目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第6話 天井


 確かに卓の上には、銀の鈴があった。このベルも考えてみると洋風だなと美弥は思う。そこへ入れ違いに晴斗が戻ってきた。


「美弥、式の日取りだが」

「は、はい」

「結納が半年後として、八ヶ月後としたい。少し早いか?」

「……そ、の……晴斗の好きなとおりでいいよ」

「そうか。では、そうさせてもらう。それまではここでゆっくりと過ごしてくれ」

「家には帰ってはダメ?」

「勿論たまには構わないが。俺はなるべく美弥と一緒にいたいんだ。それにその方がチャンスも増える」

「チャンス?」

「美弥に俺を好きになってもらうチャンスだ」


 悪戯っぽく笑いながら晴斗が述べたものだから、美弥は再び照れてしまった。

 晴斗の言動は、いちいち甘い。それがどこか擽ったかったが、決して嫌ではないから不思議だった。晴斗といると、まるで昔からこれが自然だったような、そんな感覚になる。


「これからは、美弥のことをたくさん聞かせてくれ」

「うん……あのね、馬車で話す練習をしてたんだよ」

「話す練習?」

「僕はね、洋菓子が好きだとか、ニンジンが苦手だとか……僕も、晴斗の好みとかが知りたいよ」


 必死で美弥が述べると、くすくすと晴斗が笑った。


「嬉しいな。美弥が俺に興味を抱いてくれたと思うと、心が高揚する。色々な話をしよう」


 晴斗はそう言いながら、美弥の斜めの位置にある座椅子に腰を下ろした。

 美弥は湯飲みをもう一つ用意して、お茶を注ぐ。

 そして晴斗に差し出した。


「美弥は、普段はどのように過ごしていたんだ?」

「僕は、学園を卒業してからは、少しずつお父様のお手伝いをしていたんだよ。貿易商をしていて、美術品とか家具を北欧から輸入したり、この国の浮世絵とかを輸出したりしていて」

「そうか」

「晴斗は?」


 美弥が問いかけると、晴斗が少し思案するように宙を見た。


「神屋や十二支の末裔は、生まれつきあやかしを見る力――視鬼の力を持つ者が多い。またそれらへの対処も学ぶ。だから帝国軍のあやかし討伐部隊から依頼があれば、あやかしの討伐に力を貸すこともある。それ以外は、神屋家の当主として、領地や牧場の管理をして過ごしている」


 それを聞いて、美弥は目を丸くした。

 あやかし討伐部隊というのは噂だけは耳にしたことがあったが、民間伝承だと言われているからだ。文明開化した現在、あやかしという存在は、非科学的だと言われる。美弥も視たことはない。


「それと、先に一つ伝えておかなければならないのは、実はこの邸宅内には、これまで俺や弟、叔父の伴侶候補だった者達も暮らしているということだ。実は十二支の末裔の縁者が幾人も暮らしている。相手は未定だったんだが、俺か弟の雨月、早霧叔父上の誰かの伴侶となる候補者として、俺の亡くなった父が召し上げていたんだ」


 頷きながら美弥は驚いた。


「じゃあ、僕以外にも、いっぱい晴斗には、伴侶の候補がいたんだ?」

「ああ、そうなる」

「……もしこれから、僕じゃダメということになったら、その人達の誰かと結婚するの?」

「俺は美弥を離さない。美弥がよい。美弥がどうしても嫌だと言わないかぎり、いいや、美弥が言ったとしても、それはない。これは俺の我が儘だ。俺はどうしても美弥がいいんだ」


 つらつらと早口に語った晴斗を見て、やはり美弥は疑問に思う。


「ねぇ、どうしてそんなに僕がいいの? たった一回庭で話しただけなのに」

「一回、か。いつか美弥が、思い出してくれることを祈っている」

「え?」

「なんでもない。さて、家の中を案内したい。外へ出よう」


 晴斗はお茶を飲み干すと立ち上がった。そして美弥に手を差し出す。美弥は湯飲みをおいて、その手を取った。


 こうして二人で部屋から出て、廁の場所や浴室の場所などを、晴斗に美弥は教わった。その後、二人で庭へと出る。雨上がりの庭園では、冬の花の葉が、まだ雫で濡れていた。今年の帝都は寒く、庭の片隅には雪が積もっている。ただし池が凍りつくほどではない。


