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11-3 ヴァネッサとクローデット

 高く伸びた木々が光を遮る暗い森の中、白髪の女騎士は乗っている馬を歩かせて細い土色の道を辿っていた。両脇に生えるシダの間を抜けながら鳥の声に耳を澄ませていると、遠くで水の流れる音が微かに混ざってくる。


 黒の森。黒魔女が棲まうとされている深い森……

 魔女の領域とされるこの場所は視界の悪さも相まって身の安全が確保しづらく、迂闊に深いところへ入ると怒りを買うと言われていた。クローデットは以前にもここを訪れたことはあったが、今回のように一人で入るのは初めてのこと。


(……こっちだ)


 直感に従って分かれ道を選び、更に細くなる道を進む。全く不安がないわけでなかったが、これは間違っていないという不思議な確信があった。


 ――果たして、目の前に一軒の古い小屋が現れる。

 クローデットは馬を適当な木へ繋ぎ、深呼吸を一つしてから扉を開けた。


 部屋ではラベンダーのアロマが焚かれていた。奥まで進むとテーブルの上に煙を生やすポットが置かれており、その近くのベッドでは黒い装束に身を包んだ美しい女が横になっている。

 あまりにも無防備な姿だった。

 クローデットはじっと彼女を見下ろした。


「……」


 ため息が漏れる。

 彼女はその場で膝をつき、前のめりの姿勢で女の寝顔にもう少し寄る。


「来たぞ」


 眠っているのか、それとも……息を引き取ってしまったのか。まるで時間が止まったかのように動かない麗人を前にクローデットは口を開くが、続く言葉が出てこない。少しでも空しい気持ちから逃れようと、彼女と片手を繋いでもみる。

 耳元で名前を囁いた。"自分が来た"と言うことも告げてみた。それでも、嫌味の一つさえ返ってこない。


 胸を引き裂くようなやりきれなさがクローデットを焦らせる。

 自分が置いていかれたような現状に耐えきれず、ついに、声を張り上げた。


「起きろ、ヴァネッサ……!」


 それでも反応はない。

 クローデットは眠ったままの彼女の頭へ手を重ね、ふと、古い物語の結末を思い出した。しばらく迷っていたが……覆い被さるように背中を丸める。


 そのまま、目を閉じて――ヴァネッサの唇を奪った。


「……クローデット?」


 黒い布地を纏った腕が、白銀の鎧へゆっくり絡みついた。爪の長い指で滑らかな髪を梳き、カーテンのように下ろし、二人だけの世界が作られる。鋼鉄に包まれた指が、柔らかく滑らかな肩の曲線を撫でていった……


 ……屋根の上で小鳥が鳴いている。

 涼しい風が森を抜け、木々の葉が擦れている。

 小川のせせらぎは泡を立てて跳ね、主を待つ白馬が足元の草を食んでいた……


◆ ◆ ◆


「――遅いわよ」

「すまなかった」

「なんだか、悪い夢を見ていた気がするわ」

「……おはよう、ヴァネッサ」


 ベッドの縁へ腰掛けたヴァネッサは隣へ座るように誘う。

 クローデットは腰掛けたは良いが、改めて何を話せば良いか迷ってしまった。


「どれくらい経ったの?」

「あれから二ヶ月になる」

「……ひとりは慣れていたつもりだったけど、私は変わったみたい。一日が一月に、一月が一年のように感じられたわ。貴女に会えないだけで気が狂いそうだった」

「もう、大丈夫だ。これからは、ずっと一緒だ」


 立ち上がって、ヴァネッサの前で改めて膝をつく。クローデットは両手で彼女の手を包み、真正面から透き通った翠眼を向けて目を合わせた。


「……ヴァネッサ、受け取ってほしいものがある」


 クローデットはそう言って、どこかで見たことがある紙袋を一つ手渡した。

 見間違えるはずがない、レイヴン・バーガーで使っていた物と同じだ。ヴァネッサはそれを開けて中を覗き……薄い小袋に包み込まれたハンバーガーを取り出す。


 そこそこ不格好なハンバーガーだった。

 パティとベーコンが一緒に重ねられ、黄土色のソースがはみ出している。若干焦げ付いたガーリックのスライスも何枚か混ざっていた。


「これは……」


 ちらとクローデットを見ると……彼女は気恥ずかしそうに目を逸らした。

 ヴァネッサは心臓をきゅっと掴まれたような気がした。そして、笑い出したくなる衝動を堪えながら一口かじってみる。


「……ふふ」

「その、一般的な意見として聞かせてくれ。美味しいか?」

「ふふふふ……」

「おい! 笑ってないで何か言ってくれ!」


◆ ◆ ◆


 元来た道を二人で戻っている。行きと比べて帰りはあっという間に感じられ、もう遠くに城下町の北門が見えていた。クローデットはヴァネッサを前へ横乗りさせ、後ろから包み込むようにして手綱を握っている。


