平穏無事な日々が流れるアルダブル城下町。その中、僅かに高くなった丘の上に、周りの施設より高く尖塔を伸ばした大聖堂が建っている。
ゼフィール大聖堂。町の中心部からさほど遠くないところに建つこの建造物は、計算高く積まれた白石の醸す荘厳な見た目と共に、人々の心の拠点がここであることを静かに物語っていた。毎回決まった日になると、大聖堂に集まった敬虔な信徒たちが女神ラファーラの残した教えを読み上げる光景が見られるのだが……今日はどこか様子が違うようだ。
「騎士団のベアトリスです。本日、団長の代理として参りました」
「ご苦労。ではベアトリス君、改めて用件を教えてくれ」
「かしこまりました、オーレリアン卿」
本来、修道女たちが集うはずだった礼拝堂には白いクロスの敷かれたテーブルが置かれ、アルダブル四大貴族の代表が一名ずつ集っていた。同じ場所には騎士団の代表として、
貴族会議、臨時招集。月に一度行われる定例会議を待つには相応しくない事案が発生した場合に開かれる緊急の集まり。家によっては代わりの者を立てることもあるが、今回は普段の貴族会議と同じ顔が揃うこととなった。
「既に皆様方にはお伝えした通り、サンドワーム討伐後の西砂漠で原住生物の個体数が大きく変化していると、騎士団派遣のレンジャーより報告が上がりました。われわれ騎士団が要請するものは、砂漠の生態系調査による追加費用の申請、前回の大規模討伐作戦により消耗した備品の更新、携帯食の新しい備蓄です」
ベアトリスの話を聞いた代表四人がテーブルを向き、互いに視線を向けて睨み合う。誰が先陣を切るか観察しているようだった……。一呼吸の間を置いた後、最初に口を開いたのは、紺色のフードを目元まで被った皺混じりの男だった。
アスール・ブリアン。
ブリアン家当主のこの男は、震えながらも芯のある声でゆっくりと語り出した。
「では、私が」
「アスール卿、どうぞ」
「ありがとうございます、オーレリアン卿。では僭越ながら……前回のサンドワーム討伐に際して、我らが一族も様々な最新技術を用いた魔道具を提供しました。それらの多くは実戦を通して有用なものであると証明され、そう遠くないうちに国民の暮らしに還元されることでしょう……」
誰かがわざとらしく喉を鳴らした。
眼鏡を掛けた白髪交じりの初老の男。デュラン家当主、ロベール・デュランだ。
「……魔女の襲撃がない現在、魔導技術の発展には然るべき場が必要です。西砂漠の生態系調査は
「アスール、
「おや、これはロベール殿、人聞きの悪いことをおっしゃりますな」
「ブリアン家のご老人、貴方は技術の発展という理想に囚われ、目先の生活が疎かになっている。バラック街の査察報告書には目を通しているのかね?」
デュラン家当主とブリアン家当主、テーブルを向かいにした両者の視線は宙でぶつかり火花を散らす。オーレリアンが目を閉じて腕組みする向かい側では、この中でも一際若い男がやりづらそうに視線を落としていた。
レイモン・フランクル。二十代と一人だけ年齢が浮いている彼は、四大貴族当主の中でも最も青い。幼少期から貴族として必要な教育は施されているものの、こういった「実戦の場」でのやりとりには不慣れな様子だ。
「アスール、貴殿の言うように、技術革新の機会は大事だ。国民の生活を守る上で城外の情報収集に力を入れることも大事だろう。だが、我々が提供できる物には限りがある……とてもではないが、今回の要求を全て呑むことはできん。草一つない砂漠を歩くために、貧民へ配るパンを減らすつもりか?」
「ロベール殿は、前回もそのようなことをおっしゃいましたな。しかしそれこそ民の生活を軽んじているものですぞ。貧しい民の救済は、本来は大聖堂の管轄、我々が介入しすぎることで、かえって貧しくない者たちへ不公平感を与えてしまう」
「民の暮らしに関わない部分へ財をつぎ込むのは懸命とは言えんな」
両家の言い争いを脇で聞いていたベアトリスは誰にも聞こえぬ声で溜め息を吐く。
今日も長くなりそうだ。このような事態は今回に限ったことではなく慣れてこそいるが、あくまで部外者であるベアトリスには何も良いことがない。鉄仮面の下で声を押し殺しながら欠伸をする。
口論が続いた後、ふと、会話が途切れた。そこで久しぶりに第三者の声を聞く。
「一つ、よろしいですか」
他の三者が一斉に視線を向ける。
その先にいたのは、フランクル家の若年、レイモンだった。
