その日、しがない町娘のリルは、王国アルダブルの路頭に迷っていた。
「うう、これからわたしっ、どうしよぉ……ぐすっ……」
もし、薄暮の空に浮かぶ雲の数がもう少しだけ多く、今にも沈もうとする光を覆い隠してくれていたならば、リルはこれから迫る夜のことを考えるまで僅かな猶予を貰えたかもしれない。しかし今日の空は少女のひび割れた心を逆撫でするように晴れ渡り、これからの夜が冷えるという現実を無情にも突きつけていた。
「今日、どこで寝よう……次のお仕事も、がんばって、探さなきゃ……」
背中を丸め、虚ろな瞳で地面に転がっている石の数を数えるように陰を歩く。抜け殻になったリルの身体が空腹を訴えるも、今の彼女にそれを満たす方法はない。
中央広場に差し掛かり、足を止める。そこはあまりに魅力的かつ、残酷な香りに支配されていた。呆然と立っていると、「レイヴン・バーガー」の看板が掛かった店から一人の女の子が重みのある紙袋を宝物のように抱えて出てくる。すぐにその母親も現れ、二人は仲睦まじい様子で帰路についた。
「いい? ハンバーガー買ってあげたから、明日はママの仕事を手伝うのよ」
「うん! 早く帰って一緒に食べよ!」
「こら、急がないの! ママも楽しみにしてるんだから……」
小さくなっていく親子の背中。リルは、それが見えなくなるまで、闇色に染まった目で追いかけ続けていた。やがてそれが城下町の曲がり角へ消えた後、じっと俯いて瞳を閉じる。
リルの頭には煤けた白地のバンダナが結ばれたままだ。白は、本来は貴族直属の料理人である印。しかし、彼女の
「さっきの子、いいなあ……」
下ばかり向いていたリルは、仕事の代わりに一片の"落とし物"を見つける。
半月形の揚げ色。一目見てフライドポテトだと分かった。おそらく、すぐ傍にある店のテラス席からこぼれた物が残っていたのだろう。
「ぁ……」
リルは、伸ばしかけていた手に気付くとそれを止めた。
視線が忙しなく動いていた。目を開き、開いたままの口で早い息をして、どくどくと脈打つ鼓動の音に頭をふらつかせる。本能が呼びかける――これはまだ「人間の食べ物」だと。今まで食べてきたものと比べれば、若干の砂で汚れているだけで腐ってもいないし毒も入ってない。
(ああ……美味しそう……)
落ちている物を食べるべきではない、そんな綺麗事をのたまう理性はとうの昔に機能していないし、何より突き上げるような空腹が許さない。膝をつき、前に屈み、頭の中で
何も映さない濁った瞳で、手を伸ばす。反対の手をつき、這うような姿勢で、たった一欠片の食事にありつこうとした時だった。
こかあ こかあ
リルの頭上でカラスが鳴いた。ふと視線を上げた瞬間、横から別の黒い生き物が現れる。過ちに気付いた彼女は喉を干上がらせるとすぐに視線を戻した。
……さっきまで、宝石のように輝いていた芋片がない。
「そん、な」
平静を失ったリルはそのまま地面を這いつくばり、自分の夜ご飯がどこへ逃げたかを探し始めた。それがどうなってしまったかを認めたくないように、暗くなっていく店前を諦め悪く探してみる。それでもない。ない。ない。
別に落ちた物がないかも探してみた。一個目があるなら二個目もあるはず……獰猛な顔つきへ変わった彼女は獣のようになりふり構わず尻を振り続けたが、それは幻を追いかけるようなもの。次第に動きは鈍くなり、目を開くことにも疲れ、伏した姿勢のまま動かなくなって……
「ひっ……ひっぐ……」
枯れる寸前の身体を絞るように、嗚咽を漏らし始めた。
「おかあ、さんっ……おがあざんっ……」
夕闇に残光が消えゆく中で幻視したのは、幼いリルが母親と二人で家の厨房に立つ在りし日の光景。まだ背の低かった彼女は
今の頭では、その時何を作っていたかさえもはっきりと形にならない。でも、それは間違いなくこの世界で一番美味しい料理だった。
リルは虚空を
「ちょっと、こんなところで何してるのよ」
リルの頭上から、明らかに困惑したような女性の声が降ってくる。
(だれ?)
(ううん、だれでもいい)
(たすけて、ください……)
「しっかりしなさい! いま、水を持ってくるから! 私の言っていることは分かる? 分かるなら首を振りなさい、どう?――――」
それが、リルとヴァネッサの初対面であった。