あれから幾日が経って、街は形の上では元の暮らしを取り戻していた。何事も無かったかのように晴れ渡る青空の下、業務の合間にリルはあることを思い至った。
「店長、新しいメニューとか考えないんですか?」
厨房でフライドポテトを揚げていたヴァネッサは、それを聞いて自分が経営者でもあることを思い出した。彼女が言った通り、彼女は「レイヴン・バーガー」の開店から一度たりとも新しいメニューを考えたことがない。
もうすぐ店を開けてから二月が経つ。ヴァネッサにとってこの店はクローデットへ続く足がかりだったが、リルの言うことももっともである。
「確かに、ずっと同じメニューだと飽きが来るかも。何かアイデアはある?」
「う、コレってのは無いんですけど……」
「じゃあ一緒に考えていきましょ。焦らなくて良いわ、時間はあるもの」
「はーい」
前向きな返事を貰ったリルは、まずは今何が提供されているかを確認するため、客へ見せる用のメニュー板をじっと見つめ始めた。
まずはお店の顔でもあるハンバーガー。店の特製ソースを使ったこれは、ここでしか食べられない不思議な美味しさで不動の人気メニューになっている。注文の時にはチーズなどのトッピングを挟むこともでき、これによって「チーズバーガー」「ダブルバーガー」など、客によってある程度のアレンジが可能だった。
そして、これの他にも「レイヴン・バーガー」ではいくつかの軽食を提供している。例えばそれはパンケーキ、角切りのパンのトースト、目玉焼きとハンバーグのプレートなどのメニューだ。注文の大半はハンバーガーだが、これらの注文が入る度、リルはここが「
(うーん……何か新しいものを入れなくても、このままやってはいけそう……)
(でも、何かしなくちゃって思っちゃう。店長は大人だから我慢できるのかな?)
そんな風に考えていると、ぼやけていた視界に緑色の服を纏った客が現れる。いつぞやのベアトリスの姿を思い出したリルはすぐに顔を上げるが、すぐにそれは別の人だと言うことが分かった。
「いらっしゃいませ! ご注文は?」
「ハンバーガーを一つ、ポテトを多めにしてください」
「わかりました! 座ってお待ちください!」
リルはそれをすぐに厨房のヴァネッサへ伝える。その後、再び新しいメニューのことを考えようとした時、先程の出来事からベアトリスの顔を思い出した。
まだ片手で数えられる程度しか会っていないが、彼女はリルとは大変気が合いそうではある。初めて会った時に辛いチリドッグを分け合ったあの日から、食べることが大好きである共通点が二人を強く惹きつけ合っていた。
「……?」
ふと、こんな考えが頭をよぎった。
この店に、ベアトリスが喜ぶような「辛いハンバーガー」はあっただろうか?
(……おおっ)
(なにか、良いアイデアが思いつきそう!)
考える手がかりを得たリルはウキウキした気分で受付に立っていたが、客が来るとふと我に返って照れくさそうに接客へ戻る。店のメニューに新しいものを増やす、そしてそれは「憧れの料理人」に一歩近付くことになるかもしれない……店に来てひと月余りが過ぎて、リルは一番の胸の高鳴りを覚え始めていた。
◆ ◆ ◆
「そうね、他の店の料理に触れることは大事だわ。行ってきていいわよ」
「わ、いいんですか!?」
「その代わり、何があったか後で教えて頂戴。店のことは私がやっておくわ」
「やったー! 店長、ありがとうございます!」
その日の夕方、少し早い時間に仕事を抜けたリルは城下町の外食街に来た。両脇に飲食店が並ぶ通りはどこも良い匂いに包まれており、この中から店を一つしか選べないことが恨めしくて仕方なかった。
しかし悩んでいる時間はない。とりあえず、ベアトリスが食べていたあのチリドッグを探さなければいけない。
(似たような感じの食べ物を売ってるお店は……あ)
