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3-2 舌上の策

 繁忙を極めるレイヴン・バーガーの厨房で、エプロンを纏った魔女が一人目を閉じて物思いに耽っている。

 頭にあったのは、今まさに彼女を困らせている上流貴族オーレリアン・ジラードのこと。かつて散々嫌な思いをさせられたあの男を、今度は徹底的に利用する――そのための布石となるハンバーガーを作るのだ。


(よし……)


 パティを焼き、バンズを温め、必要な物と一緒に厨房の隅に入った彼女は、リルが一生懸命にせかせか動き回っている中で一人熟考に入る。結論は既に決まっていたが、それを今一度再考し、今後の一手の有用性も判断。失敗は許されない。


(本当なら、今ここで毒を入れて殺してやりたいところだけど)

(……流石にそれはできないわね。クローデットに嫌われたら全て終わりよ)

(あの男の素性は知っている。面倒だけど、一芝居打って、確実に仕留めるわ)


 バンズの下部分を置き、練り上げた作戦を一つのレシピとして再現する。

 今回の目的はオーレリアンに薬を仕込むことだ。店に来る前に何か食べてきた可能性も考慮し、通常のハンバーガーの半分を食べて貰えれば及第点とする。もし完食したときのことも考慮し、中に仕込む薬は、一個丸々食べきっても害にならない量を目安に考える。


 だがその前に……ヴァネッサは、黄土色のソースの入った壺を手元に寄せる。辛みと酸味の混ざり合った粒混じりのそれを匙ですくい、底のバンズにしっかりと塗りたくっていった。


(あの豚が惚れ薬を知っていたなら、甘みには不信感を覚えかねない)

(だから、初手であのクソ野郎の舌を破壊する。ハンバーガーを食べた時、味は下から上ってくる――別に不味くはないもの、悪くは思わないことね)


 小さくも辛みの詰まった種の混ざったソースからは、鼻を刺激する鋭い香りが静かに上ってくる。そこへレタスを乗せてから、焼いたパティとチーズを乗せる。

 チーズとして使うのは、伝統的な方法で熟成させたハードタイプのもの。口の中へ入れた瞬間にそれはとろけ、溢れ出る旨味で食べた者の頭を幸せで満たすのだ。ヴァネッサは、普段より1枚多く使ったチーズの上に、トマトから作った甘みのある「赤のソースルベル・ソース」を塗りたくった。


(次に、チーズを入れて奴の思考を完全に破壊する)

(酸味、肉の濃厚な旨味、チーズのコクを組み合わせて、薬の風味を隠す――)


 最後に、赤色のソースの上に「惚れ薬」を二滴垂らし、断面を焼いて硬くしたバンズを被せた。包み紙を用意し、完成したものを中に入れて皿の上に乗せる。

 たった一個のハンバーガーを作っただけだが身体は疲労を覚えていた。ヴァネッサはリルが作業工程を見ていなかったことを素早く確認してから、付け合わせのフライドポテトを添えて見た目を整えた。……何も知らなければよく出来たチーズバーガーだ。味も完璧である。オーレリアンも、まさかこのハンバーガーの中に薬が入っているなど思い至らないだろう。


◆ ◆ ◆


「……フランクル家はダメだ、二年前の件で奴らはすっかり牙を抜かれてしまった。今の貴族会議は我がジラード家、デュラン家とブリアン家の三家が仕切っていると言っても過言ではない。もっとも他の両家は互いにいがみ合っていて、とてもまともに政治判断できる状況ではないが」

「手元に転がった黄金を逃さない能力も、上へ立つために必要です」

「ほう、クローデット殿は大変よくを考えておられる。貴女のような賢く素敵な方は是非とも身内に居て欲しいものだ……どうだね、我がジラード家で一緒に仕事をしてみないか?」

「――オーレリアン公、料理が来ます」


 隅の席を広く使うように座っていたオーレリアンがクローデットから視線を逸らすと、完成したハンバーガーと共に歩く女店長ヴァネッサの姿が見えた。


 周りで肩身狭く食事をしている客、良い気分になっているオーレリアンは自分の見たいように彼女を見ているが……一度でも極限の戦いへ踏み込んだことのある人間であれば、その周りに纏われているオーラに気付くだろう。

 騎士団長クローデットは「それ」に気が付いた唯一の人物だった。とは言え、ヴァネッサが黒魔女とまでは思っていない。二年間姿を見せなかった彼女がこんな場所で店を開いているなど露とも思わず、せいぜい"ちょっと似ている"程度の認識だったが。


