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6-1 二本のワイン

 半月の夜のジラード邸。ヴァネッサとオーレリアンの会食は、料理に携わる使用人以外が部屋から出されてほぼ二人きりになっていた。手元の器にはスープとしてジャガイモのポタージュが用意されている。


「ヴァネッサ殿、貴女のような聡明な方と今を共に過ごせて、大変嬉しく思う」

「買いかぶりすぎです。私は、どこにでもいるような軽食屋の女店主ですよ」


 風の女神を象った華々しいシャンデリアが見下ろす中、ヴァネッサは愛想笑いを作りながら頭の中で現状を確認する。


 瓶は二本ある。

 一本は、白葡萄酒ワインの「ゼフィール・ブラン」。大聖堂が醸造に携わったこの一本はアルダブルでは比較的手に入りやすいもので、品質も良いことから挨拶で持って行く贈り物ギフトとして評価が高い。今回は会食で"流れ"を作るために持ってきた。

 そして二本目が、緑葡萄酒の「サン・ロマーレ・スロワ・ヴェール 紅魔女歴」。港町サン・ロマーレの修道院が造ったもので、ヴァネッサの家の地下室で長らく眠らされていたものだ。紅魔女を討伐した記念に造られたこれには、およそ八十年の深み……人の生涯をも超えた歴史を宿している。


 彼女の見立てが正しければ、情報を引き出すにはいくつか手順が必要になる。この二本のワインを的確に切り出しながら、ヴァネッサは「砂魔女の最期」にまつわる最後のピースを聞き出すのだ。

 女好きで卑しい面があるものの、オーレリアンは二年前に黒魔女と真正面から対抗すると決めて戦い抜いた男である。一度でも疑われれば厳しいだろう。


(オーレリアン程の貴族なら、紅魔女歴のワインの価値は分かるはず)

(分からなくても知ったかぶりするでしょうね。私にはいい顔を見せたいもの)


 一通りの確認を頭の中で済ませたヴァネッサは目の前のスープに顔を近づけ、風味良い香りを確かめてから目を閉じて鼻を鳴らした。


「……素敵な香り。これは中にアーモンドミルクを?」

「おお、分かっていただけると思っていたぞ。やはり貴女は素晴らしい料理人だ。実は、今日のために一番良いものを持って来させている」

「私の店でもサン・ロマーレから取り寄せたものをドリンクで出してます。匂いですぐにピンときました。あれは砂糖が入ってるから、特に若い人に受けが良くて」


 既に事は始まっている。

 ヴァネッサは長い指を優雅に伸ばしてスプーンをとると、滑らかな白色のポタージュをすくって食べた。丁寧に濾し出されたジャガイモのコクに鶏肉とタマネギのエキスが隠れている……ひと口で、口の中全体に旨味が沁み込んでいくようだ。


(――うん、腕の良い料理人を抱えているだけあって、ちゃんと美味しいわ)


 舌を動かしてより味の深いところまで探るも、ヴァネッサに違和感を与えるようなものは混ざっていない。

 真正面では、彼女の満足げな笑みを見たオーレリアンも美食に浸り始める。ひとまず度胸で一歩先を行った。ヴァネッサは"万が一"の対策も用意していたが、とりあえず今は杞憂で済んだようだ。


「以前手紙に書いた通り……、私は魔女に対して強気な姿勢を取る貴方を尊敬しています。今回、ワインを二本お持ちしましたが、まずは一本を一緒に楽しみたいと思ってて」

「ああ、それは良いな! グラスは用意してある、一緒に呑もうじゃないか」


 机には同じつくりのワイングラスが二個並んでいた。ヴァネッサは布の掛かった籠から「ゼフィール・ブラン」を取り出し、オーレリアンにも分かるようにラベルを見せる。ウン、と満足そうな唸り声が聞こえた。


「良い酒を選んだな、ヴァネッサ殿。普段から嗜んでいるのかね?」

「少しだけですが。父が生前、飲み方を教えてくれまして」

「きっと良い育ちなのだろう。生まれは?」

「行商を生業としていましたので、詳しくは……あちこちを転々としていました」

「成る程、道理で見識が広いわけだ。その経験が今の店に生きているのだろうな」


 話をしている間にヴァネッサはコルクを抜き、栓の香りを嗅いでから広い口のグラスへ注ぐ。そして、二人で目を合わせながら杯を掲げた。


「――この素晴らしい夜に」


 魚料理が出され、会食は滞りなく進んでいた。テーブルに置かれた大皿にはふっくらと熱されたヒラメターボットが鎮座し、厨房の使用人が二人の皿へそれぞれ取り分けてくれていた。

 料理は美味しい。酒も悪くない。だけど、目の前に座っている人がクローデットだったらもっと……そんな意味の無いことを考えながらも、ヴァネッサはオーレリアンに愛想良く笑いながら次の手を繰り出すタイミングを見計らっていた。


「――へえ、それも貴族のお仕事なんですね」

「裕福な者は何かしら家業と呼べるものを持っている。だから家それぞれには都合というものがあるのだ。我々は、陛下から信任を受けた四大貴族の一人としてそれらを取りまとめ、政策に反映させなければならない」

「その四家の顔ぶれが変わることは?」

「ないわけではない。現に二年前は、親魔女派のフランクル家当主が黒魔女と通じていることが問題になった。幸いにも指示を受けていたのは彼一人だけだったから、フランクル家は首の皮一枚繋がったがな」