「この庭はな、春も夏も秋も綺麗なんだ。全ての季節の表情を、美弥に見せたい」


 晴斗はそう述べると、そっと美弥の肩を抱き寄せた。

 それが嫌ではなかったので、美弥は小さく頷いた。



 二人で庭を眺めてから、二時間ほどして、夕餉の時刻が訪れた。今後夕食は、晴斗が仕事で空けないかぎりは、二人で食べると美弥は聞かされた。


「紹介する、料理人の和木だ」


 美弥は食事の並べられた和室で、一人の青年を紹介された。厳めしい顔をしている。


「宜しくお願いします、猫崎美弥です」

「宜しくお願い致します。ニンジンがお嫌いだとか」

「あ、いえ……食べられないわけではないんです」

「後ほどじっくりと好みを伺いに参ります」


 和木はそう言うと、下がっていった。この和室が、今後二人で食事を取る部屋になったのだと美弥は聞かされている。鯉が描かれた掛け軸がある部屋だった。


「朝は俺の方が早いことも多いだろうから約束は出来ないし、夜も俺は会食してこなければならないことも多い。だが、美弥との時間をなるべく多く取りたい。だから、共に食べられる時は、必ず」


 晴斗がそう繰り返すように述べたので、美弥は頷いた。

 この日は、煮魚が主体の夕食だった。お吸い物も美味だった。


 食後入浴をし、神屋邸に用意されていた寝間着に着替えた美弥は、おずおずと共通だという寝室へと向かった。神屋家にはいくつもの浴室があるそうで、別の場所で先に入浴を終えていたらしい晴斗は、寝室の黒い卓の前に座って書き物をしていた。洋風のランプが置いてある。そこで紙に万年筆で何かを綴っている。


「ああ、美弥。風呂はどうだった?」

「気持ちよかったです、檜のお風呂」

「そうか。他に温泉や露天風呂もある。毎日好きなところに入るといい」


 振り返った晴斗の穏やかな声に、美弥は頷く。すると手帳をパタンと晴斗が閉じた。そして鍵をかけると、卓の下の抽斗にしまう。それからランプを消した。


「何を書いていたの?」

「日記だ。簡単なものなんだが、幼い頃からずっと書いているんだよ」

「そうなんだ」


 美弥が頷くと、晴斗が立ち上がり布団の方へとやってきた。

 そして壁側の布団の上に座る。隣り合った布団の、窓側を美弥は見た。


「僕はこちらで寝たらいい?」

「ああ。それとも逆がいいか?」

「ううん。どちらでもいいよ」


 美弥はそう答えて、晴斗の隣の布団に座った。それからチラリと晴斗を見る。伴侶となることが決まった、許婚となった今、夜の営みがあるのだろうかと、緊張して体を硬くする。するとそれを見透かしたように晴斗が微苦笑した。


「美弥。俺は無理強いしたりはしない。美弥の気持ちが固まるまで、手を出したりはしない。安心していい」

「晴斗……うん」


 美弥はほっとして肩から力を抜いて頷く。


「ただたまには腕枕くらいはさせてほしいけどな」


 そう言って笑った晴斗の笑顔は、とても綺麗に美弥には見えた。

 こうして二人で並んで布団に入る。室内には、雪洞の薄暗い灯りがあるのみになった。


「雪洞も消すか?」

「晴斗の好きでいいよ」

「では消そう」


 晴斗はそういうと雪洞の灯りを消した。

 そして本格的に眠る体勢になる。美弥も布団をかけてから、天井を見上げた。

 暗がりに次第に目が慣れ、まだ見慣れない天井が視界に入る。


 ――果たしてこの天井に慣れる日は来るのだろうか?


 漠然とそう考えている内に、疲れていたようで、美弥はすぐに眠りに落ちた。






コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?