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1-2 開店準備、嵐の前の静けさ

「城下町で飯屋を開くだって? ヴァネッサ、お前頭でも打ったのか!?」

「私は正気よ! スパイスに使えそうなものを全部頂戴!」


 騎士団長クローデットとの鮮烈な再会の後、ヴァネッサは、太陽が一回転する間もなく家で作戦を考え始めた。かつて「黒魔女」として王国陥落を目論んでいた際は何年も掛けて緻密な計画を完成させたが、誰かの特別になりたい気持ちは彼女を高い集中へ導き、たったの三日であらましを練り上げさせていた。

 寝食忘れて取り組んだヴァネッサは、かっ開いた目の下にを作ったまま茨の魔女の薬草屋を訪れる……


「いい? 今の私に頼れるのは貴女だけなの。ここで揃わなかったら、他国から貿易するところから始めないといけない。でもそんなことしてたら時間が……」

「わかった、落ち着いて。大丈夫、揃えられるから……しかし、なんで店を始めることになった? 正直、まったく見当も付かない」

「それはね――」


 ヴァネッサはしばらく物思いに耽り、夢心地に浸るように虚ろを眺めてから、我に返ったように喉を鳴らして真面目な顔に戻る。


「ンンッ――いい? アルダブルは交易で栄えた国。だから、世界各地から色々な食材が集まってきて、軽食を出す店も通りには多いの。新しく始めるとして狙い目はジャンクフードね。街の人たちにも人気があるけど、何より騎士団人気が高いのよ! 毎日厳しい戦闘訓練で疲れた騎士たちは濃い味のものを求めているの!」

「……それで、例の騎士団長様を狙うって訳?」

「やだ、そんなっ、もうっ。それもいいけど、そこまでいったなら確実に決めに行くわ。これを使ってね――」


 コトリ、とカウンター台に小瓶が一つ置かれる。

 一見、何の変哲もないよくある外見の中には赤透明の液体が入っていた。ラベルの類いは貼っていなかったが、今までの話を聞いていた茨の魔女は、一目見て閉じかけていた瞼を開ききった。


「おい。それ、惚れ薬じゃねえか」

「流石の目利きね。そうよ、これを料理に仕込んで、食べさせて――」

「単純すぎる! もっとこう……あるだろ! 陰謀張り巡らせて国をひっくり返そうとしてたお前はどこに行ったんだ!」

「ちょっと、声が大きいわよ馬鹿!」

「馬鹿はお前だ馬鹿! ……はあ。うん。分かったよ。確かに筋は通っている」

「でも相手はクローデットよ。あの女はとても用心深い。余程のことがない限り外食はしないし、飲み物さえも自分が安全だと認めたものしか口を付けないらしいわ……だから時間をかけて彼女の信頼を勝ち取るの。これはそのための第一歩なのよ」


 ヴァネッサは口の端を上げたまま小瓶をしまう。様々な香りが漏れ出る籠がカウンターに置かれると、すぐさま彼女はそれを取って背を向けた。


「勝算はあるのか? 店の経営も簡単ではないぞ」

「二年前までの稼ぎがまだ山のように残っているわ。だから儲ける必要は無いの。そこを拠点に、徐々に騎士団へ取り入って――クローデットを頂く!」

「んん……まあ、いいか……」

「私は何だってやるわ。あの女を屈服させて、私のものにしてみせる!」


 きい、と扉が開き、店には茨の魔女だけが残される。しばらく安楽椅子を軋ませながら天井を見上げ、帰り際のヴァネッサの一言を思い返しながら独り言を漏らした。


「そうか、遂にあいつにも、春が……」


◆ ◆ ◆


 王国アルダブルの城下町は外食業界の激戦区である。店を構える条件としては申し分ないが、客の舌も肥えているため、新規参入した店が奮わず退散していく光景もしばしば見られる。たとえ城下町の一等地だったとしてもその厳しい現実からは逃れられない。

