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2-2 バーガー・トラップ

「ええっ、全部食べていいんですか⁉ いただきますっ――!」


 壁掛けのオイルランプが柔らかい暖色の光を振り撒いていた。

 店奥のソファ席に案内されたリルは、ヴァネッサが差し出したフライドポテトを前に目を輝かせるとすぐ口の中へ放り始める。グラス一杯の水もすぐに飲み干し、空腹が突き動かすままに小盛の皿を空けてしまった。


「はわぁぁぁぁ、おいひいれす……」

「その様子だと、しばらく満足に食事できていなかったのね……」


 テーブルの向かいで大欠伸をする女店長ヴァネッサ。昼の怒濤の来客を捌ききった彼女は、重い瞳でまどろみながらも少女の食べっぷりを見守っていた。

 リルは本当に美味しそうに食べる。フライドポテトはこの店のメインディッシュではなかったが……彼女は一本一本を口に含む度に頬を膨らませ、肩を振ってその喜びを露わにしていた。あわよくば自分も頂こうと思って揚げてきたヴァネッサだったが、こうも幸せそうな反応をされると手が伸ばせない。


「ふぅ……ありがとうございます。人間が食べるようなご飯は久しぶりで……」

「……そう、良かったわ。ところでその姿だけど、何か仕事はしてるの?」

「ええっと、ジラード家で料理人見習いをして……」


 そこまで言ってから、リルは、俯きながらしゅんと肩を狭くした。


「してました……」

「ました?」

「クビになったんです。ちょうど今日、追い出されて」

「でも、ジラード家の厨房に入るって余程のことよ。王国で今一番権力ある貴族の館に招かれたなんて、貴女、地力はあったんじゃない?」

「そう、だったんでしょうか。沢山怒鳴られたので、もう、わかんないです……」


 声が細く震えていくのに合わせてリルの首も前へ傾いていった。これ以上深掘りしても得られるものはなさそうだ……。ヴァネッサは迷ったように鼻を鳴らしてから、もう少し情報を得ようと別の話題を探してみる。


「他に家族は?」

「小さい頃から、お父さんはいなくて。だったお母さんも、数年前に死んじゃいました。私も、お母さんみたいに、なりたかった、のにっ……」


 騎士団の料理長。ヴァネッサの耳がぴくりと動いた。しばらく腕を組み、深い海へ潜るような思案に耽る。彼女が突然黙り込んだものだから、リルは相手の顔色を窺いながら恐る恐る話を切り出した。


「あ、あのっ、私、出て行きます。迷惑でしたよね」

「ごめんなさい、少し考え事をしてただけよ……そうだ。まだお腹に空きはあるかしら? 新しいハンバーガーを考えてるんだけど、もし良かったら、貴女の意見を聞かせて頂戴。お金は取らないわ」


 その言葉でリルの眉が上がった直後、お腹からきゅぅぅと可愛らしい音が鳴る。顔を上げ、期待に目を大きく開き、先程と反転した様子でヴァネッサを見つめた。


「はいっ……是非、お願いします!」

「少し時間掛かるから、ゆっくり腰掛けて待ってなさい」


 店長ヴァネッサは、一人の大きな期待を背中に受けて厨房へ入っていった。

 腹の中に抱えていたものを、決して表へ出さないように。


◆ ◆ ◆


 カウンターの前に立った彼女はまず炉を開き、落ち着いていた火に向けて手をかざす。すると……山状の灰が、ひとりでに元の赤い輝きを取り戻していった。

 細い薪を入れるとしばらくもない内にヴァネッサの瞳で炎が立ち上る。口を真一文字に結んだまま、昼の大盛況とリルの境遇を頭の中でパズルのように合わせていた。


(流石に、一人であの量の客を捌くのは厳しいものがあるわ)

(人が見ている前で堂々と魔法を使うわけにもいかないし)

(そうね……)


