会談当日――「手土産」を持ったクローデットは時間通りにフランクル邸を訪れた。使用人の案内を受けて応接間に入ると、金髪の若い当主、レイモン・フランクルが彼女を待っていた。彼は柔和な様子で微笑みながら一礼する。
「遠路はるばる有り難うございます。是非掛けてください」
「レイモン卿、お近づきの印にこちらを。後で開けてください」
「感謝します、クローデット殿」
フランクル家の応接間は物が少なくすっきりとしていた。
贈り物を受け取ったレイモンはそれをソファ横のサイドテーブルへ乗せ、改めてクローデットと向かい合う。テーブルに紅茶を出した使用人が下がり、部屋には二人だけとなった。
「まずは改めて、突然の手紙にもかかわらず来てくださり、誠にありがとうございます。お忙しい方と聞いております故、お時間を取らせてしまってすいません」
「いや、貴殿が気にすることは何もない。本題に入ってしまおうか」
「そうですね。では、事前に手紙でも書きましたが……」
――彼の表情が変わった。
僅かの間に冷たい空気を纏った男は、俯いてから、低い声で言った。
「私の手で、黒魔女を殺させてください」
クローデットが無言で眉を上げる。
視界から色が抜け落ちた。レイモンの瞳の奥では濁った激情の炎が燃え盛り、背後からは頬がひりつく程の殺気を放っている。とても只事ではない。
しかし――クローデットは溜め息を吐いていた。
「……そうか。理由を聞こう」
「ご存じの通り、私の父は二年前に黒魔女と内通し、彼女に対して多くの便宜を図りました。今も彼は辺境の牢へ入れられて罪を償っています。しかし、残された我々は常に地獄を生き続けている」
「……」
「父以外の家族は私含めて罰を逃れましたが、このままでは、フランクル家は近いうちに四大貴族から転げ落ちる! あの時助けてくださったオーレリアン卿も死んでしまった。私が魔女を倒し、態度を示さなければならないんです」
一気に捲し立てるレイモンは腹を空かせた狼のようだった。
隙を見せれば殺されるのではないか? 聞く者にそう思わせるほど、今の彼には建前も余裕も無い。最初と正反対の、守りを捨てて全てを曝け出した物言いだ。
「これには、フランクル家の誇りがかかっている。私が今動かなければ……」
「もうよい」
静かに続けられる言葉は、彼女の小さな一言で止められた。
「貴公の考えはよく分かった。だが熱くなり過ぎだ。貴方がその心を失わない限り、魔女を討たずともフランクル家はもう一度再興することができる――」
「分かってくれないのですか。我々はずっと、あの女の影に怯えていたのに!」
「ならば尚更動くべきでは無い。彼女のことは忘れろ。全ては終わったんだ」
「貴女がそれを言うか――っ」
激昂を寸で抑えたレイモンだったが……彼は未だ、気が狂ったように首を振り続けている。今日初めて会った時の好青年はどこにも居なかった。最初からここには、魔女への復讐を誓う者しかいなかったのだ。
クローデットの視線はずっとテーブルへ落ちている。表情も冷めたままだ。
「反魔女派の先駆けだったオーレリアン卿は怪死した。貴女も現場を見ただろう!?」
「ああ」
「ならば分かるはずだ。あれは決して一人で死んだのではない。オーレリアン卿は消されたのだ……」
「その線もあるが、断定するには証拠が足りない」
「クローデット殿! まさか、貴女とあろう人物が怖じ気付いたのか……!」
彼は言葉を絞り出すように訴えた後、息継ぎをするように紅茶を飲む。
レイモンの物言いは、クローデットにとっては黒魔女を倒したがる自分自身を鏡で映したようだった。立ち向かう理由こそ違えど、何かにつけては黒魔女との関与を疑い、彼女を倒すべき悪だと本心で信じたがっている。
そして……自分が魔女を倒せば全てを丸く終わらせられる、と思っている致命的な部分も殆ど瓜二つだった。
「残念ながら……私は今の貴女を信じられない。何故、たった一人の魔女を相手にそこまで尻込みする? 本当は、貴女が恐れているだけなのではないか。戦ってみれば、存外あの女は簡単に倒せてしまうかもしれないのに――」
だが。
レイモンが黒魔女について言及した瞬間、クローデットが獣に変わった。
「黙れ……! 貴様は、あの女を何も理解していない!」
言葉は鋭い刃となって放たれる。
クローデットは背中を丸めて下を向いたまま歯を剥き出しにし、鋼鉄のガントレットで包んだ拳を強く握りしめて力を逃がしている。
レイモンも引く気配はない。両者の頭には血管が浮いていた。剣があれば、騎士団長と上流貴族とは言えどちらかが暴走して流血沙汰になっていたかもしれない。
「忠告しよう、レイモン卿。貴方はあまりにも不注意が過ぎる。もし私が彼女なら……貴様はこの会談で既に三度命を落としているだろう」
「なんだと?」
「一つ。私が贈り物として届けた、何が入っているか分からない箱を、貴公は目の届かない位置に置いた」
それを聞いた彼は思わず視線を横へ逸らし、先程差し出された小さな箱へ視線を釘付けにされる。クローデットはそのまま次の言葉を放った。
「二つ。貴公は、
「なっ、何を言っている、クローデット」
「三つ」
既に、二度の指摘を経て狼狽えた様子だった。
その真正面。俯いたままだった修羅が、ゆっくりと視線を上げて睨み付けた。
「――私は今、非常に機嫌が悪い」
時が止まった。
あれは、魔女よりもずっと怖いものだ――レイモンの身体から冷や汗が浮くも、腹の中で滾っていた復讐心は退くことを許さない。
そこへ、クローデットが駄目押しでもう一言付け加える。
「レイモン卿。あの女は
「……何を、言っている」
「そしてお詫びしたい。このような場で私も熱くなりすぎた。もし不服なら改めて証明の機会を設けよう。貴族の慣例に倣って、木剣を用いた決闘試合を行おう」
騎士団のトップと決闘試合――
提案を受けたレイモンは、しばらく息を整えてから、苦悶の表情を浮かべて頷いた。獰猛な獣に追い立てられた彼は逃げ道を自ら選ぶことも叶わない。だがそのたった一本の道は、今の彼にとっては光り輝いて見える道でもあった。
「分かった。日を改めて、私は、貴女に決闘を申し込む……」
静かになった騎士団長の目は虚ろに変わっている。
一方、若き青年の瞳では屈辱と恐怖、激しい怒りの色が混ざっていた。