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3-4 はじめてのおつかい

 開店直後から尋常でない量の客を裁いていた「レイヴン・バーガー」だったが、オーレリアン・ジラードが来た日から客足は減った。幸か不幸か、それによって店を開いている間も余裕が生まれるようになった。

 その一方でリルは、夜になるとヴァネッサの側で一緒に寝ることをせがむようになった。原因が彼女の過去にあることはヴァネッサも推測できていたが、迂闊に尋ねることで傷口を抉りたくはなくて、結局聞き出せないままだ。


(今は落ち着いたみたいだけど、早めに対処しないと爆発するわ)

(ジラード家に余程のトラウマがあるみたい。なんとか軽くしてあげたいけれど、下手を打てば手が付けられなくなる。あのクソ男の処理も急がないと……)


 昼過ぎ、厨房でまかないのハンバーガーを作っていたヴァネッサはソースの壺が軽いことに気付く。他にもソースが入った壺はあるが、なくなったらなくなったで新しい分を補填しなければならない。

 店の看板でもある「魔女のソース」は、開店に向けてヴァネッサが研究を重ねた末に生まれた秘蔵のレシピ。魔女としての叡智を料理へ転用した傑作で、材料の一部に特殊なもの――通常の店では取り扱っていないハーブが必要だ。


「リル。昼ご飯の後、貴女にお使いを頼むわ」

「何を買ってきますか?」

「秘密。小切手をあげるから店の人に出してきて。見る人が見れば分かるはずよ。それで、行ってほしい場所は……」


 遅めの昼ご飯で腹を満たしたリルは着替えた後、ヴァネッサから託された小切手を懐にしまって、空の籠と共に言われた場所を訪れていた。そこはアルダブル城下町の表通りから細い道へ入ったところ。絵の掠れた看板が、かろうじてここに店があることを教えてくれていた。

 軋む扉を開けて入ると、中が花と草の香りで満ちていることが分かった。棚には草花が収められた瓶が並び、レイヴン・バーガーの厨房棚が思い起こされた。


「なんだ、お客さんかい」

「ひゃっ」


 見たことのない物に囲まれてリルが圧倒されているとカウンターの奥から女の声がした。ゆっくりと近付いてみると、顔をエメラルドグリーンの薄布で隠した女性が安楽椅子に座り、品定めをするような目で彼女を見つめていた。


「あ、あの、これを」

「ん……ああ、あの女の知り合いか」


 リルが小切手と籠を差し出すと、それを受け取った女は書かれた内容を見て表情を凍らせる。その後、しばらく考えてから店の奥へ入っていった。

 品物の準備をしている間、この不思議な店を再び見回してみる。

 ずらりと並ぶ植物の一つ一つが何かは先程の女性にしか分からないのだろう。厨房の調味料はここの店から仕入れているのか、そんなことを考えていると、カウンターの向こうから世間話を振られた。


「店で働いている子か? 奴の店はうまくいってるのか」

「はい。お客さんもいっぱい来てます。お知り合い……ですか?」

「まあ、昔からの付き合いだよ。彼女はここのお得意様でね」


 注文していた品が半分ほど入った籠がカウンター台に乗った。

 薬草の類いは茶色の紙に一種類ずつ梱包されているが、既にこの段階でも各々の発する香りがごちゃ混ぜになっていて、傍に居るだけでも頭が重くなるような空気を醸し出している。


「名前を聞いても?」

「リルです」

「ふうん、リルね……あたしの名前はローラ。見ての通り、植物好きの変わり者だよ。残りはこれとこれを――よし、できた。持って行け」

「ありがとうございます」

「あと、奴に伝えておいてくれ。たまには顔を見せろ、って」

「わかりました!」


 残りの品を籠いっぱいに積んでもらったリル。

 店に戻りがてら、ふと思いついたように町の飲食街を見て回ることにした。


◆ ◆ ◆


 リルの手荷物からはハーブの香りが上ってくるが、噴水広場周辺に漂う軽食の香りはそれをいとも簡単に打ち消していく。

 その中でも定番は、様々な具材をパンに挟んで作るサンドイッチ。交易の要衝地に発展したアルダブルには周辺各国の知恵と食材が集まるため、サンドイッチひとつ取っても店ごとに個性が出て同じものがない。


(はうう……お仕事中ですけど、おなか空いてきちゃいました……)

(……いけないいけない、帰りが遅くなったら店長に怒られちゃう)


 午後の陽気の下、すれ違う町人たちの手元では、パンの隙間から色とりどりの具材がこちらを覗き込んでいた。

 塩漬け肉を薄く切ってみずみずしい瓜と合わせたハムサンド、分厚い肉の断面が美しいカツサンドを始めとして、薄くスライスしたステーキ肉とチーズを挟んだもの、南方の港で揚がった甲殻類を茹でて白のソースと合わせたもの……どれも今のリルにとっては悪魔の誘惑だ。


 往来の中、立ち止まっていたリルは「レイヴン・バーガー」へ戻ろうとするが、店の前で深緑の外套を纏った黒髪の女性が立ち止まっていた。

 彼女は赤色のソースがかかったホットドッグ(包み紙に"ゲイリー・ドッグ"と書かれたロゴがあった)を立ち食いしながら店の中を窺っており、出てくる客が手に持つハンバーガーを視線で追いかけ続けては観察し続けていた。


「あの……」

「わあ!?」


 後ろからリルがこっそり声をかけると、彼女は今の姿をじっと見られていたことを恥ずかしがってひどく慌て始める。そのまま平静をなんとか保つように、顔を赤くしながら手元の物に何口かかぶりついた。


「もしかして、気になってますか?」

「新しい店ができたと聞いて、今日やっと来られたんですが、みんながどれを頼んでいるか気になってしまって……」

「あはは、わかります。迷っちゃいますよね。ところでそれは……」

「向こうの屋台で買ったチリドッグです。癖になってて」

「わぁ、おいしそう……!」


 切り込みの入ったパンに挟まった一本のソーセージ、その上に乗せられた溢れんばかりの刻みハラペーニョと酸味の利いたソース。具だくさんの料理から漂う刺激的な香りは空腹のリルの身体を突き抜けていき、知らぬ間に彼女の口の中はタプタプになってしまっていた。


「……ちょっと食べます?」

「いいんですか!」

「食べかけですが、この辺を千切って……はい、辛いので気をつけて」

「えへへ、いただきまーす……んんぅぅぅぅ!?」


 初めて味わう未知の刺激に、リルは眉間に皺を寄せながらモグモグと噛んでやっとのこと飲み込んだ。鼻の頭に汗の気配を覚えつつも、息を整えているうちに、先程の辛味が悪くなかったものに思えてくる。

 女はリルの反応を肴に残った分を丸々口へ放り込んでから飲み込んだ。その後、特に理由も無く二人で笑い声を漏らし始める。


「さっきの、辛かったけど、おいしかったです」

「最初はみんなそうだと思います……ああ、自己紹介を忘れてました」


 後に、リルにとって特別な一日となる今日……店に戻るまでの最後の出会いを飾ったのは、チリドッグを片手に偵察に励む快活な女性だった。彼女は額に張り付いた黒髪と肩の辺りに出来た外套の皺を直してからリルと向き合う。


「私はベアトリス。たまに、この辺りで美味しいものを探してるんです」

「リルです。すぐそこのお店に務めています!」

「わああ、そうなんですか!? 凄い偶然です! 今度行かせて頂きますね!」


 ベアトリス――

 新しい友達が騎士団の女将校であったことなど、今のリルには知る由もない。

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