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桜に消えたあの人は紅葉を見ない。
秋坂ゆえ
文芸・その他純文学
2024年07月25日
公開日
3,523文字
完結
振り返る夏、余韻に浸る秋、待ち望む冬、つまりいつも、春。

桜に消えたあの人は紅葉を見ない。

 先輩、お久しぶりです。お元気ですか?

 早いもので、最後にお話しした時から約二半年が経ち、今は紅葉の季節です。銀杏やもみじがとても綺麗なんですけど、先輩はご覧になってらっしゃるんでしょうか?

 私たちが初めて会ったのは、先輩が大学二年生に、私が高校二年生になった春でしたね。高校のオーケストラ部で、パートも違い、学年も、私が現役で先輩はOB参加。そのような距離でたった一年ご一緒しただけの仲でしたが、私は先輩の音色が大好きでした。私はトロンボーンを吹いていたので、低弦との接触はほとんど皆無です。しかし、幼い頃からチェロを演奏してきた先輩の音は、他の部員やOBの先輩たちも、誰もが大切な忘れ物に気づいたかのようにはっとさせられる、まあるいものでした。

 ですから、先輩が、大学の見学に赴いた私を見かけて、「あっ!」と声を挙げ、とびきりの笑顔をくださったことは、私の中では嬉しさ半分、謎半分、だけど結局前者が優勢、といったものでした。

 そこから、私と先輩は急激に距離を縮めていきましたね。

 先輩は私がその大学に合格できるよう、いつも応援してくださる一方で、たまに受験勉強の息抜きとして、大学オケの練習に『未来の部員だから』なんて言って、参加させてくれました。

 私が自分のトロンボーンの正当な客観的評価を受けたのは、実はあの時が初めてでした。小学校のブラスバンドから、中学でのメンバーが流動的なアンサンブル、そして先輩と出会った、高校のフルオケ……。こう振り返ると、長く続けていますね。

——きみ、実力はあるのになんでそれをオーディエンスに届くように吹かないの?

 大学でのオーケストラで、トロンボーンのパートリーダーさんは開口一番そう言いました。私は内心でパニック状態になりました。ただでさえ先輩の紹介で例外的に参加しているのに、私が上手く演奏できなければ先輩に何らかの負荷がかかるかもしれない——といった風に、血の気が引いたのを今でも覚えています。

 しかし、それはパートリーダーの『批判』や『ディス』ではなく、純然たる『質問』だったのです。彼は私を練習場の隅に呼び、話を続けました。

——パーソナリティの問題かな? はっきり言って、きみなら今すぐこのオケに入っても、トロンボーン奏者でトップ3に入る力量がある。でもね、その力は、お客さんに聞いてもらって初めて価値が生まれるものなんだ。

 私は半ば呆然としていました。驚きと、安堵に近い何かと、悦びが、一気に襲ってきたのです。

——ちょっとドヤるくらいのスタンスで試しに吹いてみたら? いきなり『自信を持って吹いて』なんて言っても無理だから。『素人が聞いてもレベルがはっきり分かるくらい、自分の実力を見せつけてやろう』っていう感じでもいい。

 その後もパートリーダーの先輩は続けましたが、私は、『褒められた』、『認められた』という事実にただただ圧倒され、同時に、絶対このオケに入ろうと決意していました。大学ではなく、先輩のいらっしゃるオケ、私の演奏を高く評価してくれる方がいるオケ。その後私が受験勉強へのモチベーションが上がったのは、おそらく先輩もお気づきだったかと思います。

 そして満を持して先輩の大学に合格し、これでまた、同じオケで演奏できる、と思って先輩に合格報告をした時のことを、私は生涯忘れないでしょう。

 先輩は私を呼び出し、二人で少し電車に揺られ、私の知らない駅で降りるよう言ったので、私は従い、少々かしましい商店街の細い路地に入っていきました。そして振り返り、

——合格祝い、あげるよ。

 とおっしゃったので、私はぽかーんとしたまま、先輩に言われるがまま路地に入り、少し歩いた所にある、えらく古い洋館のような小さい建物の前で足を止めました。白状すると、私はそれが何屋さんか、何の用途の建物なのか、全く分かりませんでした。店舗にしても、看板などがありません。

 先輩は慣れた様子でドアを開け、私に先に入るよう促し、後ろ手でドアを閉じました。私は自分が中世ヨーロッパにタイムスリップしたように感じていました。内装もさることながら、狭いくらいのその空間には、様々な楽器がディスプレイしてあり、奥には防音室があるように見受けられました。

