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11-1 白きカラスの矜持

 リルは、砂漠での一件が終わった後も丸一日眠り続けた。そんな彼女が目覚めたのは、普段と違う寝台の上だ。


 外で午前の日が輝いている。リルの横では誰かが寝息を立てていた。

 重い腕を上げて身体を起こし、瞼を擦ると――自分の布団を枕代わりにした黒髪の女騎士が、地面に膝をついた姿勢で器用に寝入っている。


「ベアちゃん」


 あれから、全てのことが一段落したのだと分かった。

 外ではカラスが一匹だけで鳴いている。それを心地よく聴いていると女騎士の身体がもぞりと動いた。リルはちょっと緊張した面持ちへ変わる。


「ん……あれ、リルちゃん、起きた?」

「起きてるよ」

「わっ本当だ……ああ、リルちゃん……」


 ベアトリスはまだ眠っていた顔を急いで擦り起こすとすぐに立ち上がり、ベッドで身体を起こしていたリルに向かって頭を深く下げた。


「ごめん、リルちゃん! 私、とってもひどいことしちゃった……」

「へっ? え、ええ?」

「ほら、あの、リルちゃんのこと、騙しちゃって……」

「……私も、ベアちゃんのこと、騙しちゃった。ごめん! ずっと謝らないといけないって思ってたのは、私の方なの……!」


 二人は、お互い非常に申し訳なさそうな表情で頭を下げていたが……

 ここにいるのが謝る人ばかりで「許す人」がいないことに気付くと、そこになにか可笑しい雰囲気を覚えたのか、ほぼ同じタイミングでぷっと噴きだした。そうしてしばらく笑っているうちに、二人の罪の意識はどこかへ消え去ってしまう。


「……なんか、リルちゃんと私って、すっごく似てるよね」

「もしかしたらそうかも。――あっ、そうだ! 結局店長はどうなったの!?」

「あ、そっか、寝てたもんね。えーっと……」


 そこでリルは事の顛末を教えてもらう。

 二日前、自分は砂漠で「魔女の力」に囚われていた。そんな自分がヴァネッサとクローデットが助けてくれた。だがヴァネッサはどこかへ消えてしまった……

 なんとなくそうなるだろうことは分かっていたが、どうしてもリルは落ち込んでしまっていた。ベアトリスも同じ気持ちを受け取ったように寂しい目をしている。


「実は、最近はクローデット様もいないんだ」

「団長さんも?」

「"しばらく頼む"って言っていなくなっちゃった。黒魔女――ヴァネッサさんが消えてからずっと様子が変で。いつもどこかへ出かけてていないし、騎士団寮に居る時も、いつもぼうっとしてると言うか……」

「……」


 リルは布団から足を出して立ち上がる。久しぶりに身体を縦にしたためか下へ押さえつけるような怠さが襲いかかるも、すぐに部屋の外へ向けて足を動かす。


「リルちゃん? まだ休んでてもいいのに!」

「お店、行かなくちゃ」


 何か強大な使命感に駆られたように出て行く彼女。ベアトリスも追いかける。


◆ ◆ ◆


 レイヴン・バーガーの看板が掛かった店はほとんどが「当時」のままだった。

 割れた窓ガラス、ごちゃ混ぜに積まれた椅子とテーブル……ガラス片こそ寄せられてはいるが、このままでは廃屋と言われても仕方がないほどには荒れている。


 一日が始まる前の街。噴水広場に面した店前で、エメラルドグリーンのヴェールを被った女が店の看板をじっと見つめていた。


「ローラさん!」


 そこへ、店の格好に着替え直したリルが急いで駆け込んできた。後ろからはベアトリスも走ってきて、二人して知り合いの女性の前に並ぶ。


「やあ。大変なことになっちゃったね」

「店長が、いなくなっちゃったらしくて」

「クローデット様もいないんです」

「そうか。まあ、アイツにとっては……いや、今はそういう話じゃないな」


 店前に立っていた茨の魔女ローラは休業中の店へ入る。二人もその後に続いた。


 主を失った炉の火は消えていて、寂しさと肌寒さを纏った風が吹いていた。ひっくり返っていた机と椅子をワンセットだけ直し、三人で適当に腰掛ける。


「せっかくだ二人とも、ちょっとこの老いぼれに昔話をさせてくれ」

「聞かせてください」

「……私たち、魔女という生き物を、二人にはちゃんと理解してて欲しいんだ」


 リルとベアトリスは、その言葉を聞いてはじめて「ローラ」が魔女であることに思い至った。茨の魔女は背もたれに寄りかかりながら天井を見上げ、薄暗い店内で眠りにつくように目を閉じて回想する。


「いいかい……」


 ……魔女と言う存在は、愛を知らないままに生まれてくる。

 それは、彼女たちには「親」と呼べる存在がいないことが原因だ。


 通常、人間は生まれるためには両親の存在が前提となり、何らかの事情で後から欠けることはあっても、それが元から存在しないということは起こりえない。しかし魔女は先天的に親がいない。自然の中に蓄積された魔力がある瞬間に人の形を作り、それが「魔女」となる。


 子供は親の腕の中で育ち、そこで様々な形の愛を受ける。

 しかし魔女にはそれがない。誰も躾けてくれることない彼女たちはたった一人で大自然と戦い続け、やがて自分以外の全てを敵と認識するようになる。

 これが全ての発端となり……暴走した魔女は「厄災」として町へ襲いかかる。


「だが、そんな魔女でも突然"目が覚める"ことがある。リルちゃん、分かる?」

「……好きな人が、できた時?」

「正解! これまでした魔女は全員、誰かを愛する気持ちがきっかけになった。砂魔女も、黒魔女も、あたしだってそうだ。まあ、旦那はもういないけどね」


 リルの記憶には二人の魔女の姿があり、どちらも彼女にとっては良い母親だった。時折攻撃的なことは喋っていたが……それよりずっと、笑っている姿が多かった。


「過去の話はここまでにしようか。これからを考えよう」


 ぱっと空気が切り替わる。

 考えるべき事は多い。アルダブル城下町、噴水広場前――この一等地に構えている店をそのままにしておくことは色々な面で非常に良くない。維持するだけでも莫大なコストがかかるため、今後どうするかを早い段階で決断しなければならなかった。


「もし、店を続けるとしたら、どうなりますか」

「えっとそうだ、騎士団はしばらくこの建物に見張りを付けて、掃除などの後処理も担当します。損壊した窓ガラスなどの修理も手配するけど……一人で大丈夫?」

「材料の調達や商売については、私が店の経験で得た知識をリルちゃんに教えられる。だが簡単じゃない道だ。店を動かしながらも、勉強し続けないといけない」

「……大丈夫です、決めました」


 普段よりも低く覚悟の籠った声と共にリルは立ち上がる。

 そして……店の厨房を向きながら烏の帽子キャップを被り直した。


「店長が帰ってくるまで、この店は私が継ぎます」


 すると、彼女の服の色が変わり始めた。

 黒い帽子とエプロンはどちらも白地の布へ姿を変え、中に着ていたチュニックも優しい黄色へ染まる。まるで生まれ変わったようなリルは不安に声を震わせながらも、この場所に居ない「店長」へ強がるように啖呵を切った。


「私だって……この店で働く一匹の従業員レイヴンですから……!」

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