会食は荒れに荒れていた。
リルの一手でヴァネッサとクローデットはどちらも「惚れ薬」を体内へ取り込み、それが効果をもたらすのは時間の問題になっている。この後どう転ぶかは最早誰にも分かっていない。
「そうか……」
最もダメージが大きかったのはクローデットだった。ここへ来た目的である「黒魔女の発見」はまだ遠く、それどころか薬を盛られてしまう始末。良くて痛み分け、悪いと決定的敗北が見えてしまう。
一方のヴァネッサにとって今の状況はそう悪いものではない。敗着の心配が杞憂に終わり、盤面をひっくり返したとも言える現状、クローデットに強く出られるようになっていた。だが、そんな彼女も自分の思考と言動が侵食されていく不安と戦わなければならない。
今の二人は対等だ。少なくとも、片方だけが完全勝利する結末は、あまりに細い。
「どうしたの、クローデット」
「……」
椅子に座ったまま、クローデットは真顔で何かを考え続けていた。
彼女の心は未だ折れていない。ヴァネッサは臨戦態勢を解かずに様子を見ていたが、次第に女騎士の顔が引きつっていくのを目撃する。
……修羅の顔をしていた。まるでこの瞬間に悪魔が乗り移ったように、クローデットはヴァネッサを上目で睨みながら不敵な笑みを見せる。
「分かった」
その一言を皮切りにして、クローデットの乾いた笑いが聞こえ始めた。
別人のようだった。店に入ってきた時の理知的な彼女は消えてしまった。
「黒魔女は、この手で殺す。恋い焦がれてしまうならば……私も死のう」
「クローデット……? ちょっと、何を言って――」
ゆらりと立ち上がったクローデットは腰に差していた剣を抜いた。
あれは、勝負に取り憑かれている目だ。
二年間で醸造された執念が、制御できない衝動と暴力性を持って高潔な女騎士を支配していた。ヴァネッサが黒魔女だと確信していたクローデットは、この時初めて他のことを捨てる覚悟がついたのである。
そうして、クローデットはその剣を……リルへ向けた。
小さな悲鳴が上がる。ヴァネッサは何が起こるかを察知して目を見開く。
「まずは……」
狂気。
大きく振りかぶられた剣が、リルの頭をかち割ろうと半月を描いた!
突然の事態にリルは身を硬直して動けない。復讐に囚われた翠眼が、華奢な少女を斬りつけようと真っ正面に捉え――
――――突風が吹いた。
クローデットの身体が浮く。巻き上げられた彼女は、背後の備品を散らかしながら吹っ飛んでいった。
「へっ……」
宙を舞う店の椅子とテーブル。壁から転がり落ちたキャンドル。突然の事態に理解が追いつかないリルは、全てが一通り落ち着いた後、恐る恐る周りを見渡した。
すると……椅子に座ったまま「手のひらを前へ出した」ヴァネッサがいた。
今のリルなら彼女が何をしたか理解できてしまう。思わず悲痛な声が漏れた。
「店長……!」
ヴァネッサの目は潤んでいた。これまでで一番悲しい目をしていた。どれだけ状況が悪くなっても折れなかった彼女が今この瞬間崩れてしまうのではないか、とリルは思わずにいられなかった。
彼女は魔法を使ったのだ。自分のためでなく、リルを守るために。
手に入りかけていた勝利を、なりふり構わずかなぐり捨てて。
「クローデット」
そして――
低く濁った声には、聞いた者全てを跪かせるような"凄み"があった。
「例えあなただったとしても……その子に手を出すなら、容赦しないわよ」
ぐちゃぐちゃにひっくり返った備品の山が動く。それら全てを押しのけて立ち上がったのは、長く美しい髪を乱しても立ち上がる一人の女騎士。白銀の鎧を埃で汚しながらも、遂に「黒魔女」をその目に捉える。
彼女は喜んでいた。
最後の最後に繰り出した一手で、隠れていた宿敵を炙り出すことへ成功したのだ。
一方、椅子から立ち上がったヴァネッサは広くなった場所へ出て、リルへ下がっているように手で指示した。被っていた
正気な者はもはや誰一人としていなかった。荒れたハンバーガーショップの中で、黒魔女と"白騎士"が向かい合っていた。
「見つけた……」
クローデットの翠眼は濁りきっていた。
獰猛な笑みを浮かべながら、ゆっくりと、運命の相手へ向かって指を差す。
「やっと見つけたぞ、黒魔女――――!」