休日をもらっていたリルは、その日の夕方に疲労困憊を体現したような姿で帰ってきた。一人で店を守っていたヴァネッサは二階へ上がっていく彼女の姿をカウンターから目撃する。
段を上る足取りはどこか重いようだった。
……ヴァネッサは、その時だけは、何も考えないようにした。
◆ ◆ ◆
「リル、ご飯できたわよ」
閉店後、店の片付けを終えたヴァネッサが夕食の完成を知らせてもリルからの返事はなかった。やっぱり何かがおかしい……ジャガイモのポタージュと簡単なサンドイッチをカウンターに用意してから二階へ上る。
そこは、人が居るとは思えないほどに暗く静まりかえっていた。
目をこらして見ればベッドでリルが横になっている。だが彼女は目を瞑ることはなく、じっと意識を覚醒させたまま闇の中に佇んでいた。何かをするわけでも、ヴァネッサの姿に反応するわけでもなく、ただそこに存在し続けている。
「リル?」
声をかけても返事がない。
「ご飯ができてるの。一緒に食べましょう?」
「……いらない、です」
「もしかして、どこか具合悪い?」
「いらないんです、ごめんなさい……」
そう言ってリルは身体を回すと背を向けてしまった。
ヴァネッサは急変の原因を急いで考えてみる。どうも、リルはヴァネッサのことを嫌がっているわけではなさそうだ。もっと何か、内面の深いところに原因がある気がする。そしてそれは、明後日にやって来る「会食」に影響を及ぼしそうなことも容易に推測できる。
(もしかして……)
最悪の予感は当たっていたようだ。どういう事情があったかは全て把握していないが、外に出たリルは何らかの策にかかって変わってしまったのだろう。
もし、ヴァネッサが彼女にかけられた「呪い」を解除できないまま明後日を迎えれば、当初の計画は瓦解するに違いない。仮にクローデットが噛んでいたなら……今のリルを利用されて敗北まで追い込まれるだろう。
だが、この段階でできることには限りがあるのも現実だ。
あまりにも迂闊だった。あの時、リルを想うばかりに周りが見えなくなっていた。
(クローデット)
(貴女はもう私を……いえ、もしかしたら最初から……)
もしかしたら最初から、クローデットを手に入れるという計画はうまくいかなかったのではないか? 自分は一目惚れしたあの瞬間には既に盲目で、叶いようのない願いを抱いてしまったのでは?
全てを諦めろ、と絶望が心を侵してくる中……ヴァネッサは、最後の手段に出ることにした。理屈ではない。魔女として、"母親"としての責務を果たすのだ。
「明日は臨時休業にするわ。貴女を連れて行きたいところがあるの」
「……」
「貴女にとって大切なところよ。そういう場所があるのを、知っててほしいから」
リルはほんのちょっと背中を丸くした。声は届いていたようだ。
ヴァネッサはご機嫌を装って笑い声を漏らしてから一階の厨房へ戻る。
(……さて)
(やらないといけないこと、沢山あるわね)
カウンターに置いてある主無き夕食。ヴァネッサは大きな布をその上に被せると一人で自分の分のポタージュを啜り始めた。時間が経って冷めてしまっていた。