落ちる。
落ちていく。
重力に従い、身体が下へ下へと落ちていく。
何もできなかった。
何も考えられなかった。
ただただ、流れに身を任せるしかなかった。
絶望的な浮遊感に包まれながら、わたしの意識は薄くなり、途切れていった。
……。
…………。
冷たい風が微かに頰を撫でる。
その感触でわたしは意識を取り戻した。
ここはどこだろうか。
辺りは暗いが、土壁に覆われていることは確認できる。
まるで、ぽっかりの空いた洞窟のような場所だった。
浮遊感を覚えたことから、ここは儀式場よりもさらに深いところだと推測はできるが、みんなはどこにいるのか。
傍らに落ちていた杖を拾い、ライシャインを発動し、光の玉を生成する。
明るい光を頼りに、重い身体で周囲を探る。
魔法を使って思ったのだが、気を失っていた間に、魔力量が少し回復したようだ。
光球を操り暗闇を照らしていくと、フウラが横倒れになった姿を見つけた。
慌てて近寄る。
息はあるので、気を失っているだけのようだ。外傷は特に見当たらない。
無事でよかった……。
「おー、聖女サンは無事だったんかい」
「っ!?」
背後から突然振りかかった声に身体を向けると、暗闇の中から這い出るようにカナガゼルが現れた。
「聖女だとまだ名乗っていないはずですわ」
見定めるように目を細め、彼の動向を観察する。
「あれくらいの光魔法を使えるのは聖女サンくらいだろ」
「魔法について詳しいんですわね」
「使えはしないがな」
嘆息するように吐き捨てる。
味方であるはずなのに、得体の知れぬ気配を感じる。
何故だろう。空気がどんよりと重い気がする。
「なんでこんな険悪ムードなんだよ……」
そこへ、シュダが会話に入ってきた。
左腕を負傷したのか、軽く押さえている。
「生きてましたのね!」
「勝手に殺すな!」
鋭く突っ込まれた。
怪我しているが、思ったよりも元気そうだ。
「腕は大丈夫かしら? 回復しますわよ」
「利き腕じゃないからいい。それに魔法は無限に撃てるわけじゃないんだし、温存しといたほうがいいだろ」
「わかりましたわ。でも無理はしないでくださいまし」
「ああ。……そんで、奥の方からやばそうな気配を感じるんだが」
「あちらにいるようですわね」
わたしたちは遠くの暗闇を見据える。
目を覚ました時から感知していた。この闇のずっと奥深くに感じる強大な気配を。
「作戦とかあるのか?」
「全力で戦うのみですわ!」
正直言って魔力はかなり限界まで来ていて、精神的にも疲れ切っている。この状況を一瞬で覆せるような便利な魔法もない。
だが、引くわけにはいかない。もしここで負ければ悪魔は野放しになる。
街の方へ奴が移動したならば、一体どれだけの死者が出るか想像もしたくない。
「絶望的じゃねぇか……」
シュダが諦めのこもった息を吐く。
「なんか……仲いいなお二人サン。付き合ってんのか?」
静観していたカナガゼルが不意に茶々を入れてきた。
「付き合ってねぇ!」
「付き合ってませんわ!」
偶然にもシンクロした。
「そんな全力で否定しなくても……」
カナガゼルは呆れていたが、そうしたいのはこっちだ。こんな土壇場でなんの意味もないことを言わないでほしい。
変な空気につられてか、わたしの心が早鐘を打ち始めた気がするし。
「はぁ……明日は仕事ですし、早く仕留めないといけませんわね」
「明日くらい休んだらどうだ? 俺は休むつもりでいるんだが」
「そうはいきませんわ。聖女はこの国にわたくししかいませんもの」
一応休むことも可能だが、わたしはこの立場に誇りを持っていた。
なりたくてもなれなかった人がいるのだ。
そんな彼女らの心情を思えば、休んでいる暇などない。
「そういや、先代の聖女はまだ生きてんのか?」
カナガゼルが意図のわからない質問を飛ばしてきた。
「いえ……。ただ、日常生活を送るのに介助が必要だと聞いたことがありますわ」
先代聖女。わたしの前に聖女だった人。
彼女は優秀で、信頼も厚く、衰えて魔力が減ってもなお聖女であり続けた。
この旧教会だって、初回は彼女に連れられて訪れたのだ。
