へも神家の者たる神屋は行ってはならないことになっているからな。今日俺達を迎えるのは失礼に当たるそうだ」


 朝食後、晴斗はそう述べた。

 十二支を選んだ主神は、八百万の中の一柱とされるため、そう決まっているとのことだった。


「年末年始はやっぱり特別なんだね」

「そうだな。十二支の末裔も、今では一月の五日に挨拶に来ると決まっている。落ち着いてからとなっているんだ」

「いつもお父様がご挨拶に伺っていたから、僕は日取りしかしらなくて。今年は、お父様は具合が悪いから僕がご挨拶することになっていたんだけど、どうしたらいい?」

「もう美弥は、挨拶される側だと心得ておいてくれたらいいさ」


 晴斗の声に、美弥は思わず体を硬くした。伴侶になるということは、神屋家の一員になるという意味なのだと、今更ながらに考える。


『晴斗様』


 そこへ外から声がかかった。


「なんだ?」


 晴斗が声をかけると、若隅が姿を現した。


「早霧様がお呼びです。年始客へのご挨拶についてとのことです」

「そうか、叔父上が。すぐに行く」


 そう答えた晴斗は、美弥に向き直った。


「悪いが、少し出てくる」

「はい」


 丁度食事が終わったところだったので、美弥は頷いた。

 その後食事の間を出た晴斗と共に部屋を後にし、美弥は自室へと戻った。そして室内を改めて見回し、ふと本棚に視線を向ける。思えばこの家具も洋風だ。そっと歩み寄ると、そこには近年流行している翻訳本が並んでいた。異国の童話や、小説といった書籍だ。そのほか、帝都で売れている文豪の本もある。


 美弥はその中から、グリム童話を抜き取った。そしてパラパラと捲っていると、灰かぶりという物語が目にとまった。冒頭を読み進めていくと、灰かぶりは、継母や姉達に虐められていた。


「……」


 それを読み、実の家族には優しくしてもらっている美弥は、比べるものでは無いかもしれないけれど、己はまだ幸せだと考える。ただ、その虐めの描写を見ていたら、他の十二支の末裔に嘲笑われる自分が重なって思えた。


 灰かぶりの結末は、ハッピーエンドだ。


「僕も、幸せになれるのかな……」


 現在は、晴斗に唐突に大切にされ、不意に幸せが舞い込んだ形だ。けれどまだ現実感がなくふわふわしているように美弥には思えた。


「ううん。幸せは、きっと自分の手で掴むものだと僕は思う。晴斗は僕を幸せにしてくれると言ったけど、僕は待っているだけじゃだめだよね。きちんと自分で自分を幸せにしてあげなきゃ。そして――……」


 己を幸せにしてくれると口にした晴斗のことも、幸せにしてあげたい。

 それが伴侶になるということなのではないかと、美弥は考えた。


 その後本を閉じた美弥は、少し家の中を見て回ることに決める。昨日晴斗に案内をしてもらったが、まだ覚えきれてはいないから、しっかり記憶しようという意図だった。


 神屋家で用意してもらった着物姿、本日は黄緑色の着物に羽織り姿で、美弥は自室から外へと出る。そしてゆっくりと廊下を進み、階段を降りていく。軋む音を立てた階段を一番下まで降りて、それから長く続く縁側へと向かう。


「お」


 すると沓脱ぎ石のところに立っていた青年が、不意に声を出した。反射的に澪はそちらを見る。長身で大柄の青年は、漆黒の髪をしていて、瞳の色は紫色だった。美弥の姿を見ると、靴を脱ぎ、大股で歩み寄ってくる。


「見ない顔だが、もしかしてお前が晴斗兄上が伴侶に決めたって言う猫の末裔か?」

「っ、は、はい」


 兄上という語に、晴斗の弟らしいと美弥は判断する。

 だが容姿は全く似ていない。襟足が長めの黒髪をしている、彫りの深い顔立ちの青年を、思わずまじまじと美弥は見た。


「俺は雨月。ふぅん。美人じゃん」


 美弥の前に立った雨月は、顎に手を添えて、美弥を見下ろした。

 そしてニッと口角を持ち上げる。肉厚の唇が楽しそうに弧を描いている。


「兄上なんて止めて俺にしとけよ。俺、優しいぞ?」

「えっ……」

「兄上みたいに打算的な結婚じゃねぇ。俺は美人には優しいんだ」


 喉で笑っている雨月の声に、美弥は目を瞠る。


「打算的な結婚……?」

「おう。そうだ。やっぱり聞いてねぇんだな。兄上も腹黒いんだなぁ」

「どういうことですか?」

「俺達の曾祖父が江戸の頃にな、神家の神の力の一つで、予言が出来たんだが、それを記した古文書によると、五代後の真の当主は猫神の末裔を伴侶にするとあったんだ」

「え?」

「その五代後が今代でな。兄上は当主になったが、その時の決定は亡くなった父上の遺言ってだけで、本来は一番力の強い者が当主になるから、五代目は兄上でいいのかっていう言い争いは未だにあるんだよ。俺と叔父上は、その争いの相手だ」


 それを聞いて、美弥は驚いた。


「だから、たとえば俺がお前と結婚したら、俺こそが真の五代目だって証明になって、今からでも当主を交代できるかもなァ」


 ニヤリと笑っている雨月は、それから腰を屈めて美弥を覗き込んだ。


「ただ俺は、そういう結婚は好かんから、美人は普通に大切にしてやるぞ?」

「っ、僕は……」


 美弥が言葉を探していたその時だった。


「なにをしている?」


 その場に晴斗の険しい声が響き渡った。





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