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10-4 ハンバーガー・ギャンビット

 レイヴン・バーガーの戸がノックされた。玄関近くの椅子に座っていたヴァネッサが立ち上がり、にこにこと笑顔を浮かべながら戸を開ける。


「いらっしゃい、クローデット。待ってたわ」

「では失礼する、ヴァネッサ……突然の提案になってしまって、すまなかった」

「いいのよ。席は用意してあるわ、こちらへ」


 鎧を纏った白髪の騎士クローデットは穏やかな表情で挨拶をするが、ヴァネッサから席の案内を受けて向かう間にカウンター内のリルへ視線を向けた。

 ただの一言もなかったが……底知れない混沌を纏った瞳は少女を怖がらせるには十分だ。何事もなかったようにクローデットは元の顔へ戻り、窓際の席に座る。


「何度か来たことはあったが、実際に客として来たのは初めてかもしれない」

「いつも、貴女がここで料理を食べてくれる日を夢に見てたわ。今回は私じゃなくてあの子が作るけれど、心配しないで。味は保証するから」

「ああ。店主である君が言うなら信じよう」


 二人の会話を邪魔しないタイミングでリルがやってきた。テーブルにガラスのコップを二つ並べてポットから八分目の水を注ぐ。ヴァネッサはさっそくそれに口を付け、半分ほど飲んでからリルを向いた。


「リル。ハンバーガーセットを二つお願い」

「はい。少々お待ちください」


 クローデットとヴァネッサ、それぞれから視線を受けた少女は普段より早まった足で厨房へ入っていった。テーブルを挟んだ二人はどちらも足を組み、なんてことなさそうに笑っていた。


◆ ◆ ◆


 一人で厨房に入ったリルは、黙々とハンバーガーセットの材料を揃えた。


 調理開始。まずは備え付けのポテトを油で揚げる。その間に、火の上へ乗せたフライパンでパティとバンズの加熱調理に入り、身体の感覚で時間を計りながらソースの入った壺を棚から引っ張り出す。


 何も考えないようにしていたが……クローデットから言われた言葉が蘇った。

 リルが嵌められた日に、「ヴァネッサの刑を少しでも軽くする」ために彼女から指示された話だった。


『なるほど、やはり黒魔女は……』

『しかし興味深いな。彼女は私を籠絡しようとしているのか?』

『ではこうしよう。君は前々から言われた通り、惚れ薬の入ったハンバーガーを作る。そしてそれを私でなく、彼女――ヴァネッサに出してくれ。おそらく彼女も何か考えてはいるだろうが、あとは私がなんとかする』

『大丈夫だ……彼女には、私も聞きたいことが山ほどあるからな。君の考えている"最悪の結末"にはならない、それだけは保証する』


 油の中からポテトを引き上げ、あとは余熱で中まで熱を通す。

 パティをひっくり返し、焼き目の付いたバンズを外しながら考え込む。


(……)


 リルの頭の中には二つの選択肢があった。

 一つは、あの時クローデットから言われたように、ヴァネッサのハンバーガーに惚れ薬を入れるやり方。クローデットはこの状況を利用し、ヴァネッサが黒魔女だという証拠を集めて効率的に追い詰めていくだろう。

 今のヴァネッサが例え善人だったとしても、過去の悪行が消えるわけではない。罪人は裁かれなければならないし、下手に庇うとリル自身も共犯になってしまう。


 だが……今、リルがここで頭を悩ませられるのも、全て「店長」のお陰だった。

 もう一つの選択肢は、当初の計画の通り、クローデットのハンバーガーに惚れ薬を入れるやり方。これによってヴァネッサはクローデットの心を手に入れ、彼女が望むままの生活を手に入れられる。

 ヴァネッサは過去に色々あったが、リルにとっては、あの時助けてくれて今まで一緒に暮らしてくれたのが全てだった。代わりなど存在しないのだ。例え彼女が、人々を恐怖に陥れた黒魔女――嘘と策謀を得意とする魔女だったとしても。


(…………)


 じっと、皿に置いた下半分のバンズを見る。

 今度は別の人物の声が聞こえてきた。


『いい? 料理で大切なのは、食べてもらう相手に喜んでもらいたい、その心』


 誰か、優しい人物が左肩へ手を置いたような気がする――

 神がかり的な"気付き"が下りたリルは、最後の最後で進むべき道を見つけたのだった。


(……これで、どうですか?)


