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8-1 リルのお勉強

 閉店後のレイヴン・バーガーで、夕食を摂ったリルはヴァネッサの机を借りて手紙の内容を考えていた。誰かに手紙を出すことは初めてだった上にいざ書いてみようとすると何を書くか全く思い浮かばない。

 インクのシミ一つ付けられないまま考え込んでいると、夜の仕込みを終えたヴァネッサが階段を上ってくる。


「どう? 内容は決まりそう?」

「ぜんぜん決まらないです……」

「……じゃあ、先に言葉を覚えてみましょう。確か、読むことはできたのよね」

「ちょっとだけですよ」

「これから出来ることを増やしていくのよ。貴女は物わかりが良いから」

「えへへ、そうですか……?」


 ヴァネッサは本棚に並ぶ背表紙をしばらく睨んで、その中から一冊を選んで取り出して渡す。中を開くと文字の羅列ばかりだったが、合間に挟まれていた挿絵の中にを見つけた瞬間、リルはこれがどんな本であるかを理解する。


「これって、料理のレシピですか……? 全部!?」

「ふふっ、その通りよ。これが料理の名前で、これが材料。ここにはどういう風に調理するかが書いてあるの。この本が読めるようになれれば、リルは自分で材料を探して好きな料理を作れるようになるわ」

「わぁ……」


 本の説明を受けたリルは、まるで優れた料理人が何人も自分の後ろで見守ってくれているような気持ちになった。文字の読み方さえ覚えれば、自分の気の赴くままに好きな料理の道を進むことができる。途中でレシピを忘れてしまったとしても誰からも怒られない。

 ベアトリスに向けた手紙とレシピ本。リルのモチベーションは急上昇だ。早速何か勉強したそうにしている彼女を無下にはできず、ヴァネッサは仕方なさそうに微笑んでページをめくる。


「じゃあ、そうね……今日はポトフの材料を書き写してみましょう。沢山の野菜が使われているから、言葉の感覚を掴む良い練習になるはずよ」

「やります!」


 リルは読み方を教えてもらいながら羽ペンを走らせていく。

 そうして、集中しながら一通り書き写して――大きな欠伸を漏らした。彼女の手元の紙にはレシピ本と同じ形式で言葉が並んでいる。それは多少不格好だったかもしれないが……ひとつひとつから、自分の手で文字を生み出す「書く喜び」が伝わってくるようだ。


「ふああ……ん、店長、できました……」

「良く書けてるわよ。じゃあ、今日はもう寝ましょう。遅くなっちゃったわ」


 それからのリルは昼間に働いて夜に字の勉強をする生活を送った。レシピ本の複写から始まった勉強が進むにつれ、紅魔女の物語、ラファーラ教の聖典、モキュモキュチキンの宣伝広告など様々な「文字」がその題材になっていく。

 言葉を覚えることはすなわち、自分自身の世界が広がるということ。リルはヴァネッサの元で勉強を重ね、遂に手紙で書きたい内容を見つけたのだった。


「店長。私、お母さんのことについて書こうと思うんです」

「お母さんって……確か、料理長さん?」

「はい。ベアちゃんなら、もしかしたら何か知ってることあるかなって……」

「そのお友達は騎士団の子よね? んん……」


 ヴァネッサは気難しい表情で思案に耽っていた。

 リルの母親が、彼女の考える"例の人物"である可能性は非常に高い。そうだとしたらきっと、騎士団側もリルに対して何らかのアプローチを書けてくることは容易に想像できた。ヴァネッサは自分が黒魔女だと悟られるような行動はしたくなかったため、リルを「そういう話」からは遠ざけておきたかったのだが……。


(でも……)


 期待とやる気に満ちあふれているリルの目を見てしまうと、それを断ることは出来なくなっていた。自分はもう傍若無人の黒魔女ではない――ヴァネッサは絡みついてくるしがらみへ一度は許しを与えることにした。


「いいんじゃないかしら。お母さんのこと、好きなんでしょう?」

「あ……はい。そうですね……」


 ちょっとだけ照れたように頬を赤くして、リルは視線を逸らしながら返事する。


「じゃあ、今から文章考えますね。……あの、店長、少しだけあっち向いててくれますか? 後ろから見られてると、恥ずかしくて……」


◆ ◆ ◆


わたしの友達、ベアトリスへ


 はじめてのお手紙です。がんばって書きました。字はうまくないかもしれないけれど、怒らないでください。ベアちゃんに、私のお母さんのことを知ってもらいたいと思って、お手紙を書きます。

 お母さんは騎士団で料理長をやってました。いつも、家に帰ってくると色んな料理を作ってくれました。でも、私はお母さんのことをよく知らないまま、離ればなれになってしまいました。

 ベアちゃんに知っていることがあればお手紙で教えてください。わからなくても大丈夫です。わたしたちは友達です。

                          リル

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