騎士団長クローデットは、数日後にフランクル邸で会談を行う約束を交わした。
それまでの間、諸々の雑務をこなしながら、黒魔女の書いた手紙から彼女の素性を読み解いていく。淡々とした攻撃的な言葉遣いが並ぶ中、その中には確かに彼女の知性や聡明さが滲み出ており、読めば読むほど彼女の本当の姿に興味が湧く。
森に棲む生物をよく観察し、薬草の知識を豊富に持ち、生活に必要な魔道具を自作する。まるで技術者のようだ。魔導工学の分野一つとっても、現在の城下町で活躍する職人と張り合えるかもしれない。
深く溜め息をついたクローデットは、自分がこれから相手しなければならない存在があまりに強大に思えて尻込みしていた。しかし……
……もし、倒すべき敵でなく、共に飲み交わせる友であったら。
「クローデット様」
「……ベアトリス? ああ、すまない。気が付かなかった」
「失礼します」
ドアノックの音に遅れて気が付いたクローデットが返事すると、肩で切り揃えられた黒髪を晒したベアトリスが心配そうな顔で入ってくる。
クローデットは心ここにあらず、といった様子で虚空をぼんやり眺めている。ベアトリスはきょとんとした表情で、持っていた手紙を机に置いた。
「ブリアン家からお手紙です」
「ん、この間話した魔道具の設計か。なるほど、これなら"虫"には丁度良い」
「どういう話か、聞かせてもらってもよいですか?」
「ああ……西砂漠で倒した例のサンドワームの死骸に、大量の卵が植え付けられていた。調べによると、あれは"虫"の卵のようでな。いつ孵化するかは分からないが、群れが町を襲うことも考えて、ブリアン家に駆除用の魔道具を依頼したんだ」
そう説明していたクローデットだったが、彼女は既に別のことを考え始めている。手紙を置いてしばらく、ぼうっとしたように身体の動きが止まっていた。
「あの、クローデット様?」
「そうだ、返事をしなければな。楽しみにしている、とでも書いておこう」
「お忙しいなら代筆いたしますが」
「大丈夫だ、私がやる……そうだベアトリス、君に大事な用事を頼みたい」
「何でしょう」
「大聖堂で修道服を一着借りてきてくれ。後で、君に一仕事してもらう」
「……? はい、わかりました」
長居させる理由もなかったため、クローデットはベアトリスを自由にする。そうしてまた部屋で一人になると、頬杖をつきながら物思いに耽っていた。
◆ ◆ ◆
一方、騎士団長室を出たベアトリスは、廊下をゆっくりと歩きながらクローデットの表情を思い出していた。
ジラード家の当主が亡くなってからずっと、クローデットは険しい顔つきで何かを考えている事が多くなった。ベアトリスは戸惑いつつも、未だその理由を知ることが出来ていない。まさか、"最近人が変わったようですがどうしましたか"など訊けるわけもなかった。
(最近のクローデット様は、まるで何かに憑かれているみたい)
(あの顔は、恋を知った乙女でもなければ、復讐に燃えるならず者でもない)
クローデットの仕事が常にベアトリスと情報共有されているわけではない。しかし、今回彼女が見せるのめり込み具合は異様なものだった。連日書庫に籠ってひたすら何かを読み漁り、姿を見る時も常に何かを考え込んでいる。まるで、この現実を生きていないかのように。
だが、それ以上にベアトリスを焦らせているのは、今の自分が彼女のために殆ど何もできないという状況だった。どうも最近のクローデットは周りと透明な壁を作っており、何かに一人だけで取り組んでいる様子が窺える。
考えすぎかもしれないが……今のベアトリスは、それがひどく寂しい。
(一体、貴女には、何が見えているんですか?)