◆ ◆ ◆


 綺麗に晴れた空が窓からよく見える。


「ヴァネッサ、今回の機会に、いくつか貴女の身の上を調べさせて頂いた」

「……へえ。何か見つかった?」

「貴女はどうやら、故オーレリアン公と手紙のやりとりをしていたようだ。彼のことは知っているだろう。……彼の最期も」


 クローデットは、料理が来るまでの間に簡単なを始めていた。早速話題に上がったオーレリアンは、彼女にとっては思い出したくもない人物だが……

 ヴァネッサは無言を貫いたまま、ふうん、と効いていない反応を返す。


「彼とのやりとりが始まったのは、私がここへ初めて来た日付より少し後からだ。私はあの時護衛をしていたが……確か、貴女が接客をしていたな」

「ええ、勿論あの日のことは覚えているわよ」

「文通をしていたなら、何か事情を知っているんじゃないか? 彼が怪死する直前の日付に、貴女の手紙がジラード家に届いていた」


 ヴァネッサにとっては劣勢ではあった。決定的なところまでは掴めていないが、状況証拠を着実に積み重ねて追い詰めようとしている。クローデットの物言いは明らかに彼女を黒魔女と疑っており、ここからシロだと信じてもらうのはかなり厳しい。

 しかしヴァネッサは堂々と振る舞った。交差した膝の上で両手の指を重ね、背もたれに腰掛けながらクローデットの翠眼をうっとりした様子で見つめ続ける。


「……黙ってないで、何か言ったらどうだ」

「貴女は私をどうしたいの? 何かを知っているから、わざわざここへ来て話をしようって言ったんじゃなくて?」

「質問に答えろ」

「だったら……"何も知らない"って答えたら、貴女は何をするのかしら」


 ヴァネッサの目から「遊び」が消えた。

 彼女の鋭い眼光はクローデットの全身を金縛りにかけようと突き刺さる。


「シラを切っても、無駄だからな」

「声が震えてるわよ」

だってことは、分かってるんだ……」


 会話が止まった。そのタイミングを見ていたかのように厨房から料理を持ったリルが出てくる。それまで見えないやりとりで火花を散らせていた二人だったが、すぐに元の柔和な表情に戻って皿が提供されるのを待った。


「お待たせしました。こちらがお客様、こちらが店長の分です」

「ありがとう、リル。それじゃあ早速頂こうかしら」


 窓際の席へ運ばれてきた

 水の減った二つのコップへリルが新しく注ぎ直す中、ヴァネッサは一足先に自分のものへかぶりついた。そのままウンウンと唸りながら二口ほど食べ進めたところで、彼女はふと何かに気付いて動きを止める。


 クローデットはその一瞬を見逃さなかった。手元のハンバーガーの断面を覗いていたヴァネッサは、違和感の正体に気が付いた瞬間に目元から力を失った。


「リル」


 ……ポットからの流れを受け止めるコップから、水が溢れていた。


「腕を上げたわね。肉の焼き加減も、スパイスの効き具合も、完璧だわ」

「……店長」

「美味しいわよ。ええ、とっても美味しい。流石ね……才能あるわよ……」


 沁み入るような声になったヴァネッサは、一度ハンバーガーを食べる手を止めていたが……堪えきれない様子で苦笑を零すと、そのまま残っている分をがつがつと食べ進めた。

 リルの目元には影が落ちている。

 状況を理解したクローデットは勝利の笑みを浮かべていた。だがすぐに、それを"目の前のハンバーガーを食べたくて仕方ない表情"へうまく偽装し、自分の元へ運ばれた料理へ大口を開けた。


「ああ、本当だ。これは美味しい……」


 久しく摂取していなかった新鮮な肉の脂が染み出していく。それは、クローデットのような厳しい生活をしていた人物にとっては涙が出そうな程に美味かった。

 だが……

 彼女もまた、二口ほど飲み込んだ辺りで動きを止めた。


「……ん?」


 口の中に残っている甘い後味に気が付いて声を出す。それが意外だったのか、釣られたヴァネッサが目を丸くしていた。クローデットは手元のハンバーガーの断面を見て……テーブル向かいのヴァネッサと目を合わせた。

 二人ともどういうことか分かっていない様子だったが、逆にことを悟った瞬間、今この場所で何が起きたのかを瞬時に理解する。


 ――ハンバーガーに「何か」を入れられたのは


「……私の母はいつもこう言っていました。"料理で大事なのは心だ"って。それってつまり、食べてくれる人に対する愛だと思うんです」


 沈黙を裂くようにリルは口を開く。そして、狂気が取り憑いたように目を開いたまま、歯を見せるようにニヤリと笑ってみせた。


 ただの店員の顔でない。

 覚悟を決めた、一人の魔女がそこにいた――


「だから、隠し味で"愛"を入れました。気に入っていただけましたか?」

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