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2-3 まかない玉子サンド

 黒魔女、兼ハンバーガーショップ店長であるヴァネッサの朝は、自らの腕の中で眠る栗色髪マルーンヘアの少女を愛でるところから始まる。


 アルダブル王国城下町に朝日が差し込む頃、店の二階に構えた私室でヴァネッサは目を覚ます。その後、娘のように慕ってくるリルの寝顔を撫でて己の支配欲と所有欲に餌をやり、いつかは騎士団長クローデットもこのように従えるのだと夢に浸る。

 未だ半目のヴァネッサはベッド横の調合台へ人差し指を向けた。

 台の上、陶器の皿で小山を作っていたのは薬草の粉末。彼女の指が空中に円を一つ作ると火種が生まれ、細く白い煙が天井へ上り始めた。


「んん……ん?」


 爽やかに透き通るミントの香りが鼻を冷たく抜けていく。リルはしばらくして眉間に皺を寄せながら眠りから醒めた。自分を抱き寄せて横になるヴァネッサと目を合わせ、不思議そうな顔で周りをきょろきょろ確認して、ぽかんと口を開ける。


「あれ……おはようございます?」

「おはよう、リル。よく眠れたかしら」

「はい。えっと、確か……」


 リルは瞼を擦りながら昨夜のことを思い出して――顔を赤く火照らせた。


「ああっ!」

「軽く食べた頃には開店の時間よ。それまでに支度してしまいましょう」

「は、はいっ。よろしく、お願いします……」


 シングルベッドから出たリルは地下から汲み上げた冷水で顔を洗い、オリーブの木櫛で髪を梳かす。備え付けの鏡台で目元の調子を確かめていると、畳まれた衣服を両手に持ってヴァネッサが近付いてきた。

 リルは服の襟元をつまんで垂らしてみる。一枚は白地のチュニックだった。


「間に合わせだけど仕事着を用意したわ。ちょっと着て貰えるかしら」

「はい、わかりました……」


 言われるままに服を脱ぎ、下着の上から白いチュニックを被る。腕を動かしやすいように袖は短く、裾は膝の上あたりまでを隠していた。

 次にヴァネッサから黒のキュロット、エプロンを受け取ってそれぞれ身につける。最後は、カラスの嘴を彷彿とさせるバイザー付きの黒キャップを頭に被って――リルは「レイヴン・バーガー」の店員へ生まれ変わった。


「どう? ジラード家の使用人メイドとは雰囲気が違うけれど」

「なんかオトナって感じです。これで、ヴァネッサさんと黒仲間ですね」

「そう、仲間……。ええ、貴女はこれから一緒に働く大切な仲間であり、家族よ」


 帽子の隙間からはみ出た栗色の後髪をぽんぽん叩きながら鏡を見ているリル。しばらく自分の姿を確かめるように回ってから、ふと思いついたようにヴァネッサの方を見た。


「そう言えば、ヴァネッサさんのことはなんて呼べば良いですか? 料理長?」

「料理長、ってのは合わないわね。そこまで大きな店ではないから」

「でしたら、店長! 店長ってどうですか!」

「良いじゃない。店長呼びも悪くはなさそう……ん、時間があまりないわ。早く仕事前の食事を済ませてしまいましょ」

「仕事前の食事! はーい!」


 既に、外では労働者たちの姿が見えるようになっていた。午前中のメイン客となる中流貴族たちが家を出るまで、店の開店準備を終わらせる必要がある。だがその前に、ちょっとしたお楽しみの時間――「朝食」を忘れてはいけない。

 開店を直前に控えた店内。リルがテーブルの拭き掃除をしていると厨房から油の香りが漂ってきた。作業を終わらせてから向かうと、そこにはリルと同じ「仕事着」に着替えたヴァネッサが背中を向けるようにしてフライパンを振っていた。頭のキャップには黒薔薇のコサージュが咲いている。


「店長、拭き掃除終わりました!」

「おつかれさま。適当なところに掛けて待ってて」


 ヴァネッサが焼き上げていたのは、溶いた卵を厚く焼いたもの。スクランブルエッグよりも硬く、かつ弾力を損なわないよう慎重に作られたそれはフライパンを離れ、ほんのり辛みの利いたバターが塗られた角切りのパンに挟まれる。

 味の決め手は、油と卵を混ぜ合わせて濃厚に仕上げた白のソースアルバス・ソース。具がただ一つだけでも、この料理を嫌う人はいないだろう……


「はい、玉子サンド。昼ご飯の時間は遅いから、今のうちにしっかり食べなさい」

「わあっ、美味しそう! いただきます!」


 そのまま大きな口でがぶりと歯跡を刻むリル。座った姿勢で両足をばたばた揺らしながら美味しさに浸る姿を正面に、ヴァネッサも自分の分を口にした。

 ウンウン唸っていたリルはあっという間に自分の分を平らげ、夢見心地で天井を見上げながらぼんやりし始める。本当に食べ物への反応が分かりやすい……ヴァネッサにとっては幾度も作って食べたものだったが、こうまで喜びを露わにされると普段より一際増して美味しく感じられる。


「なんだかとっても懐かしい味です。お母さんがこのソースをよく作ってました」

「……へえ。騎士団の料理長というのは嘘ではなかったみたいね」

「嘘ついてないですよー! 小さい頃、仕事に行く前にこんなサンドイッチを作ってくれたんです。最近は貧乏生活で、久しぶりにこのソースと再会できましたぁ……」

「感極まらないで、もうすぐ開店なのよ。そろそろ貴族たちが外に出始める時間だから、看板をひっくり返してきて頂戴」

「はい!」


 リルは元気な返事をしてから店の入り口に掛かったプレートをひっくり返しに向かう。ヴァネッサは空いた皿を流し台へ置くと、ソースの入った壺を前に一つの疑問に囚われた。

 それはもしかしたら、取るに足らないかもしれないが。


(このソースは、労働者階級の家庭で気軽に作れるようなものでもないはず)

(あの子の母親が、本当に騎士団の料理長だったとしたら、まさか、そんなことが……)


 思考が核心へ辿り着く前に、リルの面食らったような声が飛んできた。


「店長! もう外にお客さんがいます!」

「――入れて良いわよ。仕事の時間ね!」

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