「お待たせしました」


 背を真っ直ぐに伸ばした姿勢で配膳を行うヴァネッサは穏やかな笑みを浮かべていたが、その背後には息をするだけで胸が詰まるような殺気が隠れている。一歩踏み出すごとに地面を割りかねない威圧感と共に、オーレリアンの前へ歩み寄った。


「こちら……注文のハンバーガーです」


 言葉の端々には覇気が宿り、中途半端な侮蔑の言葉が入る隙を与えないかのように鋭く、厚みがある。

 皿が差し出された。役目を終えた盆を胸元に抱え、途端にしおらしい態度へ変わった女店長はオーレリアンの機嫌を伺うように目を合わせて浅い礼をする。


「これはそのまま手で食べるのかね」

「はい。外の袋ごと持って、口を大きく開けるように召し上がってください」

「口を大きく開けるだと? 随分と品がないものだな」

「ふふ、では私が手本をお見せします。よろしいでしょうか?」


 ヴァネッサはオーレリアンと目を合わせ、無言の許可を得た後……先程言ったことを実行するように大きく、そして蠱惑的に口を開き、ハンバーガーの端へ歯跡を残すようにかぶりついた。


「どうでしょう?」

「ほう、なるほどな……では私も頂いてみよう」


 オーレリアンは、一口欠けたハンバーガーを手渡そうとしたヴァネッサの手を包み込むように両手を出し、何度か撫で回してから料理を受け取った。そして歯跡を丸ごと飲み込むように大きく口を開けてかぶりつき、口の中に広がる滑らかな辛みに目を開く――罠に掛かった。

 彼が何も知らずに二口目を味わう横で、クローデットはわざとらしく咳払いをしてみる。だがそれによって視線を向けたのはヴァネッサだった。

 二人はそのまま、互いにじっと見つめ合う。オーレリアンが食事で忙しくなっている束の間、ヴァネッサは顔に熱を帯びさせながら魅入ったように口を開けた。


「――いや、私は結構だ。気を遣わせて済まない」

「あら、そう? そうなの……」

(ああ、その物憂げな顔も素敵……)


 言葉を交わしてしまった――ヴァネッサが恥ずかしさを隠すように視線を逸らす。その間にオーレリアンはハンバーガーを全て食べ終えたようで、布巾で口元に付いたソースを拭き取った後、満足そうに喉を鳴らした。


「うむ、非常に美味であった! そうだ、名前を申してみろ」

「名乗るほどではありませんが、ヴァネッサ、と覚えていただければ」

「おお、ではヴァネッサ、我がジラード家の厨房に勤めてはみないかね?」


 その一言で場の空気が凍り付く。

 ヴァネッサの背後、リルの立っているレジからも音が消えた。


「非常に良い腕を持つと見たぞ。貴女は天より美しい姿を授けられたが、どうやら一緒に料理の才能も与えられたようだ。金は惜しまぬ。ヴァネッサ殿のような才色兼備を体現した人物に出会うことは、我が四十余年の生涯でも滅多にないのだ」

「大変有り難いお言葉。少し考える時間を頂いてよろしいでしょうか」

「おお良いぞ、じっくり考えるんだ。ジラード家は貴女のような優秀な人材を常に求めているからな、はっはっは……」


 会話の中ですっかり気を良くしたオーレリアンは大きな口で笑い、横に居たクローデットは物凄く居づらそうに長く息を吐いて溜め息を誤魔化す。どうやらヴァネッサはとても気に入られたようで、オーレリアンからの一切隠す気がない好奇の視線を受けながら、両手で持った盆で口元を隠した。

 ぎっ、と奥歯を噛みしめて堪える。


「オーレリアン、少しよろしいでしょうか」

「悪いわけがないだろう! そうだ、隣へ来るといい」

「ええ、勿論そうさせて頂きます。それで……」


 腿をぴったりとくっつけるようにして座ったヴァネッサは、至近距離でオーレリアンの耳元に近付いて何かを囁いた――。


◆ ◆ ◆


(うう、店長は任せてって言ってたけど、大丈夫かな)


 リルの心配が頂点に達した頃……ちょうど、オーレリアンはが視察の続きをするためにクローデットと店から去っていった。

 二人の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったヴァネッサは冷え切った雰囲気の店内へ戻ると、両頬を叩いて何でもなさそうな笑顔を作って厨房へ入る。例の客が去ったことを告げたヴァネッサは厨房の隅へ向かって立ち、これまでの出来事を頭の中で整理するかのように黙りこくった。声をかけるのも憚られる雰囲気で、リルは作業の合間に恐る恐る後ろ姿を見守ってみる。


(店長……?)


 ヴァネッサの手が……

 ゆっくり、爪先を手のひらへめり込ませるように、ぎりぎりと拳を作っていた。

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