 私はその全ての虜になり、先輩が店主と思われる中年男性と防音室の使用について話していることも、ひとことも頭に入ってきませんでした。

——おいで。

 何も分からない私は、言われるがままに防音室に入りました。先輩の愛器である少し赤みがかったチェロと、譜面台、その上にはおそらくは手書きと思われる譜面が置いてありました。

 先輩は素早くチューニングし、これまた年代物の椅子を引き寄せ、弓をかまえました。そして、私の顔を見て、ふっと笑ったかと思うと、チェロの独奏を開始しました。

 一体どれくらいの長さの曲だったか、私には分かりませんでした。

 気づいたら私は涙を流していたからです。

 よく、チェロは人間の声に最も近い音色、と言われますが、まさに先輩が演奏してくださった曲は、まるで先輩の声が私の聴覚に声として届いているようで、そしてそれは非常に心地良く、穏やかで、しかし激情をも孕んでいるような、不思議な曲だったのです。

——ごめん、泣かせるつもりはなかったんだけど……。

 最後のボウイングを早めに切り上げた先輩は、目の前に座る私の髪を撫でてくださいました。

 私は思わず、お礼よりも先に、誰の何という曲ですか、と聞いていました。

——書いたのは、今演奏した本人。タイトルは、きみが決めて。

 あんな素敵な贈り物をいただいたのは人生で初めてで、おそらく今後それを上回るものは現れないと、私は確信しています。

 少し開かれた天窓から、桜の花びらがひらひらと、防音室に降り落ちてきました。桜。春の象徴のようなものですよね。私は恍惚として、このまま桜の花びらに埋まって死ぬまで先輩の曲を聞いていたい、なんて絵空事まで真剣に考えていたんですよ?

 なのに、桜が散る前に、先輩、どうして私を置いていなくなってしまったんですか?

 失踪だとか、家出だとか、誘拐だとか、様々な噂が、真偽の不明の情報が錯綜し、捜索願が出されて、私だけではなく大学の方々も、探そうとする一方で、「なんで?」という疑問符の方が大きかったんです。

 ただ、もしあの書き置きが後から見つからなければ、警察ももっとちゃんと動いてくれていたのだと思います。

「桜の中で、安らかに命を終わらせます」

 確かに先輩の筆跡でした。私でも分かるほど、丁寧な文字列でした。

 ですから、大半の人間にとっては、二度目の「なんで?」だったのです。しかしながら、皆銘々に先輩はもうこの世にいないのだと悲しみと共に嘆き、仲間内で極めて温度と彩度の低い食事会を執り行いました。

 その際に、クラシックと同時にロックンロールを愛聴する先輩が、こんな話をしました。イギリスのバンドのメンバーが、突然失踪し、彼の車は自殺の名所で発見されたものの遺体は上がらず、パスポートやIDも残っていたという『ミステリ』です。何故『ミステリ』かというと、この後、世界中で彼の目撃証言があがったからです。

 ファンのでっちあげ、といった声が大半でしたが、私がショックを受けたのは、その十二年後のある『処理』でした。

 イギリスでは、失踪から十二年経つと、政府が『死亡認定』を下すというのです。バンドマンの方もその例に漏れず、現在『死亡』しています。

 日本にそういった法律か何かがあるのか、私は知りたくもありません。

 先輩は今もまあるい音のチェロを奏で、日本はおろか世界を巡っているんじゃないか? なんてことを、私は今もなお真剣に夢想します。

 でも先輩、時間というものは、現実というものは、かくも残酷で、今私の眼に映っているのはあの日天窓から降り注いだ桜の花びらではなく、もっと力強い赤や黄色、色とりどりの葉を持つ樹木で、それらの色味が濃ければ濃いほど、私はあの桜の花弁の、控えめなピンク色を想ってしまうのです。

 そして紅葉が終われば雪の降る冬が来ます。その中で、私は誰よりも早く春の気配を察知し、桜が芽吹く前から胸を躍らせます。桜の季節が終わると、私は酷暑の中で、過ぎ去った春に思いを馳せ、秋まで過ごすのです。その繰り返しです。

 だから、先輩が桜の中に消えたというのなら、私は、先輩に秋の紅葉を見せたくありません。あの遺書のような言葉の通り、ずっと桜の中にいてください。

 最後に。

 これだけ年月が経っていても、私はいまだあの曲にタイトルをつけていません。

 もう一度、いえ、何度も聞いて、先輩の両腕が上がらなくなるまで聞かせていただいて、それから決めたいのです。

 たとえそれが叶わぬことであろうとも。

                                 (了)

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