闇の光線はフウラの隠れる柱に当たり、突き抜けた。
轟音が響き、柱が雪崩のように急速に崩壊していく。
ただ茫然とすることしかできなかった。
フウラをここに連れてきたのは間違いだった。自分なら守れるのだと、目の届く範囲にいるなら助けられると、そう思ったのが失敗だった。
ばらばらと柱が倒壊するのと同時に、わたし自身もばらばらと崩れていく。
杖がコトンと手から滑り落ちる。
立つこともままならず、よろけるまま座り込む。
展開されていた障壁魔法が、わたしの精神状態に影響され、急速に脆くなっていく。
ヒビが入る。
ピキリ、ピキリと。
わたしの心を打ち破るように、魔法が迫ってくる。
死が、近付いてくる。
それなのに、心は不思議と落ち着いていた。
結末を悟ったからだろうか。
二度目の人生、立派な聖女として上手くやってきたつもりだったんだけどなぁ。
わたしには、無理だったのかな――
「お姉ちゃああああん! 死んじゃだめえええええっ!」
声が、聞こえた。
確かに耳へ届いた。
陽気で、健気で、聞くたびに元気の出る声。
笑った顔に、いつも勇気付けられた。
姉が聖女であることを誇らしげにしてくれて、嬉しかった。
わたしはその声を聞いて、一度は取り落とした杖を掴んだ。
力が入り切らない足を、無理矢理立たせる。
フウラはまだ生きている。
そう思うと、胸に炎が宿った。
ふつふつと燃えるように力が湧いてくる。
わたしは決意の籠もった目で敵を見定める。
悪魔に向け、杖を構えた。
今にも割れそうな障壁を前に、わたしは魔法を唱える。
「白き光よ集え 迷いの闇を照らせ 我らの道を開け 【アル・グレイツ】ッッッ!!」
魔法が完成する寸前、障壁が粉々に砕け散った。
堰き止められていた闇の塊が接近してくる。
それを光球から生じた何本もの光線が迎え撃つ。
目が眩むほどの輝きが充満する。
光に呑まれるようにして、闇は瞬時に消え去った。
「はぁああああっ!」
そのまま光球を集めて極太の光線を作り出す。それを悪魔へ向けて全力で照射した。
莫大な光の余波が身体に襲いかかる。
それをものともせず、わたしは次なる魔法を構える。
今なら、待たずとも魔法を使える。
ゾーンに入ったのだ。
集中力は漲り、あらゆる魔法を連続で唱えられる。
「光の槍よ 輝き放ちて 標的を穿て 【ルクス・スピア】ッッ!!」
杖が光に包まれ、槍と成る。
後ろに軽く引いてから、前方へ投げ飛ばすように杖を前へ突き出す。
杖を纏っていた光の槍だけが射出され、悪魔の身体に深く突き刺さった。
悪魔の動きが止まった。
力なく、その身体が地面に倒れていく。
黒い残滓のようなその身体が少しずつ溶けるように消えていく。
悪魔相手に、勝ったようだった。
「お姉ちゃあああん! よがっだよおおお、死んじゃうかとおもっだよおおお」
フウラが遠くから走りながらやってきた。
その背後に、見慣れぬ男がいることに気付く。
白髪で皺が多いが、どこか力強い雰囲気を纏っている。腰にはすらりと長い剣を帯びていた。
わたしは咄嗟に杖を構えた。
「カナガゼルっ!?」
何故かシュダが声を上げた。
どうやらシュダの知り合いのようなので、ひとまず杖を下ろす。
「まだ戦闘は終わってないんだろ。助太刀すんぞ」
「あ、ああ!」
シュダの方はまだ決着がついていない。
カナガゼルはシュダに加勢してくれるようだ。
わたしは魔法を使いまくって疲労せいか、身体が急に重くなった。
フウラのもとに駆けつけ、近くの柱にもたれかかる。
「あのおじさんがね、柱に攻撃が当たる寸前に助けてくれたの!」
「そうでしたの。それは本当に、本当に……」
「お姉ちゃん……?」
本当によかった。その言葉すら言えないくらい涙が溢れ出てくる。
フウラをぎゅっと抱き締める。
この温もりを失うことがなくて、本当によかった。
