ヴァネッサは「魔法」で幾つもの虫の群れを壊滅させた。砂から新たな個体が這い出てくるが、彼女はその度に炎で焼き払っていく。それを何度も何度も続ける中で飛蝗の生まれるまでに「間」が生まれ始めた。
砂漠のあちこちに巨大な窪地を作りながらいくつもの火球を爆発させ、ようやく騎士団の部隊に余力が出た。その頃に、城下町方面からベアトリスが馬でやってくる。
「クローデット様、城下町の民の避難が完了しました」
「ご苦労だった。……ヴァネッサ、結局あの子はどうやって助けるんだ?」
「中に入るわ。リルを起こしてくる」
それを聞いたベアトリスがハッとした様子で一歩前へ出た。
「リルちゃんが、あの中にいるんですか」
「彼女は砂魔女の力に目覚めたけど、逆に膨大な魔力に囚われている。その枷を外して、彼女だけでも力を操れるように試すわ。戻ったら世話をしてあげて頂戴」
「……」
「確か、名前はベアトリスと言うのよね?」
黙ったまま答えないベアトリスは下唇を噛みしめて俯いていた。クローデットも気まずそうに立っている。二人を見たヴァネッサは"あの日"確かに何かが起きていたことを感じ取った。
だが、全ては終わったことである――ちょうどその時、部下の騎士が一匹の馬を連れて近付いてきた。
「クローデット様、言われた通りの装備に取り替えました」
「よし……出られるぞ、ヴァネッサ」
用意されたのは老いた馬だ。砂漠を駆けることができ、二年前の魔女との戦いを経験している馬……背中には二人乗り用のサドルが付けられ、顔には砂嵐を避けるためのゴーグルが装着されていた。
クローデットが跨がった後ろにヴァネッサも続く。背中には箒が差されていた。出発の間際、ヴァネッサは心配そうなベアトリスに向かって優しく微笑む。
「あの子が友達と呼んだ人は貴女だけよ。ちゃんと話をして、聞いてあげてね」
「……分かりました」
「クローデット、馬をお願い」
「分かった。行くぞ!」
二人を乗せた馬は前線基地を飛び出し、見渡す限り続く広大な砂漠へ躍り出た。
◆ ◆ ◆
雲一つ無い青空の下、魔女と騎士を乗せた馬が一直線に駆けている。
螺旋を描く砂塵目がけて進む中、地鳴りの音が聞こえてきた。
「ヴァネッサ、来るぞ!」
「任せなさい! これなら集中できるわ!」
波状の軌道で馬を走らせるも、音はその軌跡をなぞるように追いかけてくる。振り切るため、ヴァネッサは見返りながら右手を後ろへ伸ばした。
地中を進んでいた"何か"が爆発する――
砂漠全体を揺らす低音が響くと、今度は横から芋虫のような巨体が姿を現した。
サンドワーム、巨大種。
図体だけで馬何十体分もあるだろう、地上へ現れたそれはアーチを描くように勢いよく飛んで「竜巻」へ向かう二人の進路を塞ごうとしてくる。
「大歓迎だな……!」
「大丈夫よ。貴女と私だもの、不可能なんてない!」
ヴァネッサは人差し指と中指で狙いを定め……怪物が地表へ現れた瞬間を狙い、岩のような皮膚へ大規模爆発魔法を放った。
それは岩盤をも砕く一撃。
閃光一閃、午後の砂漠を白く染める――
――爆煙が止む。だがヴァネッサの攻撃は止まらない。
すぐさま"炎の槍"で追撃し、脆弱となったサンドワームの肉鎧を貫通させた。
「入ったわ!」
「離れるぞ、掴まれ!」
腹の中でヴァネッサの魔法が炸裂する。
たちまち巨怪は砂中へ潜る術を失って地面へ叩きつけられる。クローデットはヴァネッサの腕を感じると馬の行き先を逸らし、空から壁を下ろすように横たわる亡骸に押しつぶされぬよう、蹄の跡で弧を描いた。
竜巻はすぐそこだ。
動かなくなったサンドワームの横を抜ける。砂嵐が強くなる。
「ヴァネッサ、これ以上は馬では近づけない!」
「助かったわ、全て終わったらまた会いましょう、クローデット!」
「必ずだぞ、ヴァネッサ!」
背中に差していた箒を抜き、ヴァネッサはそれを宙へ掲げる。そして跨がっていた身体を浮かせ、くるりと回転するようにして箒へ乗り換えた。
クローデットの馬が安全な場所へ逸れていく。それを見下ろしながら、ヴァネッサは大竜巻の流れに乗って横を回り始めた。
近付けば近付くほど、ざらついた熱風がより強く肌を擦る。身体に魔力を這わせ、薄く透明な鎧を作りながら空高く上昇した。
そうして、ついに真上を捉える。そこから砂柱の真ん中を見下ろすと……
「リル!」
砂塵の真ん中、膝と肘をやわらかく曲げたリルが前屈の姿勢で浮いていた。
彼女の周りには球形のバリアが張られている。ヴァネッサは乱れ舞う流砂へ飛び込むように彼女の元へ向かった。
蓄えていた魔力を箒と自分自身の強化に注ぎ込み、加速をつけて突入する。
まるで、砂漠そのものが一つの生命のようだ。ヴァネッサを「異物」として排除しようと乱気流が吹き荒れる。押し出される勢いに抵抗するため、右手をかざして爆発魔法を構えた。
「リル! 入るわよ!」
炸裂。二人を阻む透明な天井が破れた。
爆煙の中を突っ切る。身体中に砂を突き刺しながら、箒から身を乗り出すようにして前へ手を伸ばした!
