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8-3 ここでは店主が一番偉い

「えっ、クローデットがこの店に来たの? 茨の魔女ソーン、嘘は言ってないわよね」

「本当だ。ちょっとした観葉植物を買っていった……」


 よく晴れた昼下がり、ヴァネッサは新メニュー開発に必要なスパイスを揃えるために名無しの薬草屋を訪れていた。そこで聞いたのが、騎士団長クローデットがこの店を訪れていたという事実。

 ここに薬草屋がある、という事を知っている人間は多くない……しかし茨の魔女は事態の経緯にある程度見当がついているらしい。


「多分だが、砂魔女の持っていた手紙を読んだんだろう。私も何度も文通したことがあるからな、店についてどこかで書いていたかもしれん」

「そういうこと。彼女の手紙、騎士団が持っていてもおかしくないわね」

「もしかしたらお前が出した手紙も読んでいるかもな。……待て、誰か来る」


 カウンターの横に置かれていた水晶玉へ誰かが映った。

 それは白銀の鎧を着た二人の人物。そのうちの一人は、仲間に担がれるようにして運ばれている、白髪の麗人――


「あの、ローラさん……!」


 ヴァネッサが息を呑んでいる間に戸を開けて入ってきたのは黒髪ブルネットの女騎士だ。彼女は茨の魔女のことを知っているようで、一緒に連れてきた騎士団長――クローデットを半ば背負うような格好で必死の形相をしていた。

 彼女の視線は焦点が定まっていない。何があったのかは分からないがひどく痛ましい……しかし、ヴァネッサは今すぐ支えてあげたい気持ちを堪える。


「ベアトリス君? いったいどうしたんだい」

「クローデット様が、風邪を引いてしまって。薬を作ってあげてください! できれば、彼女の目の前で調合して頂ければ」

「そういうことか、分かったよ。……ヴァネッサ、お前も看ててやってくれ」

「えっ、わ、私!?」

「……ヴァネッサ? 君もいるのか?」


 薄ぼんやりとしたクローデットの視線がヴァネッサの方を向いた。

 薬草屋にいる自分を見られてしまったこと、想い人の弱った姿を前に落ち着いていられないことから彼女はそのまま消えてしまいたかったが、意地悪な旧友はそれを許さない。むしろ良い機会だと言わんばかりに追い立てる。


「ベアトリス、こいつは私の友達でな。役に立つと思うぞ」

「いえ、でも、そんな私が……」

「ヴァネッサ」


 茨の魔女は、店の奥に消える前に彼女を睨み付けて――

 、と口だけを動かした。


「――不束者ですが、お手伝いさせてもらっても?」

「助かりますが……お二人は知り合いですか?」

「えっ? ちょっとだけ、お話をしたことが……」

「ああ。大丈夫だ、ベアトリス――」


 薬草屋の丸椅子に座らされたクローデットはゆっくりと返事をする。だが一人で身体を支えることも限界のようで、自らが探している黒魔女へ知らずのうちにもたれ掛かってしまっていた。


 至近距離で触れたヴァネッサは顔を真っ赤に染めて魅入ってしまう。

 クローデットの力ない表情は彼女の嗜虐心を刺激するものだったが、それと同時に自己犠牲を伴った奉仕の欲求が芽生えていく。


「ごめんなさい、私はあまり外を知らなくて……どうしてこんなことに?」

「私が説明します。クローデット様は先日、デュラン家の館の前に三日立ち続けたのです。詳細は省きますが、騎士団とデュラン家は仲が悪く……それでも任せたい仕事があると言ってクローデット様は――」

「三日!? 信じられないわ。雨も降っていたじゃない」

「それをやったんです。申し訳ありません。もっと早く気付くべきでした……」

「……構わない。全部、終わったことだ」


 そう答えるクローデットの声には明らかに元気がない。


「ヴァネッサ。君は、この間の決闘試合を、見ていただろう」

「気付いていたの」

「君は店の格好をしていた。すぐに分かった……もしかしたら、貴女とは、不思議な縁があるのかもな。う……」

「無理しないで、クローデット。薬を飲んだらすぐに良くなるわ」

「ヴァネッサ様、私は帰りの馬車を手配してきます。クローデット様を……どうか」

「すまない、ベアトリス……迷惑をかける」


 ベアトリスが店の外へ駆け出したのと同じタイミングで茨の魔女が戻ってくる。クローデットの目の前で調合をするために引っ張り出した小さな調合釜をキャンドル台の上にのせ、横に二種類の「薬」を転がす。


 子供の握り拳程度の大きさを持つ薄茶色の塊と、細く長い形状の先で球体を捕まえた形の乾燥した花の蕾。どちらも特徴的な香りを秘めており、ヴァネッサはこれらをスパイスとして知っていた。


「二人とも、こっちに……ベアトリスは?」

「帰りの馬車を取りに行ったわ。続けて」

「わかった。それじゃあクローデット、机の上にあるものを全て確認してくれ。これは調薬に使う携帯用の釜だ。今は下から火を入れて暖めている……」

「……この、塊は?」

「これは世間ではジンジャーと言われる物だ、説明は要らないだろう。そしてこっちの細いのがクローブ、港を通じて輸入したものだ。どちらもスパイスの一種で、身体を内側から温める効果がある……今の貴女にはピッタリだ」

「感謝する。これでお願いしたい」

「よし、ちゃんと見てろよ」


 茨の魔女は手元の小刀をよく見せてから、それを使ってジンジャーを薄くスライスした。よく慣れた手つきで無駄が無い。そのまま彼女は小さなクローブの表を削り落とし、スライスしたジンジャー何枚かと共に携帯釜の中へ入れる。

 そして、台の向こうから水差しを持ってくると、それもまたクローデットへよく見せる。それだけなく、茨の魔女は水をコップへ注いでそれを飲み干してみせた。


「ウン、ちゃんと美味い水だ。安心して良いぞ」

「……ああ。続けてくれ」

「大丈夫よ、クローデット。彼女はこういう仕事は手を抜かないから」

「そうだ忘れてた、このままだと飲みにくいから最後に砂糖を入れる。これ」


 机の上に白い粉の入った小箱が置かれた。中には確かに白い粉が入っている。

 釜へ水を注いでいる茨の魔女が視線を向けた先、ヴァネッサはクローデットの顔をちらと確認してからほんの少し指にとって舐めた。舌が柔らかくなるような甘みが広がる。


「ええ。問題ないわ」

「本当かい、ヴァネッサ? あたしも確かめよう……おお、甘い。匙にすくって何杯でもいけてしまうね。じゃあ、このまま釜には火をかけて、煮立ったら砂糖を入れよう。それを冷ましたら完成だ」


 一連の操作がなされるのをクローデットはじっと見続けていた。彼女の姿勢を支えるヴァネッサは、時折体重で持って行かれそうになるのを耐え続けながらも彼女のやつれた横顔を見てしまう。

 どうしてこんなにも自己を省みない行動が出来るのだろう? 何が彼女を突き動かしているか分からないヴァネッサは悲しい顔をするだけだ。


 辛気臭い空気を感じた茨の魔女はちょっと考えた後、こんなことを聞き始める。


「……しばらくヒマだな。そうだ、お二人の出会いを聞いても良いか?」

「ちょっと!」

「ん?」

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