それからは、リルにとっては激動の日々となった。
二階ではヴァネッサが書き残した手紙が何通も見つかった。それら一通一通には店の経営に関する知恵が記され、ここを離れると分かった瞬間から彼女が「準備」をしていたのだとリルは胸中を暖かくする。
だがその一方で……騎士団に手を借りて店を復興したのはいいが、客足はどうしても落ちてしまっていた。店主のヴァネッサが「黒魔女」で、一緒に働いていたリルも魔女の力を持つとなれば、それを毛嫌いする人も当然出てくる。
このままで大丈夫なのだろうか? 午前中、人入りの悪い店のカウンターで気を落としていると……
どん、と勢いよく戸が開いた。その直後、けたたましい声が店内に響く。
「あたしがきたぞ、カラスのハンバーガー屋! 注文とれ!」
「うふふ、来ちゃった。大変だったみたいね、リルちゃん」
現れたのは「モキュモキュチキン」を運営しているミーアとソフィーの姉妹。耳が割れるほどの音圧で迫るミーアは悄然としたリルの前で堂々と仁王立ちして……一生懸命ジャンプし始めて、どうにかこうにかカウンターから顔を出そうとする。
「おい、ちょっと衣装かわったか。しろくなってるぞ!」
「あはは、まあ、色々あって……」
「私とミーアにハンバーガーセットを一つずつ頂戴。あと、このレッドポテトバーガーを一つ……」
「うちにも似たようなメニューがあるぞ! こっちがちょっとはやかったな!」
騒がしい
「なんだこれは! うちのよりからいぞ! みずー!」
「はいはい、お水ですよ……」
別の日には、ベアトリスが部下の騎士を何人か連れて来たこともあった。最初はまた何かあったのかと不安なリルだったが、どうやら彼女たちは純粋な客として店にやって来た様子。
他の騎士を連れているためか、ベアトリスは普段よりも堂々とした振る舞いで若干声を張り上げるように注文した。
「リルちゃん、全員にレッドポテトバーガーのセットを一つずつ! 私の分はレッドポテト倍にしてチーズも入れて!」
「うん。ちょっと待っ――少々お待ちください!」
そうして提供されたハンバーガーを食べた騎士たちは、ものの見事にベアトリス以外の全員が辛さで悶える声を上げた。水差しを何度も取り替えながらも、テーブルには泣き笑いの賑やかな声が響く。
「か、からいです! でも、うまいです! また来ます!」
「慣れだよ慣れ! 筋肉だけじゃなく胃袋も鍛える!」
(ベアちゃん、お仕事モードの時はカッコいいなぁ……)
◆ ◆ ◆
……昼は店員として店を回すが、閉店した後もリルは「勉強」が残っている。
この日は茨の魔女と二人で店の厨房に入り、ヴァネッサが作った「魔女のソース」のレシピの再現に取り組んでいた。店のハンバーガーの核とも言えるこれはまだ何個か小壺が残っているが、それらは使っていればいつかは無くなってしまう。
「店長が手紙を残してて、これなんですけど」
「……ああ、なるほど。やってみよう」
作業台の上に並んでいるのは店で何度も使ったことがある三種類のソース。酸味と甘みが特徴的な「
それらを容器で合わせ、細かく刻んだ
「それじゃあ、いただきます……」
「んじゃあ、あたしも……」
試しに作ったソースでハンバーガーを作って一緒に食べてみる。何度も食べたあの味が口いっぱいに広がり、リルはこの店に初めて来た日を思い出した。
「これです!」
「よし、じゃあ早速このことはメモに残しておこう。……勝手に私がソースを再現したって知られたらあいつに怒られるかもな」
「魔女ってそういうの秘密にするものなんですか?」
「まあね。そうだ、いま裏で作ってる飲み物があるんだけど、出来たらこの店でも出せるようにするよ。それでトントンだ」
「おお……!」
茨の魔女は完成したソースを指で舐めながら、ニヤニヤと笑って声を潜める。
「この間、奴が潰れた時に頭痛薬を飲ませたんだけど、あれが結構美味しいから、どうにかして飲み物に転用できないか考えてて……」
「楽しみにしてます! がんばってください!」
……そんな一連の業務が終わって、リルはようやく家のベッドに倒れ込む。
まだヴァネッサのぬくもりが残っているような気がした。微かに残った香りを集めるように鼻を枕へこすりつけ、込み上げてくる辛い気持ちを少しでも紛らす。
「店長……今日も、頑張りましたよ……」
ベッドは一人で使うことを想定した大きさだった。
それなのに、リル一人だけだと妙に広く感じて、それがあまりに寂しかった。
そのまま、二ヶ月が過ぎた。