 焜炉ストーブ上のフライパンに熱を通した後、ヴァネッサは二層構造の壺から冷えた挽き肉を一掴み取り出す。それを殆ど塊のままフライパンへ乗せ、焼きながらパティの形に潰し、横には具材を挟むバンズも並べる……あとは、中までしっかり温まるのを待つのみだ。


「……っと、忘れるところだったわ」


 肉汁の香りが上ってきたパティをひっくり返した後、ヴァネッサは棚の上に置いてあった小瓶を手に取る。茨の魔女を困惑させたが眠る瓶だ。


(リル――貴女を試しにさせてもらうわ。この薬が本当に上手くできているか、確認もしないといけなかったし……)


 バンズの上へ「魔女のソース」を塗り、千切ったレタスとパティを乗せてから小瓶の中の液体を数滴垂らす……最後にスパイスで味と風味を付けてからバンズで閉じて完成。単純だが、肉の味を強く感じることができる基本のスタイルだ。


「出来たわよ、リル」

「わぁ……!」


 料理と共に厨房から戻ると、皿に乗ったハンバーガーを前にリルは目を輝かせた。そのまま、ヴァネッサをちらちらと見てきて……彼女が微笑みながら頷くのを確認してから、両手で掴んで豪快にかぶりついた。

 大きく口を開き、一口一口を吸い込んでいるかのような速度でハンバーガーを飲み込んでいくリル。先程のフライドポテト一皿を忘れたかのように食べ終えた後、水を一杯飲んでからとても満足した様子でソファに寄りかかってにっこりと微笑んだ。


「んーっ、美味しかったです!」

「ありがとう。ところで、今夜はどうするの?」

「えっ? 今夜ですか? ええっと……」


 リルの目が僅かに薄くなった。ヴァネッサは歩み寄って距離を詰め、静かに圧を掛けるよう腕を組んで立つ。


「その、住み込みだったから、おうちも、なくて……」

「あらそうなの。困ったわね、お金もないんでしょ?」

「はい。なんにも、ない、です……」


 彼女の声は弱々しく先細る。肩をすぼめ、身体に走る痒みのような違和感を抑えるために背中を丸め、自身の両肩をきつく抱き始めた。下を向いたリルを前にとなるヴァネッサだが、その後彼女を心配する表情をすぐに作り、隣に並ぶようにソファへ腰掛けた。


「大丈夫?」

「えっ……あ、ううっ……」


 抱き込むように首の後ろへ腕を回して耳元へ囁く。ヴァネッサは反射的に揺れた身体を"逃がさない"と言わんばかりに引き寄せてもたれかからせた。もう片方の手をさっきまでハンバーガーを食べていた小さな顎に添え、優しく力を入れて首の向きをそっと変えさせる。

 リルは乱れた呼吸を整えるのに必死だった。たった一言すらも話せないまま、恍惚とした表情でヴァネッサの目を見ていた。そして、目が合った――。


「あ……」

「ねえ、リルちゃん」


 額と額がくっついてしまいそうな超至近距離。互いの息遣いさえも隠せない中、ヴァネッサは、すっかり惚けてしまったリルの両肩に手を乗せた。


「私のお店、今、人手が足りなくて困ってるんだけど、やってみない? 勿論、食事も、寝る場所も工面するわ」


 リルが、その提案を断れるはずなどなかった。


「はいっ、ここで、はたらかせて、くらはいっ……」

「ありがとう。話の分かる子は大好きよ」


 肩に乗せていた指で背中を押すと、リルは糸が切れた人形のように胸元へ飛び込んできた。ヴァネッサは新たな従業員を抱きしめながら、見えない場所でほくそ笑む。

 その顔は、往年の黒魔女の面影を残すものであった。


「貴女はカラス。一匹のカラスレイヴン……期待しているわよ、リル」

「はあい……」

(運がなかったわね、リル……私の計画の駒になって貰うわ!)

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