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1-3 「レイヴン・バーガー」

 ――以下、「世界の食べ歩き方 アルダブル王国編」より抜粋。


◆ ◆ ◆


 アルダブル城下町の中央広場を歩けば、肉汁とソース、スパイスの香りが鼻先をくすぐって止まないだろう。もし腹が空いていたなら――口の中に溜まった唾を飲んだ頃には既に、匂いの元である二階建ての軽食屋ダイナー「レイヴン・バーガー」へ足を急がせているはずだ。

 広い通りへ張り出した日避けシェードの下、テラス席で談笑する中流階級の間を抜けて中に入ると、いよいよあの魅惑的な空気がいっぺんに迫ってくる。そして大雑把に並ぶ人々の最後尾に付き、自分の番が来るまでの短くも長い間、他の客が一足先にお目当ての物へかぶりつく姿を羨ましそうに眺めることとなるだろう。


 空腹の中、永遠の苦痛にも感じられる時間を乗り越えて、黒い木目調のカウンターを挟んで女店長と対面。おめでとう、君はようやく「注文」の権利を得た。

 この時向かいに立っているのは、皆がヴァネッサと呼んで慕う容姿端麗な女店長だ。目を引くような黒薔薇のコサージュ、男性にも引けを取らない高い背丈、美しくどこか影も窺える顔立ち、腰まで伸びた黒く艶やかな長髪、低く落ち着いた声色……この店には、彼女のファンも多い。


「いらっしゃい。注文は?」


 だが、うつつを抜かす暇はない。印象を悪くしたくなければ、並んでいる間に考えていたメニューの名前をすぐに伝え、その分の銅貨を差し出そう。

 何を頼むか? 迷ったならこう言うと良い。「ハンバーガー」と。

 それは丸パンを横に切り、新鮮な野菜と弾力のあるパティを挟んだこの店の魂とも言える料理。パンに具材を挟む軽食は他の店にも存在するが、この料理に使われるクリーム色の濃厚なソースは、それら全てと決定的な違いを生み出していた。誰が呼んだか「魔女のソース」の名を冠するそれは、とても家庭では再現できないと評される複雑な味わいで、パンと具材の味を完璧にまとめ上げる。


 ハンバーガーは一個一個が手作りだ。注文してから料理が出てくるまで、カウンターの横に捌けて完成を待つ。料理は頼んだ順に出てくるから、焦ってはいけない……


「お待たせ。窓際の席が空いているわよ」


 ……遂にこの時がやって来た。サービスの濡れ布巾で手を清めてから料理を受け取り、席に着いた後に水を一口飲んで心を落ち着かせる。形が崩れないよう両手で上下のパンを掴み、口を大きく開けて――丸ごとかぶりつく。

 沈み込むような食感と共に口の中に広がるのは、しっかりパティの中へ凝縮されていた挽き肉の旨味。歯ごたえのある野菜の存在感と、クリーミーで程よく酸味の入ったソース……これが、数多くの町民を虜にしたハンバーガーだ。


 ここでしか楽しめない、唯一の食体験が「レイヴン・バーガー」にある。アルダブル城下町を訪れるならば、絶対に外せない店と言っても過言ではない。

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