聖女になりたての頃は色々と指導してもらったが、しばらく顔を合わせていない。
「ふぅむ……なるほどな」
知り合いなのだろうか。
返答には納得感が含まれているようだった。
しかし、あの悪魔をどうしたものか。
作戦……か。
なにか閃いたりしないだろうか。
このまま全力でいったところで勝てる未来が見えてこない。
悪魔には物理攻撃が効かない。
シュダもカナガゼルも光魔法が使えない。
やはり、わたし一人でアレと戦うしかないのか。
いや、まて。
わたしの魔法を使えば、二人にも出来ることがあるじゃないか。
「先ほど作戦はないと言いましたが、一つ思いつきましたわ。戦う前に、二人に魔法をかけますわね」
杖を構え詠唱し、身体能力を強化するフォードアップをかけた。
シュダには地下に降りる前にもかけたが、あれから時間が経っているため効果が薄くなっているはず。
これで二人の身体能力が強化された。
「悪魔には物理攻撃が効かないんじゃなかったか?」
「そうですわね。でも、こうすればきっと効きますわ」
わたしはもう一つ魔法を唱えた。
エンチャント・ライトという、物体に光属性を付与するものだ。
剣の刃が白い光を纏う。
シュダが光を纏った剣を振ると、光はその動きに合わせて移動した。
「おお! すごいなこれ。俺も魔法使いになったみたいな気分だ」
「これで聖女サンのサポートをオレらがすりゃいいってことだな?」
「その通りですわ。わたくしが魔法を唱えるまでの時間稼ぎをお願いいたしますわ」
今の魔法二つで貴重な魔力を消費したが、得たものは大きい。賢明な判断と言えるだろう。
これでドラゴン戦のように、わたしが強力な魔法を放つまでの時間を二人に稼いでもらうのだ。
先程のように過集中状態になれば何度も撃てるが、あれは意図してなれるものでもない。それに精神的にも残存魔力量的にもなれる可能性は低いだろう。
準備は整った。
あとは戦うのみだ。
遠くに感じる気配に向かって慎重に歩みを進めていく。
近付けば近付くほど、その存在感に身体が怯え始める。
止まりそうになる足を、無理矢理前へ動かしていく。
やがてライシャインの明かりが奴を捉えた。
そいつはこの洞窟の深奥の、ぽっかりと開けたところに
黒く、禍々しく、荒々しい気配を漂わせ、見るもの全てを圧倒させる。
最初戦った時とは桁違いの力を感じる。
視認するだけで呼吸がおかしくなる。
汗が一気に吹き出て、身体が氷水に浸かったみたいに冷える。
震える両手で杖を構える。
大丈夫。
ドラゴンだってなんとか倒せたのだ。
悪魔だって、勝算はあるはずだ。
選ばれし聖女として、この戦いに勝ってみせよう。
静寂が満ちた。
それは数秒だったかもしれないし、数分かもしれない。
不意に音が生じた。
シュダとカナガゼルが阿吽の呼吸でわたしの前に躍り出た。
その手には光を帯びた剣。
悪魔のゆらりとした実体を伴わないかのような身体に刃を突き刺し、薙ぎ。切り裂いていく。
刃の通った箇所から悪魔の身体が薄くなる。どうやらしっかり効いているようだ。
悪魔も負けじと腕を振り反撃に出るが、二人は巧みに躱す。フォードアップのおかげで速度が飛躍的に向上していた。
カナガゼルは老体ではあるが、動きも剣捌きもシュダより鋭い。シュダも十分に強いはずだが、それをゆうに超える。
作戦が上手くいっていることに一安心し、わたしは魔法を唱え始める。
「光の蔓よ 彼の者を絡め取れ 命を吸え 【ルビア・ドアス】ッッ!」
光の蔓が地面から生え、悪魔を拘束する。
蔓には光の棘が無数に揃っており、じわじわとダメージを与える。
身動きが取れなくなり脱出を試みる悪魔。手こずっている隙にシュダとカナガゼルが攻勢へ出ようとする。
しかし、彼らの攻撃が通る前に光の蔓は打ち破られた。
悪魔は蔓を破った勢いのまま両腕を振るう。
予期せぬ攻撃にシュダの身体が勢いよく飛ばされる。
身体は何度もバウンドし、わたしの背後まで一気に距離をつけられた。
「シュダ! 大丈夫でして!?」
戦闘中に余所見はいけないが、不安でつい振り返ってしまう。
