次の日、クローデットは曇天の下を歩いて「モキュモキュチキン」を訪れていた。昨晩広げた地図に書かれている建物の一つだった。店に入るや否や、受付のカウンターから頑張って頭を出していた小身の少女が素っ頓狂な声を上げた。
「わーっ、クローデット! なにをしに来たっ!」
「クローデット様!?」
店員のミーアが叫ぶものだから、調理場に入っていたソフィーもチキンを食べていた客も皆が反応する。クローデットは両手を前へ出すようにして落ち着かせた。
「急にすまない、一つ聞きたいことがある。店主はソフィーさんで良いかな?」
「はい、私に答えられることならば、なんでも」
「ソフィーねえちゃん、きをつけて! なんでもって言ったら――」
「こらっ、そんなこと言っちゃダメ! ……それでお話とは何でしょう?」
「この店のことなんだが……店の所有者が一年前に変わっている。何かあったのか、聞かせてくれないか」
クローデットは事の概要を話した。勿論、黒魔女のことは伏せて。
すると二人が静かになる。寂しそうな顔に変わったソフィーが口を開いた。
「……ああ、それは父のことですね」
「とーちゃん、去年亡くなっちゃったんだ」
「ええ。母も、ミーアが物心つく頃にはもう居ませんでした。それで店の所有権が変わって、今は私になっているはずです」
「そうか……」
ちらと客を見てみれば、中でチキンを食べている者の中には話を聞いて涙ぐんでいる者もいる。随分とこの店に思い入れがあるのだろう。客にも恵まれた良い店だ。
一連の会話からクローデットは「この場所ではない」と結論づけた。頭の中に並んだリストが一つ×印で埋まる。魔女に近付いている。
「事情は分かった。邪魔して済まなかったな」
「クローデット、チキンは買ってくか? 仲間の分もどうだ?」
「いや、美味しそうではあるが……遠慮しておくよ」
「もしかして、騎士団ってカネないのか? ソフィー」
「こらっ! もう、本当にすいません……」
「はは、まだ仕事中だからね。じゃあ失礼するよ」
店を出るまでソフィーはミーアを抱えながらぺこぺこ腰を折って礼していた。少し軽くなった肩で外に出たクローデットだったが、先程ミーアがストレートに叩きつけた言葉のダメージが後からやって来た。
(確かに、今の騎士団は金銭面で困っている)
(あの質問は耳が痛かった。そんなことない、という言葉が言えなかった……)
次の目的地まで歩きながら頭を掻いていると溜め息が出た。
今はやらねばならないことがある。前を向いて進むしかない。
◆ ◆ ◆
午後のレイヴン・バーガー。ベアトリスからの手紙を受け取ったリルは厨房に入り、閑散期の間に、明日へ向けたハンバーガー制作の仕上げに入った。
以前の試作品を本格的な「商品」にするため、実際に再現しながら細かな部分を手直しする。友をより喜ばせるためでなく――より綺麗に騙すため。
(全然慣れない。まだ辛い……)
殺されたくない。捨てられたくない。愛してほしい……それらの弱気な心が彼女を深い闇へと誘い続ける。試行錯誤の末に完成した新メニューを前に、リルの瞳は濁流のように汚れてしまっていた。
「店長、味見をお願いします。油の温度を少し下げてみました」
「……うん、いいわね。作業量はどう?」
「最初よりはずっと減りました。他のメニューと一緒に作っても大丈夫です」
「よくやったわ。じゃあメニューとレシピはこれでいきましょう。明日は大丈夫そう? 貴女が作ってあげるのよ」
「できます」
リルはそう言って歯を見せるように笑った。――目は笑っていないままで。ヴァネッサは覚悟を決めたリルを優しくハグすると、背中をトントンと叩いた後に次の仕事を指示する。
「片付けは私がやっておくわ。また接客に戻って頂戴」
「はい。任せてください」
厨房を出たリルは、テーブルに残った皿を下げて拭き掃除に励む。
健気に働く姿は最初から全く変わっていなかったが、ここ二月の間に彼女の精神は別人のものへ変わっていた。仕事の中で自信はつくようになったし、料理人としての将来を考える余裕もできた。一人前の「大人」になれるかもしれない。
だが、ベアトリスに手をかけなければならないことが、リルの心に長い影を落としていた。自分を助けてくれたヴァネッサにも幸せになって欲しい。でも……
(……もし)
(お母さんが今も生きてたら、色々相談できたのかな)
(なんで殺されちゃったの? とっても凄い魔女だったんでしょ?)
テーブルを拭く手が止まっていた。
目が潤む中、周りの客からの視線を気にして必死に笑顔になる。
(私、やっぱり、お母さんに会いたい……)