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7-5 決闘試合

 昼の盛りを過ぎた「レイヴン・バーガー」の厨房で、暇を持て余していたヴァネッサはクローデットを手に入れるための今後の方策を考えていた。


 イメージするのは、全てが終わった後、クローデットからキスをされて目覚める自分の姿。腕の中に収まる最愛の人を想像して頬を緩ませていると、もう反対の腕でリルが眠っていることに気が付いて……はっと我に返った。

 何かすることがないかと仕事を探して受付へ出る。すると、店の外を歩く人ちが妙に慌ただしい。先程まで接客に当たっていたリルは何かを知っているかもしれないと尋ねてみる。


「今日は何かあるのかしら」

「なんでも、外で決闘試合が始まるらしいですよ」

「ふうん。相手は?」

「すごく偉い貴族の人と、騎士団の団長さんって聞きました」

「えっ、クローデットが? そ、そう……」


 一抹の不安が芽生えた。いったい何があったのだろうか? 平然を装おうとしたヴァネッサだったが、厨房に戻っても同じ場所をウロウロと往復する足が止まらず、考えれば考えるほど外のことが気になって仕方ない。

 その様子を物陰から見ていたリルは、ひょっこり顔を出して声をかける。


「あの、そんなに気になってるなら」

「気にしてないわ、だって仕事があるじゃない」

「お店なら私がなんとかしてますから」

「でも、リルに一日任せっきりには出来ないわ……」

「大丈夫です、そこまで長くは掛からないはず――」

「行ってくるわ。店のことを頼むわよ、リル!」

「てんちょ……あぁ、いっちゃった……」


◆ ◆ ◆


 店の格好のまま出たヴァネッサは五歩歩いてその事に気付くが、今更戻る選択肢は頭にない。人の流れを辿り、城下町の東に広がる平原まで出てくる。


 門の近くに集まっていたのは数えるのも面倒になる程の群衆。彼らが作る円の中では木剣を持った貴族の男性と女騎士が距離を取って向かい合っている。

 ――クローデットだ! 二人の間には、修道女の装いをした審判の女がいた。


(間に合ったわ。まだ始まってないみたい)

(クローデットと、あともう一人は……)


 少しでも彼女の姿を大きく拝もうとヴァネッサは前へ前へ進んでいくが、どうしても最前列には出られず、仕方なく顔と顔の間から首を出して様子を見る。


「では最後に確認をしよう。木剣で相手の身体を狙い、勝負が決まったかどうかは審判が判断。決闘の勝者を決定する――これでいいな、レイモン卿」

「問題ありません……始めましょう」


 その名前を聞いたヴァネッサはレイモン・フランクルという青年のことを思い出した。フランクル家の当主の顔は知っていたが、確か彼には次の当主と目される線の細い息子がいたのだ。

 それほど重要な存在でもなかったため、顔も存在も忘れかけていたが……そんな彼は、貴族としての装いには身を包んではいるものの、歴戦の猛者と遜色ない決死の形相に変わっている。後には引き下がれない、覚悟を決めた顔つきだ。


「――始め!」


 最初の一撃を試みたのはレイモン。低い姿勢で攻勢を掛けた彼は鈍い風切り音と共に騎士団長の首を狙う。


(ああ、クローデット!)


 ヴァネッサは思わず目を覆った。

 ガン――と響く音。クローデットの顔の横、上向きへ構えられた剣がレイモンの攻撃を受け止めている。

 クローデットは何一つ表情を変えずレイモン――既に遠く引いていた彼を睨む。風が吹き、長く透き通るような白髪がふわりと揺らめいた。


(はあ、良かったわ。びっくりしちゃった)

(リルの言ってた通りね。これならあっという間に決着が付きそう)


 クローデットは自分から動くことはしなかった。

 手番を貰ったレイモンは次の攻撃の機会――騎士団長の堅い守りに隠された隙を丁寧に窺っている。彼の動きは型となる部分があるが、先程からのレイモンの剣捌きは戦いの精霊が宿ったように獰猛で、周りに決まった動きを感じさせない。


 レイモンは飛び出して三度の斬撃を仕掛けた。がっ、がつ、がん――弾ける打撃音で民衆が歓声を上げた。

 だが、どれもクローデットの少ない動きで止められて有効手にはならない。ヴァネッサは目立った動きのない彼女がただ不気味でしかなかった。何かを狙っている。


「どうしましたか、動きが鈍いですよ」


 威勢よく揺さぶりを掛けようとしてもクローデットはぴくりとも動かない。

 彼女は、最初に立っていた場から一歩さえ動いていない。繰り出された手数は多く、他の試合ならすぐに決着が付いていることだろう。しかし未だに有効手の一つもない現状にレイモンの目が不愉快に歪んでいた。


 ヴァネッサの脳裏に浮かぶ、かつて王城で対峙した時に啖呵を切った"白騎士"の姿。あの時と比べると今の彼女はまるで別人だ。相手の疲労を待っているのか?