何かあればきっと、自分にも教えてくれるだろう。
今のベアトリスはそう自己暗示をかけて不安を乗り越えるしかなかった。
◆ ◆ ◆
フランクル家との会談前日、クローデットは朝のうちに騎士団寮を出た。
彼女が向かった先は……細い路地の中にある薬草屋。古い手紙に書いてあった情報を頼りに名前の掠れた看板を探す。そうして目当てのものを見つけると、一度深呼吸をしてから扉をノックした。返事を聞いてから中に入る。
「まさか、貴女が来るとはね……騎士団長クローデット様」
様々な薬草の入った棚が並ぶ狭い店の奥で、エメラルドグリーンの顔布が印象的な女がニヤニヤと妖しい笑みを浮かべていた。彼女は安楽椅子に腰掛けたまま珍しい客の顔をまじまじと見つめ、どこか余裕のなさそうな表情に前歯を隠す。
「その様子だと急ぎか。何が欲しい」
「なんでもいい、植物の鉢を一つくれ。両手で持てるくらい小さくて構わない」
「自分用か?」
「ちょっとした贈り物にする。袋か箱もあるといい」
「だったらハーブが無難だな。用意する、待っててくれ」
店主が奥へ姿を消している間、クローデットは初めて訪れるこの不思議な空間を見回してみる。仕事柄ある程度薬草の知識はあったが、それでも見たことのない物がいくつも並ぶこの場所は俗世からかけ離れている印象を与えた。
書庫で見た砂魔女の手紙を思い出す。
"この店には茨の魔女がいる"……先程の女性がそうだろうか?
「お待たせ、丁度良いのがあったよ」
そうしてカウンターに置かれたのは、両手で作る輪より僅かに小さな鉢。中では背の低い植物が植えられており、紫と白の混じった小さな花を咲かせていた。
「ああ、大きさは丁度良い。品種は?」
「タイムだ。ハーブティーにして飲んでも良いし、料理にも使える。それに、これは勇気を象徴するとされているんだ。プレゼントにピッタリだろ?」
「ああ、文句ない」
「騎士団へ手紙を送るから、時間のある時に後払いしてくれれば良い。じゃあ、こいつは箱に入れてから布で包んじまうぞ。そうそう、値段は……」
緑の装いに身を包んだ女は軽妙な語りで取引を終えてしまった。クローデットはまるで自分が見透かされているような気分になりながら、目の前の女性が慣れた手つきで包装を終えるのを見ているしかなかった。
商品を受け取る時にふと二人の視線がぶつかる。その瞬間――
クローデットは自分に向けられた視線へ殺気を覚え、顔を硬くした。
「一つ聞いていいか……この店、どこで知った?」
好戦的な笑みを隠さない店主の女はまるで試すような物言いをしながら、呆然と立つクローデットへ身を乗り出すように迫った。
ぞくり、と冷たいものが白銀の鎧に包まれた背中をなぞっていく。
「――知り合いが、ここをひどく気に入っててな。特別に教えてもらった」
「そうかい」
沈黙。
彼女からの視線が突き刺さり、身体全体がじわりじわりと痛む……
「……団長のプレゼント、喜んでくれると良いな」
「そうなることを願っている」
「気をつけて帰れよ。鉢は焼き物だから、落とすと割れるぞ」
挨拶を済ませたクローデットはそそくさと逃げるようにして店を出て、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むように深呼吸した。
(ようやく……落ち着ける……)
(クソっ、ただの買い物で済ませるつもりだったのに)
(それなのに、この寒気は何だ? あれが、彼女の手紙にあった――)
――茨の魔女。
騎士団の記録に残されている魔女のうち、生きている中ではもっとも旧い魔女。少なくとも四十年余りは町と共に過ごしてきたと言われている。
彼女は植物を自由自在に操るとされ、そこから「茨」の名前がついていたが……他の魔女たちと異なり、最初から城下町で人間と共に暮らすことを決めた
そのような存在と邂逅を果たしたクローデットは、覚悟して自分から訪問したにもかかわらず、随分小心者になっていたことに気付いて自己嫌悪で顔を歪めた。
(ダメだ、二年前の気持ちを思い出せ。私は黒魔女《ヤツ》を倒すんだ……)
クローデットは、息をしっかり吸って気を確かに持つと、植木鉢の入った箱を大切に抱えて騎士団寮へ持ち帰った。足取りは未だに重い。