「初めまして。ロベルタ侯爵の娘であるルナティアーラと申します」
政略結婚の相手として俺の元に連れてこられた女性は、目の前で優雅にお辞儀をした。絵姿通り、銀色で緩やかにうねる長髪に薄緑色の瞳をした女性だ。
「こちらこそ初めまして。俺はアーティアス王国の王子、クラウン・アーティアスだ」
「お名前は勿論存じております。お姿も、遠目からならば」
「そうだったか」
「はい。両親の意向で、王家主催のパーティーには度々参加しておりましたので」
そう答える声は、変に高くなくてとても聞きやすかった。見た目も雰囲気も美人な方だとは思うが、華やかというよりは落ち着いた雰囲気で大人しそうな印象だ。
「貴女は、ロベルタ侯爵の三女と聞いている。兄が一人と姉が二人だったか」
「はい。弟妹も合わせて三人いますので、総計七人です」
「王立女学院の二年生で天文学部に在籍、理系科目が得意で、アクセサリー作りが趣味と聞いているが合っているだろうか」
「そ……その通りです」
会話を途切れさせないよう、事前に調べておいた彼女の情報を確認していく。尋ねる度に、ルナティアーラ嬢の薄緑色の瞳がぱちぱちと瞬いた。
「天文学部に入ったのはどうしてだ?」
「ええと……空を見るのが好きだからです。それが転じて星を見るようになって、天文学に興味が出ました」
「空を見るのが好き、か。どの時期が、とか何時頃が、とか、そういう好みはあるのか?」
「どの時間帯もそれぞれの良さがあるので比べるのは難しいですが、強いてあげるならば冬の日の夜空ですね。空気が澄んでいるので星が見やすいのです」
「冬なら寒さも厳しいだろう? その辺りは大丈夫なのか?」
「しっかり着込んでいるので大丈夫ですよ。夢中になってしまって時間を忘れやすいので、侍女に協力してもらってはいますが」
空の話になってから、明らかにルナティアーラ嬢が饒舌になった。空が好きというのは本当らしい。
「空を見るのが好きで星を見るのも好きならば、星座とかも好きだったりするのか?」
「そうですね。星座の成り立ちや星の名の由来を学ぶのは面白くて好きです。アクセサリー作りもよくしますが……それも、まるで星を紡いているみたいで楽しいと思ったからですし」
「……それならば、今つけている髪留めも貴女が作ったものなのか?」
彼女の髪に手を伸ばして、そっとその髪留めに触れた。十数個の小粒のガラスパーツをワイヤーで繋ぎ、真ん中から大きく折って両端はそれぞれ丸めてあるという不思議な形をしている。
「はい!」
それまでは温和に微笑んでいたルナティアーラ嬢だったが、髪留めに話題を移した途端ぱっと華やかな笑顔になった。それはあまりに自然な表情で、美しいと思って、思わず髪留めに触れていた手を引っ込める。
「元々は持っているネックレスやブローチを真似て作っていたのですけれど、ふと、星座の形を再現してみてはどうだろうかと思いまして。試行錯誤しましたが漸く納得のいく出来の物が出来たから、つい……両親は、みっともないから止めろと言っていたのですが」
花が綻ぶような笑顔とはこの事か。いつになく心臓がせわしく動いているのを実感しながら彼女の話を聞いていたが、最後に呟かれた言葉に眉を潜めた。みっともない、だと?