店の看板を見ながら歩いていると、横に一台の移動式屋台が止まっていた。看板には「ゲイリー・ドッグ」と大きな文字で店の名前が書かれ、カウンターの向かいには反対側にはバンダナを頭に巻いた大柄な男性が立っている。
彼の周りには肉体労働帰りの煤汚れた男たちが集まって次々と「料理」を受け取っていた。ドッグという名前に引っかかったリルは近くまで寄って、男たちの間で背伸びして屋台を覗いてみる。
鉄板の上で温められる何本ものソーセージ。パンに染みるほど塗られた黄土色のソース、具材をパンに挟んだ上からかけられる「赤のソース」……リルはごくり、と唾を飲んだ。
(もしかして、ベアちゃんが食べてた物って……)
客によってはソーセージの上から更にみじん切りの具を乗せている。そしてそれは以前にベアトリスからお裾分けしてもらったものと完全に一致していた。
これだ。リルは屋台の周りの客に紛れてチャンスを待つ。そして前に居た人たちが皆いなくなった隙を狙って、店主の男――ゲイリーへ話しかけてみた。
「あのっ」
「いらっしゃい! 嬢ちゃんもホットドッグかい?」
「えっと、チリドッグってありますか」
「チリドッグ? おおっと、こいつは驚いた。てっきりアレを頼むのは野郎共とあの姉ちゃんだけかと思ってたが……よし、ちょっと待ってろよ」
何やら不穏な物言いだったが、緊張する暇はない。
彼はリルの眼前で細長いパンを開くと、そこへ鼻の奥を突くような香りの黄土色のソースを塗りたくる。そこへ刻みタマネギを敷いてから、何本も並んでいるボリュームあるソーセージを乗せて挟む。
目にも留まらぬ早業だった。豪快でありながら無駄なく手慣れている。
(わあ……!)
そして……壺に入っていた匙を取って、中に入っていた赤く粗い粒状の具材をホットドッグの上へ乗せ始めた。リルはそれを見ただけで、鼻の頭がつんと熱くなるのがわかった。
中に入っているのがタマネギだということはリルでも分かるが……一体どのようにしてあのソースを作っているのだろう? 疑問が次々と湧いてくる。
「はいよ、チリドッグだ。袋に入れてくかい」
「お願いします……あの、このお店にベアちゃ、ベアトリスさんって来ます?」
ゲイリーはチリドッグを細長い紙袋で包みながら、リルの質問を聞いてどこか納得したようにゲラゲラ笑った。それは街の喧騒に混ざって活気へ変わっていく。
「そうか、あの姉ちゃんの知り合いか。アイツなら昼とか夕方にたまに来るぞ。最初はそうでもなかったんだが、日に日にもっと辛いのじゃないと満足できないって言われたもんで、気が付けばこんなんなっちまった! はい、お待ち!」
「あ、ありがとうございます!」
リルはチリドッグの入った紙袋を受け取ると、そのままお礼を言ってゲイリーの屋台から離れた。そのまま道端で食べようかと封を開くが、中から立ち上ってきた空気が鼻の頭に汗を浮かせるとすぐに袋を閉じる。
せめて水を飲める場所で食べたい……リルは若干の駆け足で店へ戻った。
◆ ◆ ◆
帰った後、レイヴン・バーガーの厨房でリルはヴァネッサと一緒に例のチリドッグを開封し、二人で一口ずつ食べてみる。
「うぁぁ……ぁぁ、からいれぅ……」
「ぐ……これは、なかなか、来るわね……」
食べ慣れない辛さに二人は悶絶。リルは目の端に涙を浮かべ、ヴァネッサも赤くなった顔で舌の痺れを必死に耐え忍ぶ。膝をついたまま厨房の台を叩き、どうしてこのような物に手を出してしまったのかを後悔し、これを涼しい顔で食べるベアトリスという怪物に恐れおののいた。
何杯もの水を飲み、ようやく完食した二人は……この味を再現してメニューにすることは困難を極めるという結論に至る。
「うぇぇ、なんか、前食べた時より辛くなってる気がします……」
「極端すぎただけで、方向性は間違っていないわ。別の店にあたりましょう」
「新しいレシピの開発って、時間掛かるんですね……」
レイヴン・バーガーの新メニュー誕生は、まだしばらく先になりそうだ。