「早く起きなさい、リル――!」
彼女に触れた瞬間、ヴァネッサの視界が白く飛んだ。
◆ ◆ ◆
色のない、誰もいない街に甘い香りが流れている……ヴァネッサが最初に気が付いたのはそれだった。城下町を模した街の一角に放り出された彼女は匂いの元を辿っていく。
すると、一軒の家があった。この家の中には人の気配がする。
(……)
閉まっている戸にノックする。誰が出てくるか想像ついていた。
しばらく待つと……白髪を伸ばした柔和な顔をした女性が出てくる。
でもいったい、何を話せばいいのだろう?
『……入っていいよ。今、あの子は寝てるから静かにね』
招かれるままに家の中へ入った。
そしてすぐ、室内のベッドで横になっているリルを見つけた。本当に穏やかそうな顔で眠る様子に、ヴァネッサはどこか嫉妬心に駆られて唇を潰す。
『外の話は沢山聞いたよ。ありがとう、娘を助けてくれて』
『リルを起こしに来たわ』
『わかってる。でも、もうちょっとだけ話をしようよ』
『……何を話したら良いか分からないわ』
『手紙と全然変わらないね。安心した』
テーブルの上の皿には切られたキャロットケーキが並んでいた。椅子に座り、暖炉の火が揺らめくのを横目にほんの少しばかりの安らぎに浸る。
『そうだ、言いたいことがあるんだ』
『何?』
『……ありがとう。あの子に魔法を教えてくれて』
『本当はそんなつもりじゃなかったわ。あの子が貴女の手紙を読んじゃって』
『見えるところに置いておくのが悪いんでしょ。子供は意外と賢いんだから』
薪の弾ける音と、リルが気持ちよく眠っている息の音。それ以外で二人の会話を邪魔するものはない。
ヴァネッサはケーキを一口食べた。素朴で、甘くて……温かかった。
『私からも聞きたいことがあるわ』
『いいよ』
『どうして殺されてしまったのよ。貴女は……抵抗できたでしょ?』
砂魔女はしばらく黙っていた。
『……リルには、言わないでね』
『ええ』
『あの日は、他の仲間たちを皆、自分の部屋で休ませてた。そんで厨房の裏で空を見てたら、変な男の人がやってきて……何もしなければ殺されることはすぐに分かったよ』
『じゃあ、どうして』
『その男の人がこう言ったんだ。"自分はジラードに頼まれた"』
そして……先程までの穏やかな表情が崩れた。
『"お前の娘はジラードに勤めていたな"って』
『は……』
『まあ、そんなこと言われたら……なんにも、できなくなっちゃった』
『――奴を始末しておいて本当に良かったわ』
『え、殺ったんだ? このご時世によくやったね』
『貴女から貰ったワインが決め手よ。スロワ・ヴェールの紅魔女歴』
『アレ開けたの!? けっこう高かったのに!』
驚きを露わにする彼女を前にヴァネッサは可笑しさを堪えきれない様子で吹き出す。じっと落ち着いていた空気は一転して和気藹々としたものへ変わり、二人は何年もの月日と場所を越えた団欒で話に花を咲かせる。
かつて交わした手紙のことだったり、今の城下町の現状だったり、茨の魔女が今何をしているか、騎士団の面々は元気か……そんなことを一通り喋り倒し、話すことがなくなって、訳もなく笑う。
『ところでさ……これから、どうするの』
『どうもこうもしないわよ。でももしかしたら、私はそろそろ消えるかもね』
『……そっか。リルは大丈夫かな』
『大丈夫よ、既に色々準備はしてある。あの子には友達も居るし』
『ねえ。私はここにいるからさ。どうなったとしても……会いに来てよ』
二人の会話は終盤に入っている。ヴァネッサが戻る時間が近づいている。
砂の魔女は最後、ベッドで横になっているリルの頭を撫でて、額にキスをした。
すると彼女は弱々しく瞼を開く。
そして……自分を見下ろしている、二人の女性を見た。
『……お母さん?』
『リル、おはよう』
『迎えに来たわよ、リル』
身体を起こしたリルは大体の流れを察したようだ。立ち上がった後、砂の魔女に抱きついて別れの挨拶を交わす。ヴァネッサは少女が泣き崩れてしまうのではないかと心配していたが、そのようなことはなかったようだ。
『私に会いたくなったら砂漠へおいで。ここは私の、そして貴女の故郷だから』
『寂しくない?』
『ふふっ、大丈夫だよ。こう見えてもお母さんは独身歴が長かったから』
リルは惜しむように離れ、残っていた寂しさを紛らわせるようにヴァネッサの腕にすがりついた。強がっているような表情は二人に見えないよう隠している。
最後、ヴァネッサはドアの前でちらと振り返った。
彼女は二人へ背を向けたまま、何も喋らず、じっと高いところを見上げていた。
『……また来るわね。