 そしてこの日、また一つ去り行く店が現れた。

 場所は城下町の中央広場に面したところ。上下水道付き二階建ての半木骨造ハーフティンバーで文句の付けようがない。すぐさま次の参入を狙う町の事業者が一カ所に集まり、誰が新しく土地を買うかについての話が議題に持ち上がったが……


「そのお店、私に貰えないかしら。金ならいくらでも出すわ」


 突然現れた艶やかな風貌の女が、そんな突拍子もないことを言い出した。ギルドに集まっていた商人の男たちはじっと顔を見合わせ、やがて皆が笑い始める。「いくらでも出す」……それは財を成した者が一度は通って痛い目を見る道だからだ。

 それに、自らの美貌を使って玉の輿を狙っているかも分からない。誰一人ヴァネッサに取り合うつもりはなかったが……テーブルの上にどしりと載せられた金貨袋で笑い声が止む。

 ヴァネッサは首を捻った。彼女の背中からは、隠しきれない貪欲さと禍々しいまでの執念が溢れ出ていた……堂々とした目つきは金で動くこの世の全ての人間を見下しているようで、商人たちはみな言葉を失ってしまう。


 誰もがこう思った。彼女は「我々の常識が通じない世界」から来たのだと――


「足りなかったかしら? 黙っていると分からないわね」


 そうやって圧を掛けると、店を売りに出していた男がぽつぽつと返事をした。怖じ気付いて一歩退いたような口調ではあったが、急いで袋の中の金貨を積み上げて整理すると商人らしく言い返す。


「それぐらいの価値は間違いないですが、もう少しだけ……」

「そう」


 虚勢だった。男の声は震えていた。ヴァネッサはそれを一瞬で見抜くと、先程と同じ金貨袋をもう一つ机の上へ落とした。どすん……まるで鈍器が落ちたような音がして商人全員が顔を青くする中、ヴァネッサはその男の顔を覗き込んで凄んでみせる。


「足りないと思ったなら、その袋の中から好きなだけ出しなさい」

「す、好きなだけ!?」

「ただし……過ぎた真似をしたら、貴方の大切なものはそれだけ削れていくわ。例えば、"信用"とか、"立場"とか、"仲間"とか……商人なら分かってるわよね?」

「ひぃ……」


 冷や汗を流し始めた男を前にヴァネッサは机を叩いて決断を急かす。もはやこの場を掌握したと言っても過言ではなかった。彼女の誠意と態度は商人全員の心臓を握り潰し、所有権を巡る議論を収束させてしまった。

 長い時を生きる魔女は、結局最初の金貨袋――本来の相場より安い値段で店を購入することに成功する。にっこりと満足した様子で帰路に就いたヴァネッサだっただったが、彼女は「安く買えた」以上に「店を開ける」ことへ喜びを覚えていた。煌びやかに光る金貨ごときが、クローデット以上に価値あるはずがないのだ。


 それから、月が欠けて再び満ちた頃……。

 空き家だったそこには、翌日の開店を待つ軽食屋ダイナーが完成していた。食材、調理器具、椅子とテーブル、そして「レイヴン・バーガー」の名前が刻まれた看板。かつての黒魔女ヴァネッサは店長となり、それら全てをランプの光で確認して回っていた。

 異国との貿易で揃えたスパイス、調合の知識を活かして作り出した特製ソース、香り付けのハーブなどが並ぶ棚の奥で、一本の小瓶が妖しい輝きを放つ。ヴァネッサはそれを見ながら、最愛の騎士を落とす壮大な計画が始まろうとしている状況に、つい歯を剥き出しにして笑ってしまっていた。


◆ ◆ ◆


 次の日。結論から言えば、ヴァネッサの「新しい事業」はうまくいった。

 だが……


「ハンバーガーセットを一つ!」

「ハンバーガーを二つ持ち帰りで」

「すいません、メニュー見せてもらっていいですか?」

「はいはい、一人ずつ相手するから待ってて!」

(冗談じゃないわ、こんなに客が来るなんて想定外よ!)

(行列は店の外まで出来てるし、料理も掃除も追いつかない!)

(これだとクローデットどころじゃない! ああ、まったくもう――!)


 ……

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