(クローデット……貴女はいったい……)


 次に木剣が狙ったのは低い場所――クローデットの脚だ。

 そこで初めて彼女が一歩退いた。レイモンの振るう木剣の先が寸で躱される。


「はは、分かったぞ。脚だな……!」


 戦いの中で得た手がかりを確かめながら、距離を取ったレイモンはわざと隙があるように見せかける。相手が仕掛けたところから反撃のチャンスを作る狙いだ。

 だが、それでもクローデットは攻撃を仕掛けない……


 その間、レイモンは先程の手がかりから次の一手を導き出した。次の瞬間にはクローデットの脚部を狙った突きが繰り出され、獣のような突進と共にレイモンが咆哮を上げる。

 クローデットの剣先が、脚部を守るために下を向いた。

 彼の狙いはそれだ。レイモンの剣先はすぐに上を――騎士団長の首を狙いに行く。


 堅牢な守りをこじ開けてようやく繰り出される一突き。集まっていたギャラリーが皆口を開け、行く末を見守り……言葉を失った。ヴァネッサもその例に漏れず……。


「な……」


 渾身の一撃が彼女の首へ届くことはなかった。

 剣を握るレイモンの手首が、鋼鉄のガントレットに捕らわれている。


「なん、だと……!」


 剣先が、クローデットの首擦れ擦れで止まっていた。

 あと少し動けば剣先が届く。クローデットに一本を決められる。それなのに、レイモンは剣先を僅かに震わせることさえ叶わない。レイモンは手首を掴まれる事態に審判の修道女を一瞬だけ確認するが、彼女が待ったをかけることはなかった。


 貴族の戦い方に「相手を掴む」という行為はない。何故ならそれは「貴族らしくないから」だ。どういうことだと声を上げようとしたが……

 次に彼が見ることになったのは、逆光を背に佇む修羅の姿だった。


「――それで終わりか?」


 たった一言、低く、凄むように吐かれた言葉。

 彼の表情から一切の余裕が奪い去られる。手首を拘束されたまま必死にもがくも、その度にクローデットから逃れられないという現実が深まっていく。

 逃げられない。今の彼には、攻撃を防ぐ手立てもない――


(はあああ……)


 今にも足腰から力の抜けそうなヴァネッサ。彼女の眼前で、クローデットは掴んでいた手首を突き飛ばしてレイモンに尻餅をつかせる。

 彼の木剣が地面へ落ちた。急いで拾おうとするが、剣先は鋼鉄のブーツに踏みつけられる。ぴくりとも動かず……二度と拾えないように封じられてしまった。


「あ……ああ……」


 不動を貫いていた騎士団長が前へ踏み出す。

 重厚な鎧姿で歩み寄る彼女を前にレイモンは震え上がった。剣を諦めた彼は戦意を失った敗残兵のように後ろへ後ろへと逃げていく。だが――追いついてきた彼女の眼光に刺されて身体が凍り、遂に声も失った。


 クローデットは両手で木剣を握り、ゆっくりと、高く振りかぶった。

 さながら……処刑人が"仕事"をするように。


◆ ◆ ◆


「く、クローデット、手首を掴むなど」


 決闘試合が終わった後、腰を抜かしていたレイモンは震える声を必死に絞り出した。腕組みをしたクローデットは普段のように冷めた表情で彼を見下ろしている。


「あれが、認められるのか」

「筋は良かった。幼い頃から剣術を教えられてきたのだろう、我流も混ざってはいたが騎士相手でも十分戦える。だが――貴殿のような者は戦場ですぐに消える」

「……わからない」

「実戦でチャンスは一回しかなく、多くの場合で敗者は死ぬ。生存し続けるためには、自分を縛る思考の枠を外さなければならない。レイモン卿は強いが最初から"貴族の戦い"をしていた。私が手首を封じることなど考えもしなかったのだろう?」


 何か返事をしようと言葉を選んでいる様子だったが、結局黙ったままだった。


「更に言えば、審判には予め"話を通して"いた。周りにも騎士団の関係者は多く居る。貴公に負けるつもりは毛頭なかったが、万に一つがあるかもしれないからな」

「そんな。全部、最初から。じゃあ、私は……」

「手段を選ばぬ相手と戦うには、こちらも手段を選んではいけない。我々騎士団は百年以上こうしてきた。……このやり方しか知らぬのだ」


 レイモンは恐る恐る立ち上がり、前傾したまま肩を震わせるように引きつった笑いを漏らす。

 クローデットは物悲しい目を向けていた。泥で濁ったような瞳の奥には何が隠れているのか見当も付かない。そこには、軽々しく立ち入ってはいけない深い闇が広がっているようだ。


「レイモン卿。貴方は有望なお方だ、どうか焦らないでほしい。私のような存在へ堕ちるには、あまりにも、惜しい……」

「……どうかしてる」


 彼は逃げるようにしてこの場を去った。

 姿が見えなくなった後、修道女がクローデットの元に駆け寄る。クローデット様、と呼んで慕う憂い顔の彼女は、ほとぼりが冷めた頃にはどこかへ消えていた。

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