目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
4-2 ヴァネッサの休日

 次の日。ヴァネッサは店の仕事をリルに任せ、諸々の用事を済ませるための休みを貰った。

 晴れた日の午前、ジラード家の門の前。扉の横には鎧を纏った守衛が槍を持って勇ましい様子で居り、彼女が声をかけると礼儀正しく受け答えした。


「こんにちは。オーレリアン様に手紙を渡していただける?」

「ああ、ヴァネッサ様。お話は伺っております。オーレリアン卿なら中にいらっしゃいますが、直接お話をされていきますか」

「その必要はないわ。あいにく、これから別で用事があって」

「了解しました。確かに手紙を渡しておきます」

「頼んだわよ」


 何度か館の前まで足を運んでいた甲斐あって、手紙を届ける用事はすぐに終わった。ヴァネッサは急いでいる風を装ってジラード家の敷地を駆けるように離れ、そのまま城下町の裏路地に入った。

 涼しい風吹く日陰を抜けて見覚えのある店の前に出る。例の薬草屋だ。


茨の魔女ソーン、いる?」

「ん……ヴァネッサ。久しぶりだね、ひと月くらい?」

「店が忙しくて。それより、貴女に聞きたいことがあって来たのよ」

「いいよ、今日のあたしは気分が良いから……」


 エメラルドグリーンの薄布で顔を隠した"魔女"とカウンター越しに向き合って、ヴァネッサはしばらく言葉を探す。この二人の間に遠慮というものはないが、万が一でも第三者に聞かれてはいけない……戸の外に声が漏れ出ぬよう、低く囁きかけるような声で問いかける。


砂魔女サンド・ウィッチの話……同じ町に住んでて、彼女と交流はなかった?」

「随分と唐突な話だな。まあ落ち着け、ちょっと思い出す……ああ、そうだ。あたしがここに嫁いでしばらく経った辺りで、大砂嵐サンドストームの騒動があった。あれで確か、自分を倒しに来た騎士団の男と恋に落ちたんだっけ? それで……」

「ちょっと、要点だけ言って」

「バカ、順番に思い出してんだっつーの。……そうだ、それで騎士団の厨房に入ったから、手紙を送ったんだ。アイツとは、お互い"目が覚める"前まで長年やり合ってたからな。それで和解して、度々うちの店にも来た。うん、そうだった」

「仲が良かった、の一言にどれだけ時間掛けたのよ。まあいいわ、彼女について知ってるならもう一つ聞きたいんだけど……」

「長くなりそうだな。そこに椅子がある、立ってないで掛けろ」


 彼女が示した先には、たしかに木の丸椅子が一つ置いてある。ヴァネッサは浅く腰掛けるように座ってから、いよいよ本題を切り出した。


「……彼女の娘の話よ」

「ああ、確かに居たな」

「生きているとしたら、今は何歳になってる?」

「おい、年寄り同士だろ、細かい時間を聞くな。アーッ……十歳は過ぎてるだろうが、なんでそんなことを聞く?」

「理由は……そんなことどうでもいいわ。ねえ、"騎士団の料理長"が黒魔女に殺されたって話を聞いたの。いったいどうなってるの?」

「誰だ、そんなバカみたいなことを言った奴――」


 ヴァネッサの眉間に不機嫌の皺が寄った。


「噂の出所を知りたいのよ。二年前のことだから覚えてるでしょ?」

「あいつは、反魔女派の青年らの夜襲に遭って殺されたと聞いた。騎士団の調べはとうの昔に済んだ。間接的に黒魔女が殺した、ならまだ筋は通っているが……」

「その青年たちは?」

「知らないよ。私が聞いた話だって、騎士団の古いツレから聞いた噂だ」

「冗談でしょ? 誰も犯人のことに興味は無かったの」

「そりゃ、そのためにでっち上げたんだろうな。"黒魔女がやった"って」


 膝の上に置かれた手のひらに爪がめり込んでいる。

 そのまま、ヴァネッサはしばらく黙っていた。茨の魔女も、彼女の言葉を待つように何も喋らなかった。壁掛け時計の音がカチカチと規律良く時を刻む中、氷が張った水面のように何一つ動かなかった。

 もの静かな黒魔女の腹に、ぼう、と怨嗟の炎が立つ。それは静かにさざ波を立てるように燃え広がり、久方ぶりの邪悪となって彼女の瞳に闇を宿した。


「――ジギタリス」


 カウンターの向かいで、茨の魔女が目を丸くしていた。

 大きく開かれた瞳に映っていたのは、まさしく、往年の黒魔女その人物。何度も彼女が様々な形で相手してきた、常に頭の中で策謀に耽る黒衣の女。


「……分かった。やるんだな」

「まだ急がなくてもいいわ。話が見えたら、貴女にも伝える」

「物は用意しておく」


 静かになったヴァネッサは店を出て行こうとする。

 だが、戸に手が掛かる寸前で、背後から茨の魔女が呼んだ。

 そうして、僅かばかり黙って、聴くべきかどうか思案してから口を開く。


「この間、ここに栗毛マルーンの娘を使いに出しただろ」

「……あの子はただの従業員よ。それ以上でもそれ以下でもない。何もないわ」

「そうか」


 じっと、沈黙をひと山越えて――


「それならいい」


 扉の音が止んだ。店にはエメラルドグリーンの魔女が一人残される。彼女は揺れ椅子の動きに身体を任せながら、何か胸に詰まっていたような息を吐いた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?