「ロベルタ侯爵と夫人は、貴女の趣味に反対しているのか?」
「……違うと思います」
「では、何故」
「これはあくまで素人が趣味で作った物ですから、職人が作った物と比べるとどうしてもクオリティは落ちます。そんな物を王子との謁見の場に付けていくなんて失礼とか、お目汚しになるとか、そういう意味なのでしょう。どうしてもというのならば、せめてそんなみずぼらしい物ではなくて豪華な物の方にしろと言われましたし」
「……ふざけているのか」
彼女が丹精込めて作った物を、そんな理由でみっともないと言った神経に腹が立つ。豪華に飾り立てていないと醜いという感性も許しがたい。
「申し訳ありません」
突然謝罪の言葉が聞こえてきて、はっとした。目の前に座っていた筈のルナティアーラ嬢が、椅子から降り跪いて頭を垂れている。
「わたくしの失言を謝罪致します。どうか、処罰はわたくしのみで、一族の皆はお見逃し下さいませ」
美しい銀の髪が床についてしまうのも構わず、彼女は俺へ向けて頭を下げ続けた。違う、失言だったのは俺の方だ。ふざけている、なんて感情をむき出しにするべきではなかった。
「こちらの方が謝るべきだろう。申し訳ない、貴女に怒った訳ではないんだ」
「ですが、わたくしの発言で不愉快な思いをなさったのは確かでしょう? ご気分を害してしまって、本当に申し訳ありません」
必死に謝ってくれる姿に、この国の闇を見た気がした。彼女にとっては、俺も、あの身勝手な両親と同じ王族に映っているのだ。だから、こうして必死に謝罪してくれている。
どうしてそれが、こんなにも苦しい?
「……申し訳ないと思っているのならば、こちらを向いてほしい」
出来得る限りの優しい声で呼び掛け、彼女の手を取った。こわごわと顔を上げたルナティアーラ嬢の薄緑の端には、涙の粒が滲んでいる。
「俺が怒ったのは、貴女が一生懸命作ったのであろうこの髪留めを、みっともないと詰られた事に対してだ。貴女自身に対してではないし、貴女の言葉に非があるとも思っていない」
「……そうなのですか?」
「ああ。貴女は、先程の髪留めを漸く納得のいった作品だと言っていた。それだけ時間と手間をかけて作った物という事だ。そして、俺もあの髪留めは良く出来ているし貴女に似合っているなと思った。だから、その髪留めを認めないような言い方をした貴女の両親に対して腹を立てたんだ」
彼女の瞳から涙が零れていきそうだったので、そっと人差し指で拭う。薄緑が瞬いて頬が赤くなった様子を、何の躊躇いもなく可愛いなと思った。
「だが、確かに、別の王族……俺の両親とかならば、この国を治める王の前に出るのにと言って機嫌を損ねる可能性がある。そう考えると、貴女の両親の言い分は必要な考え方の一つだったのかもしれない」
可愛いと思ったら、もっと彼女に触れてみたくなった。熟れている頬にそっと手を添えてみると、彼女の瞳が揺れる。
「それでも俺は、貴女の努力を、掛けた労力を、蔑ろにするような言い方は嫌だと思った。髪留めについて嬉しそうに語ってくれた貴女は楽しそうで、可愛らしいと思った」
「かっ……!?」
揺れていたルナティアーラの薄緑がかっと見開いて、首から上が全て真っ赤に染まった。ばっと視線を逸らされたのが面白くなかったので、もう片方の手も彼女の頬に添え薄緑の瞳を正面から見つめる。
「……あなたは」
彼女の唇から、掠れた声が漏れた。よく見る毒々しい赤色でなくて、ほんのりと色づいている柔らかそうな薄紅色。
「王子殿下は、わたくし、私を、見て下さるのですね」
「……どういう意味だろうか」
「そのままの意味です。私は、ロベルタの娘だから、近づく人は、皆、侯爵はどうだとか兄はどうだとか……そういう話ばかりで」
ルナティアーラには目を向けてくれなかったから。そう言って翳った彼女の瞼に、触れるだけの口付けを落とした。まるで、そうするのがさも当たり前であるかのように。
「俺と結婚するのは貴女だろう?」鼻先が触れ合うくらいの距離で、囁くように問い掛ける。ぎゅっと結ばれていた彼女の口唇が、緩やかな弧を描いた。
「ええ……そう、そうですね」
薄紅から零れた声を飲み込むように、彼女の柔らかな唇に自身のそれを押し当てる。戸惑っているらしいルナティアーラは、それでも懸命に応じてくれた。
「……次の舞踏会は一緒に出てくれるか?」
俺の婚約者として。両頬から手を離し、腰の辺りに腕を回し抱き締めながら問い掛ける。
「はい、もちろんです」
綻ぶような笑顔で、ルナティアーラは了承してくれた。