あれから数日が経って、やっとわたしは動けるようになった。
休んでいる間の教会の仕事はマリエス様が代理した。
といってもマリエス様も歳なので軽い面会のみである。
かつての聖女が再び表舞台に出ると大騒ぎになり、教会にはとてつもない数の人が訪れたとか。
ちなみにわたしが休む理由はマリエス様が適当にでっちあげてくれたようだ。
本当に、彼女には頭が上がらない。
わたしはマリエス様に深く感謝したのだった。
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休日、わたしはシュダと公園へ向かった。
「あ、聖女のそっくりさんがた、お久しぶりです」
定位置とも言えるベンチでは、ペンダントの青年が座っていた。
「お久しぶりですわね。今日は例の件に進捗があったので話しに来ましたの」
わたしは今回の悪魔騒動の一件を話した。
ペンダントの行方を捜してほしいと彼に頼まれたのがことの始まりだった。
フウラが攫われ、助け出したはいいものの特殊な痣から悪魔が関与している可能性が浮上した。そしてペンダントには悪魔らしきものが封じられていることがわかり、この二つの件は繋がっているのだと推測した。
痣に導かれるように教会へ行くと、諸悪の根源たる悪魔がいた。
そこには街中で起こった事件で青年と揉めたお爺さんの死体があったことからも、おそらくわたしの推理は当たっていたのだろう。
結局、ペンダントの行方はわからなかった。が、おそらくあの赤い目の男が持っていたのだろう。
もしかしたら悪魔をこの世に解き放ったことでペンダントは失われてしまったのかもしれない。
ちなみに悪魔との戦いでピンチに陥ったことは伏せた。
青年が自分を責めてしまうかもしれないからだ。
「つまり……あのペンダントの中に封印されていたのは悪魔で、しかもそれを退治したってことですね?」
「ええ。ですので、安心してくださいまし。……ペンダントを取り戻せなかったことに関しては、たいへん申し訳ありませんわ」
「いえ、その点は別にいいんです。あのペンダントの中に眠る化け物が世に放たれて人に害をなしたら、きっと僕の管理責任が問われるでしょう? それが……怖かったんです」
青年は微かに言い淀みながらも続ける。
「……臆病ですみません。ペンダントを破壊するというのも試したんですが、特殊な力に跳ね返されたようでうまくいかなかったんです」
「そうでしたのね……」
「聖女様、この度は本当にありがとうございます。感謝してもしきれません」
青年は立ち上がり、深く頭を下げた。
「困っている人がいたら助けるのは当たり前ですわ。……それとわたくしは聖女でありませんわ」
「あの、ささやかなお礼なんですが、こちらを受け取ってもらえませんか?」
「気持ちだけで十分ですのに……」
差し出された物を受け取る。なにかの券のようだ。
書かれた文字に目を落とす。
「こ、これは! 超高級焼肉店で使える十万サルト分の券!」
食べることが大好きなわたしにとって、この券はキラキラと光る宝石のように見えた。
「めっちゃ食いついてるじゃねぇか……」
「シュダ! 早速今日のお昼にでも行きますわよ!」
「わかったから落ち着け」
シュダに言われて、正気を取り戻す。
「はっ! 少々取り乱してしまいましたわ。こほん……ではこの券は喜んで使わせていただきますわね」
「はい。命懸けで戦ったのにこの程度ですみません」
「深く気にしないでくださいまし。これはわたくしの役目でもありま……あ」
口が滑った。
これでは聖女として民を守ることが自分の役目でもあると、言ったも同然だ。
「聖女様の活躍、これからも応援してます」
「お、おほほほほ……」
笑顔の青年にそう告げられ、わたしは曖昧な笑みを返すのだった。
――――――――――
超高級焼肉店に行く途中、通りでカナガゼルと会った。
どうやらカナガゼルはこれから街を旅立つそうだ。