「是非話してくれたまえ、レイモン卿」
「感謝します、オーレリアン卿。恐縮ですが……お二方のお話を聞かせて頂く中、凡庸なりに今回の一件を考えておりました」
彼の声をよく聞けば、それが震えているのが分かる。
「城下町の外を見れば、有り合わせの木と泥を塗って作った屋根の下で寝ている者が見られます。彼らも昼は王国内で仕事に就いており、今後の発展のためには無視できない存在です。しかし、現状できる手を施したとして、その全てを十分に救済することは不可能なのも事実……一方の西砂漠についても、国の治安維持のためには騎士団の協力が必要不可欠で、こちらもまとまった額が必要になります」
事実のみを淡々と告げる。沸騰した話題を蒸し返さないよう、一手一手慎重に詰めていくレイモンは臆病にすら見える。他三者の口ぶりと比べると、彼の話し方は一人だけ火薬樽の上に座らされているようでもあった。
「私からの提案ですが……今回の騎士団の要求のうち、西砂漠における生態系調査の支援と備品の更新は通すべきと考えます。要求には非常食の補給もありましたが……私が述べた二つは換えが利きません。誰も、倉庫で硬くなったパンを武器には戦えない」
「……どう思われますか? お二方」
レイモンが意見を述べた後、オーレリアンが残りの両家に確認を取る。
これは、議論の終結を示す合図でもあった。アスール・ブリアンとロベール・デュランの二人はしばらく無言で互いを睨み合ったが、オーレリアンがわざとらしく咳をすると諦めたように視線を逸らす。
「まあ、悪くはありませんかな。妥当なところでございましょう」
「筋は通っている。これ以上会議を長引かせる理由もない」
「よろしい。ではレイモン卿の提言通り、砂漠調査の支援と備品の更新に出資しよう。申し訳ないが、食糧の補給は次の月例会議を待って欲しい、ベアトリス殿」
「承知しました」
「レイモン卿も、他に言うべきことは残ってないか」
「ありません」
「よし――」
場の空気が急に柔らかくなった。永遠に続くかと思われた会議も、最後はオーレリアンの一声で終わりを告げる。
「これにて今回の貴族会議を終了する。皆の者、ご苦労であった!」
◆ ◆ ◆
貴族会議が終わり、ゼフィール大聖堂の外に出たベアトリスは胸いっぱいに深呼吸をする。庭掃除をしていた修道女たちは彼女の姿を見てほっとしたようで、表情には日常が戻ってきたような実感が滲んだ。
ベアトリスはそのまま敷地の外へ出ようとするが、後ろからオーレリアンの声が聞こえて足を止める。耳をそばだてると……どうやら、フランクル家の代表を務めたレイモンと話をしているようだった。
「レイモン卿、先程の発言は実に良かった。私の肩も軽くなったぞ!」
「ありがとうございます、オーレリアン卿。ご迷惑にならなくてほっとしました」
「君は我々と比べたらずっと若い、最初は場の空気に呑まれることもあっただろうが、ようやく家の代表として一皮剥けたのだな」
既に、ブリアン家とデュラン家の代表はこの場を去っていた。
ベアトリスは敷地内の柱へ身を隠して会話の続きを聞く。
「二年前、父が黒魔女の内通者であることが発覚した時、私は家の代表として前に立つことを強いられました。フランクル家の名誉はあの時まさに地に落ちましたが、貴方が我々を四大貴族の一員に繋ぎ止めるよう交渉してくださった。以降、オーレリアン卿の期待を裏切らぬように、再びフランクル家が信用に足るものとなるように、日々苦心してまいった次第です」
「君のお父さんとは随分やり合ったものだ。それこそ、先程のアスール卿とロベール卿、水と油のようだった。黒魔女との一件は、本当に残念でならない……」
「……オーレリアン卿が反魔女派の旗を揚げたあの時、私は明日を生きることで必死でした。次は同じ理想を抱けます。二度と、あの魔女には好き勝手させません」
「貴殿はその若さに見合わぬ聡明さも持ち合わせている。今後も期待しているぞ」
それを聞いたオーレリアンは高らかに笑う。足音が近付いてきてベアトリスは息を殺す。二人の話題はたわいもないものへ変わり、敷地の外へ消えていった。
ベアトリスは周りを確認して、ようやく本当に日常が帰ってきたことを確認してから大聖堂を出た。
噴水広場へ向かう。今日他にするべき仕事は他にない。
(凄く疲れた……)
騎士団寮へ戻る前に、鎧を着たまま城下町の外食街へ向かう。早速、遠くからお目当ての料理の臭いが立ちこめてきた……。