「……大丈夫……だ」
シュダは弱々しく吐き出しながら立ち上がる。それを確認して、わたしは前へ向き直った。
カナガゼルが単独で悪魔を相手取っている。彼の動きは卓越したものだが、悪魔相手では分が悪いようで、微かに押し負け始めていた。攻撃から防御へと変更を余儀なくされる。
その攻防を解消するためにも、わたしは次なる魔法を発動した。
「幾本もの光剣よ 肉を斬り 皮膚を裂け【ノストオース】ッ!」
無数の光のナイフが、悪魔の身体へ突き刺さっていく。
外見からはダメージを与えているように見えるけれど、その動きは少し鈍る程度。
さっきよりも確実に強くなっていることが窺えた。
シュダが戦場に戻って来るも、その剣と身のこなしに勢いはない。食らった外傷は思いのほか大きいようだ。
魔力量的に、あと魔法一発が限界。
シュダとカナガゼルも、いつまで戦えるのかわからない。
ジリ貧になっていく。
悪魔が、ふと攻撃をやめた。
息を吐ききった時のような力の抜けた身体になる。
嫌な予感がした。
そっと手を前に出し、聞き取れない言葉を呟いたその瞬間――
場に、闇が満ちた。
黒塗りされた視界で、捻れるような、潰されるような痛みが全身を襲う。
「くッッッ?!」
まるで闇の嵐の中にいるようだった。周囲の様子はわからない。
ただただこの場に大きな闇が立ち込め、息をするのも苦しくて杖にしがみつく。
「がはッッ!」
喉元を這い上がってきた気持ち悪さに思わずえずく。
悪魔の姿は見えない。奴の気配は取り囲む闇のせいでうまく判別できない。シュダとカナガゼルがどこにいるのかもわからない。声もしない。
聞こえるのは何か得体のしれないものが蠢くような不気味な音だけだ。
「はぁ……はぁ……」
息を整え、なんとか意識を保つ。
ライシャインの光は打ち消されたようだ。
再び魔法を唱えねば、この状況は打開できない。
しかし、魔法を唱えられるほどの落ち着いた精神力はすぐには取り戻せそうにない。
ゆっくり、時間をかけて精神を安定させていく。
この闇を晴らすには、同じだけの光をぶつけるしかない。
つまり莫大な光エネルギーが必要なのだ。
「…………」
わたしはゆっくり深層へと意識を潜り込む。
ありったけの光魔法をぶつける。
そのために、集中力を高めていく。
次第に昂ぶっていく。
心が、身体が、内なる光が。
目を見開き、杖を両手に持ち、底知れぬ闇に向かい唱えた。
「光よ 闇を照らせ 全てを晴らせ 【ラスト・シャイニング】ッッッ!!」
全ての魔力を込め、魔法を解き放った。
視界が白で埋め尽くされる。
光が、どこまでも広がっていく――
輝かんばかりの光が落ち着いた頃、周囲には光の雪が降り注いでいた。洞窟という明かりのない暗闇に光明を授ける。
立っているのは、わたしと悪魔だけだった。
シュダは壁に背を預け、肩で息をしている。
カナガゼルは後方で剣を支軸に膝をつき、顔を苦渋に歪めていた。
おそらく光の魔力を身に宿したわたしだから、あの膨大な闇の魔力になんとか耐えられたのだろう。
これで、魔力が底を尽きた。
だが、悪魔は悠然と佇む。
今の魔法は、闇を霧散させただけなのだ。
悪魔には大してダメージを与えられていない。
絶体絶命だった。
ここから先は、禁断の領域に踏み込むしかなかった。
息を全て吐ききった。
恐怖と、臆病な心も、一緒に。
そして、ゆっくりと息を吸った。
覚悟を決めたわたしは不敵に笑った。
「聖女として、絶対に……絶対に諦めるわけにはいきませんわ……!」
どんな困難だろうと打ち破ってみせる。
わたしは、誇り高き聖女なのだから。
固く握りしめた杖の先を悪魔へ向ける。
魔力ではなく、
身体に剣を突き刺されたような痛みが走った。堪えきれず、口から血を吐く。
尋常なほどの汗が身体中を伝っていく。
「光の槍よ 輝き放ちて 標的を穿てッ!」
喉を突き破るように声を上げた。
杖が光の槍の形状を纏う。
「【ルクス・スピア】ッッッ!!」
悪魔と槍がぶつかり合った瞬間、世界が激しい光に包まれ、全てを打ち消すような音が轟いた。