フウラは休日ということで友人と遊んでおりこの場にいないため、わたしとシュダで見送ることにした。
「フウラのこと、ありがとうございましたわ」
「もう少し滞在していけばいいのに。つか、なんでこの街に来たんだ?」
わたしが礼を言う一方で、シュダは疑問を口にしていた。
「お嬢ちゃんのこと大事に、な。……この街には旅するついでにたまたま寄っただけだ。昔いたところだし、ちょいと懐かしくて。そうしたら昔の同僚に再会して変な案件投げられて、悪魔を追ってたっけワケだ」
やっかいごとを投げられたせいか、その顔には呆れが浮かんでいた。
「にしてもシュダ、大きくなったな……」
ふと、目を細めながらシュダを見る。
そのまなざしはまるで成長した子を見る親のようであった。
「そりゃ、十年くらい会ってないんだから大きくもなるだろ」
「だな……。聖女サン、シュダのことよろしく頼むわ」
「え、ええ……」
なにを頼まれたのかわからず、困惑の混じった受け答えをする。
「んじゃ、そろそろ行くわ」
「元気でな」
シュダのその声に、カナガゼルは顔を向けず軽く手を振るのだった。
――――――――――
休日が過ぎ去り、わたしは仕事に復帰した。
決められたルーティンをこなして、気付けば夕刻。
久々だからか、普段よりも少し疲れがたまっている。
かちゃりと教会の扉が押し開かれた。
「はあっ……はあっ……ま、間に合ったぁ……」
駆け足で来たのか、息の上がった女性がいた。なんだか顔に見覚えがあるような……。
彼女は恍惚とした表情で、こちらへ近づいてくる。
「せ、聖女様! あぁ今日もお美しい顔でいらっしゃいますね、もうほんと神々しくて鼻血出そう……うへへへ」
そう言ったそばから鼻血が出ていた。
「だ、大丈夫かしら!?」
慌ててわたしはハンカチを渡す。
「あ、お気遣いありがとうございます! 聖女様のおハンカチ、これで鼻拭くの勿体ないけれど、今回はしょうがないか。すーはー……いい香り〜幸せぇぇ〜」
鼻血はすぐ止まったようだ。
ハンカチはわたしが洗うので大丈夫だと言い、返してもらった。
「いやー今日は、ちょっと同僚に仕事をぶん投げ……げふんげふん……奇跡的に早く上がれたので会いに来たんですよぉ〜」
あ、思い出した。
この人はたしか街中で起こった事件でお世話になった警邏の方か。
仕事中とのギャップがすごいなぁ……。
「それで、ご要件はなにかしら?」
内心を悟られないよう、凛々しい聖女の姿で彼女に問いかける。
「わたしが普段使ってるこのメモ帳にサインを! ぜひっ! お願いしますっ!」
深いお辞儀と同時に、落ち着いた装丁のノートが差し出される。
わたしは羽根ペンでサラサラと自分の名前をそこへ記した。
実は結構わたしのサインをねだってくる人はいる。
聖女とは一体なんなのだろうか……。深く考えないようにしよう。
「しっかり乾くまで触らないでくださいまし」
微笑みを向けながら、彼女へノートを返した。
「ああああ念願の聖女様直筆のサァイン! もうこの人生に悔いはない!」
「そんなことを言っては駄目ですわ。わたくしはあなたの今後の人生を応援していますわよ」
聖女スマイルを浮かべ、そう告げる。
「聖女様に応援されちゃった……ふへへへへ。明日からのお仕事すごく頑張れちゃいそうへへへ」
蕩けるような顔を浮かべる女性。
「それじゃあ聖女様、またねー! うへへへへ……」
「ええ、また!」
怪しげな笑い声を響かせながら彼女は去っていった。
かちゃんと扉が閉まる。
静まり返った教会。
軽く息を吐いて、わたしは独りごちる。
頭の中を占めるのは今回の出来事について。
マリエス様はわたしのことを誇りに思うと言っていた。
同時に、命の大切さについても説いてくれた。
さっきの女性のように憧憬の眼差しを向けられると、軽々しく自分の命を扱うべきではないことを身に沁みて感じる。
わたしには、まだまだ上がある。
聖女として、より高みを目指し続けよう。
そして必ずや、もっと立派な聖女になってみせよう。