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6-5 黄昏の料理人

 ……遂に、オーレリアンと決着を付ける日がやって来た。


 日没と共に月が昇る夕暮れ、烏の帽子キャップを被ったヴァネッサは厨房で最後の注文を仕上げていた。形が崩れないようハンバーガーを個別に小さな袋で包み、揚がったポテトを入れた小袋と共に大きな紙袋へ丁寧に入れていく。


「リル、これを渡してあげて」

「はい!」


 一日の業務を終えたヴァネッサは腕を真上に伸ばす。普段ならば二人の夕食を作ってから調理器具を片付けに入るところだったが、焜炉の横にはハンバーガーを作る材料がまだ置きっぱなしになっていた。


 看板を「CLOSED」に回してきたリルにテーブルの清掃を任せている間、ヴァネッサは薬草棚をチェックして必要な物が揃っているかを確認する。


(……荒事は今日で終わり。確実に山を越えるわよ)

(私は黒魔女。黒魔女ヴァネッサ。街の皆を恐怖に陥れた最強の魔女――)


 目を閉じ、昔の自分が持っていた残虐性を蘇らせていく。だがその度に、不快感が冷たく尖った牙のように胸へ刺さってくる。それでも……クローデットの周りに蔓延る雑草を刈り取るため、リルのトラウマを少しでも晴らすため、昔受けた借りを返すため、"文通友達"の仇を討つため……

 ここへ来るまでの間に彼女は色々なものを背負っていた。目に見えない意志を持った霧のような何かが、ヴァネッサと周りの人間を一つの場所へ追い立てていくかのようだった。


 それでも、ヴァネッサは魔女だ。神も運命も信じるに値しない。


「店長、そんな難しい顔してどうしたんですか。もしかして、頭痛みます?」


 掃除を終えて戻ってきたリルの声でヴァネッサは我に返った。そんな風に見えていたのか、と自嘲しながらも大丈夫を装って笑みを作る。


「ご飯を食べたら、ちょっと外で薬を貰ってくるわ。もしかしたら遅くなるかもしれないから、先に一人で寝ててくれる?」

「はい……私が行きましょうか?」

「大丈夫よ。最近はリルに任せっきりだったから、たまには私が自分でなんとかしなきゃ。明日に向けてちゃんと休んでなさい」


 リルはきょとんとした顔で、こくこく、と頷いて返事した。そのまま心配そうに見つめてくるものだから、ヴァネッサは手を伸ばして頭を優しく撫でた。それでもちょっと納得して無さそうではあったが。


 何はともあれ夕食だ。リルが瓜の酢漬けピクルスを作っている間に古いフライドポテトの箱を出す。最近は不機嫌な空模様が続き、事前に用意した芋が余っていたのだった。まだ食べられはするが明日へ持ち越すには心許ない……。


「店長、今日は何作るんですか?」

「余り物でハッシュドポテトを作るわ。折角なので肉も焼いちゃいましょう」

「やったぁ! じゃあ、油はそのまま残しておきますね」


 きらきらと眩しい笑顔で最後の一仕事に取りかかる姿を前に、何故か魔女にあるはずのない罪悪感がふつふつと湧き出した。ヴァネッサはこれとどう向き合えばいいか悩みながら手元の芋を切り刻んでいく。

 片付けを終えたリルに肉を焼くのを手伝ってもらい、その間にヴァネッサは仕上げた物を揚げて――簡素ではあるが、満足感の高い夕食が出来た。


「わぁぁ……先食べちゃって良いですか!」

「もちろん。喉詰まらせないように、ちゃんと水も飲みなさい」

「はーい!」


 料理の皿と水の入ったコップを持ってカウンター席についたリル。そこへヴァネッサがフォークを差し出すと、彼女はそれを握るように使ってハッシュドポテトにかぶりついた。芋の断面から油が染みだした瞬間、リルは言葉にならない声を上げてから自慢の店長へ親指を立てる。

 ……このまま何もなかったことにしたい、と思ってしまったヴァネッサは自嘲する。やらなければならないことはあまりに多いが、少なくとも今は自由だった。


◆ ◆ ◆


 リルが二階のベッドで横になった後も、ヴァネッサは一人で店に残っていた。

 この後はジラード邸に行かなければならない。だがまずは、その為の準備だ。


を持っていかないといけないわね、ふふ……)


 少ない本数の蝋燭が暗い厨房を頼りなく照らす中、彼女は炉に魔法で火を入れてフライパンを温める。準備が出来たところへ、普段の営業を同じように挽き肉の塊を乗せてパティの形へ潰した。

 具材を挟むバンズも断面にしっかり焼き色を入れる。野菜の下準備も終え、いよいよ木皿の上でハンバーガーを組み立てる作業に入った。


(……さて)


 揺れる炎が、皿の上に乗った下半分のバンズを闇に浮かべている。


 まずは、味の決め手である「魔女のソース」を焼き面に塗りたくった。量は普段より多い。口にした時により一層濃厚な味を叩き込む。

 何よりも、このソースは未だ、オーレリアンが口にしたことないものだった。(味を誤魔化すためには、前と同じ料理をそのまま出すのは得策ではないわ。奴が以前に食べたハンバーガーの味を覚えていたら、毒に気付く手がかりを与えかねない。今回は、あの時使わなかったこのソースにしましょう)


(次は……)


 顎に手を当てて、しばらく思案してから……レタスを少なめに乗せた。その上に温かく肉厚なパティを乗せた後、ヴァネッサの視線が上へ動く。

 薬草入りの瓶が並ぶ棚――手の届きやすい場所に一本、開店当初は無かった小さな瓶が置かれている。


(特別に、秘密の隠し味をつけてあげるわ。わよ……)


 夜な夜なすり潰して作った乾燥ジギタリスの粉末。ヴァネッサはじっと息を止めて真剣な目になると、それらをパティの上にまんべんなく振り撒いた。そこへ赤のソースルベル・ソースを塗りたくって、粉が漏れ出すことと香りで悟られることを防ぐ。

 最後に、より一層分かりづらくするために、炒めた刻みタマネギをを散らした。上半分のバンズを被せ、形が崩れないように小さな紙袋に入れる。


(……これでいいわ)

(そろそろ時間ね。さあ、最後の一芝居といきましょう)


 出来たてのハンバーガーを籠に優しく置き、冷めないよう布を被せてからヴァネッサは深夜の街へ忍び出た。纏っているのは、以前ジラード邸を訪れたときと同じ簡素な黒いドレスだ。


 空では満月が輝いている。その光に晒されないように闇を歩く。

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