「ところで、このまま私と帰るなんて、何か考えがあるんでしょうね」

「既に手は打ってある。君を騎士団の一員にした……書類上はもう我々の仲間だ。それに、黒魔女のことは私が面倒を見るという建前も作った」

「それで二ヶ月かかったの。そう聞くと、意外と短く済んだのね」

「魔女を騎士団に入れるのは初めてのことじゃない。偉大な前例がいたからな」

「……そうだったわね」

「それに、お前のハンバーガーはファンが多かったみたいだ。砂漠の事態を解決したこともあって、街での評判もさして悪いものではなかった。二年前は確かに多くの人が死んだが、大半は貴族同士の恨み合いだ。いつか起こることだった……」


 門の両脇に立つ衛兵が二人を乗せた馬を見て敬礼する。

 もうすぐ壁の中だ。柄になく、ヴァネッサは緊張で唾を飲んだ。


「ちゃんと私のことを考えてなさいよ。さもないと、殺しちゃうんだから」

「そうか。だったらもう少し近くで監視しないとな」

「ああ、ちょっと……」


 クローデットがヴァネッサを抱き寄せると共に馬は北門へ差し掛かる。


 門が開くと、噴水広場へ続く道の両脇から歓声が上がった。

 それは、いつかのヴァネッサが見た凱旋パレードの光景に似ていた。

 群衆に紛れてクローデットに一目惚れした彼女は今、その人物の腕の中で静かに顔を赤くしている。二人の出迎えはあの頃と比べれば非常に簡素であったが……ヴァネッサは確かに、当時夢見た景色のヒロインになったのだ。


「ああどうしよう、なんだか急に恥ずかしくなってきたわ」

「王子と姫、に見えなくもないか?」

「ちょっと、誰が姫よ。私は……んもう……」

「ほら、準備しておけ」


 夢のような時間は一瞬で終わり……

 二人を乗せた馬は間もなく噴水広場へ到着する。先へ目を向けると、そこでは白い帽子とエプロンを纏った少女が堂々とした笑顔で腕を組んで立っていた。彼女の背後には「レイヴン・バーガー」の看板が残っている。


「リル……」

「行ってこい。彼女はずっと、貴女を待っていたんだ」


 白馬が足を止めた。ヴァネッサはゆっくりと石畳の上へ滑り降りると、たった一人で店を守り続けた彼女の元へ歩み出す。それは次第に駆け足へ変わり、前よりほんの少し伸びた身体を思い切り抱きしめた。

 小さな腕がヴァネッサの背中へ回る。細く可愛らしい指が強く食い込んだ。


「おかえりなさい、店長!」

「リル……本当に、よくやったわ……!」


 誇らしそうに立っていたリルはしばらくぶりの安らぎに目を細めながら、自分の頭より少し高いところで嗚咽が漏れるのを初めて聞いた。色々言いたいことはあったはずなのに、ヴァネッサの役に立てたことが嬉しくてリルも言葉が出ない。


 周りには店の常連客が集まっていた。他にも騎士団の面々や外食街の同業者、茨の魔女も集まって彼女の凱旋を祝っていた。


「ごめんなさい。私は、とても無責任なことをしちゃった」

「えへへ、けっこう大変でした。でも、一つ一つ取り組んでいると、店長の後を追いかけているような気がして嬉しかったんです。私の知らないところで、こんなに頑張ってくれてたんだって気が付いて……それに、店長は手紙を残してくれてたじゃないですか。文字だって、ちゃんと教えてくれたのは店長です」

「ありがとう。本当にありがとう、リル……」


 ヴァネッサは目の端から流れた滴を指ですくい、目一杯の笑顔に変わってから頭を撫でる。そして白い帽子を少しの間だけ外し、額にキスを贈った。


「店長、お客さんが来ましたよ」


 リルの言葉で振り返ると、ちょうどクローデットが後から歩いてやって来ていた。

 彼女はヴァネッサの前で立ち止まると、少し不慣れな様子で首を捻る。こめかみの辺りを人差し指で掻きながら言葉を探し、どうにもならない様子で苦笑した。


「腹が減った。ヴァネッサ、今度はお前の作ったハンバーガーが食べたい」

「そう……それじゃあ、営業再開しなくちゃね」

「はい! 店長の服もまだ残ってます!」

「本当に偉い子。白い服もリルにとても似合ってるわ、"お母さん"みたい……」


 戸に掛かっていた看板が「OPEN」へひっくり返る。

 ヴァネッサは一番最初のお客さん――クローデットへ振り向いて中へ入るように促した。そして、ぴったりくっついて離れないリルを撫でて声をかける。顔にはかつての勝気な笑みが浮かんでいた。


「さあ、リル……仕事の時間よ!」

「よろしくお願いします、店長!」

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