 街の話であれば大半はヴァネッサも既に知っているようなことだったが、情報収集に良い機会でもあったため、既知の話に隠れた新しい話をしっかり頭に入れる。


「そんなことが」

「おっと、折角の料理が不味くなるようなことを言ってしまったか」

「いえ、むしろもう少し聞かせてください。まだ私は何も知りません。貴族のことも……貴方のことも」


 やや上目遣いになって口を結んでみる。オーレリアンはすぐ饒舌になって続きを話してくれた。瓶の中に入っていた白ワインは料理と共に無くなっていき、ヴァネッサの手の甲が酔いで温かくなってくる。

 それでも彼女の頭は依然冴え渡っていた。どれだけ相手の身体に酒が入ったかを計算し、話題をどれだけ進めるかも考えながら話していく。


「魔女と言えば、私がよく耳にしたのは紅魔女の話ですが」

「ああ、確かに有名だな。もう半世紀以上経つが、未だに子供へ語る昔話の定番だ。今の騎士団が民に信用されているのも、小さい頃から"騎士が魔女を倒した物語"を聞いてきたからだろう」

「先月の凱旋パレードを見る機会がありましたが、凄い人でしたね。今の騎士団長も凜々しくお美しい方ですし」

「クローデット君のことか。彼女も苦労人だ。最近は毎日のように貴族の家を回って頭を下げている」

「……彼女が?」


 クローデットが頭を下げている?

 思わず素が出そうになった。ヴァネッサはすぐに反省し、興味深そうに見えるよう眉を上げてみる。予定とは違うが、これはこれで聞く価値のある話だ。


「二年前、我々ジラード家は騎士団と組む形で黒魔女の討伐を目指した。とは言え私のような者は戦闘では足手まといになる。荒事は得意な者たちへ任せ、貴族は財政面などの支援に勤しんだ。だが……」

「……黒魔女は、取り逃がしてしまった」

「ああ。追い払うことには成功したが、討伐には至らなかった。そして今、一部貴族の中では騎士団への予算を削ろうという意見が出ている……クローデット君にとっては辛いだろう」


 ヴァネッサの脳裏に、王城で"白騎士"と向かい合ったあの時の記憶が蘇る。あれから人が変わったのだとしたら、確かにあの時力強く啖呵を切った彼女にはしばらく会っていない。立場が人を作る、という言葉もあるが、逆に落ち着きすぎているようにも思える。

 もっとも、ヴァネッサはに一目で引き込まれて全てが始まったため、内面の変化はさして重要ではなかった。……それでも気になる人の情報は欲しい。


「騎士団長としてクローデット君はよく立ち回っている。だがその一方、彼女は黒魔女のことを未だ諦めきれていないようでな。"彼女の心は二年前に置き去りになっている"と言う者もいる」

「あの時のことが、未だに……」

「当人にしか分からないことがあるのだろう。残念ながら、クローデット君のことに関しては私でもどうにもできん」


 会話の熱が落ち着いてきた。ここからどうやって次の情報を引き出そうと考えていたら、台所からやってきた使用人が新しい皿を持ってきた。ウサギを丸々一匹ローストにしたもの――肉料理だ。


(……タイミングはここね。クローデットの話をもう少し聞きたかったけれど、今は当初の目的に専念しましょう)


 白ワインの瓶はもうほとんど空いていた。ヴァネッサは使用人の背を見届けて、下の籠をちらと見る。


「あの、風の噂ですが、ジラード家が城下町に潜む魔女を倒したと聞きました」


 オーレリアンの表情が変わった。眉を上げた彼は視線を少し落としてから、落ち着いた印象を与えるようにゆっくりと質問を投げかける。


「それは、いったい何処で聞いたのかね?」

「職務上、様々な客の噂話を耳にしますので。当然、真偽の程も怪しい話はいくつもありますが、せっかくですので伺ってみようかと。……それに、もし本当だとしたら、今の私は英雄と言葉を交わしていることになります」

「ははは……ああ、そうなるかもな」


 オーレリアンはなんでもなさそうに笑うが、それは一瞬の間を置いていた。ヴァネッサはそこへ空いた蟻一匹通れる程度の穴を見逃さなかった。彼女は話題を変えられる前に籠の中へ手を入れ、を引っ張り出す。


「あの。折角ですので、家にあったもので一番価値の高いものを用意しました。これを飲みながら、その話について詳しく聞かせていただけませんか?」

「それは――なっ、紅魔女歴!?」


 葡萄酒のラベルに印字された「紅魔女歴」の文字。八十年物のスロワ・ヴェール。紅魔女の討伐を記念して造られたこの一本が"物語"を纏って顕現した。

 人間の生涯をも超えた歴史がオーレリアンの目を釘付けにする。彼は不意打ちを食らったように言葉を失って……、やがて……小さな声で「わかった」と呟いた。


「そこまで用意されては断れんな。だが、他言無用でお願いしたい」

「勿論。それに、今後を考えると、貴方とこの家を少しでも知りたくて」

「おお……」


 ヴァネッサは恥ずかしそうに見えるよう視線を逸らしながら返事する。オーレリアンは瞳を大きくして感嘆の声を漏らした。場の空気が暖かい色へ変わっていくのを肌で感じながら、ヴァネッサは心の中で狡猾な笑みを浮かべた。

 勝った――この瞬間に、オーレリアン・ジラードの運命は決したのだ。

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