「お姉ちゃんの戦う姿、すごくかっこよかったよ」
耳元でフウラがそんなことを呟いた。
その言葉を聞いただけで、胸があったかくなった。
――――――――――
フウラの痣は消えていた。
ホッと一息つきながら、二人で戦いを見守る。
二対一ともなれば、こちらが優勢だ。
さきほどまでは拮抗状態だった戦況が、みるみる変わっていく。
禍々しい剣を持つ男は、改めてよく見ると赤い目をしていた。
フウラに訊いてみたところ、間違いないと言っていたので、彼女を攫った張本人であろう。
本来であれば直接戦いたいが、疲れ果てているので我慢するとする。
カナガゼルの剣筋はシュダに酷似していた。そのうえ、シュダよりも
一挙手一投足が磨かれており、剣の道の頂点とも渡り合えるほどの動きであった。
剣同士がぶつかり合い、せめぎ合う。
シュダも食らいつくように、赤い目の男へ攻撃を繰り出す。
やがて重い一撃が轟いた後、剣の音が止んだ。
赤い目の男が床に這いつくばっていた。
まだ息はある。
わたしは彼の事情や思惑を知るために、近付いていった。
フウラは怖いのか、その場で待っていると言った。
「さて、事情を話してもらおうか」
カナガゼルがそう切り出した。
「ああ……もうなにもかも駄目だし、そのくらい構わないさ」
「どうして、お嬢サンを攫ったんだい?」
「ちょっと待ってくれ、フウラが攫われた時に助けたのってあんたなのか!? ていうかそもそもなんでここにいんだよ」
「あのお嬢サンの名前、フウラっていうのか。まぁちょこっと助けてやったけど。……ここにいるのは端から隠れてたからだ。ちょっとやっかいな依頼受けちまってな、コイツのことを追ってたんだ。んで、お前サンたちが後からやってきたのさ」
「二度も妹を救っていただき、本当に感謝いたしますわ」
わたしはフウラを救ってくれたお礼を丁重に述べた。
「ああ、別に礼なんかいいって。死なれたら寝覚めが悪くなるってだけだから」
なんか仲間内で話し始めてしまって、赤い目の男がいつ話し出せばいいのか、困った目付きをしているような気がする。
「話を中断してすみませんわ。事情の説明、お願いいたしますわ」
機嫌が悪そうだし、敵だし、素直に話してくれるだろうか。
そう思っていたが杞憂だったようで、彼は
「……僕には、妹がいたんだ。親はいない。物心ついた時には二人で生きてた。だから、妹は……セリシアは僕にとってたった一人の家族だった」
妹と聞くとどうしてもフウラのことを考えてしまう。
わたしにとってフウラが大事な存在であるように、彼にとってもそうだったのだろう。
「ある日、妹が殺されたんだ」
さきほどフウラが死んだのではないかと絶望したため、その一言だけで重く苦しい気持ちが痛いほどに伝わってきた。
「盗みに入ったとかで殺されたんだとさ。でも実際に盗みを犯したのは妹に似た別人だった。僕の妹は理不尽に殺されたんだ」
唇を噛み締め、絞り出すようにそう告げた。
「心が空っぽになった。もうなんのために生きたらいいのかわからなかった。僕をこの世界に繋ぎ止めていたのは、人を生き返らせる方法があるもしれないという一縷の望みだけ。けど、そんな奇跡みたいなことが本当にできるのだと偶然知った。それ以降、躍起になっていろんな街を探し回った。悪魔という存在を見つけるためだけに」
彼の人生を想えば、その気持ちに同情したくなった。
「騒ぎに駆けつけると赤いペンダントが目についた。図書館に行きまくって知識を蓄えた僕にはわかった。あれは悪魔を封印する魔道具だと」
時計塔から見下ろした時に騒ぎになっていたあのペンダントを巡る事件。あの場に彼もいたことに驚いた。
「もしかしたらあそこに悪魔が封印されているかもしれない。だから、騒ぎがおさまって数日後に奪ったんだ。それで悪魔を喚び出した。妹を生き返らせてくれって。そしたら悪魔は代償を寄越せなんて言うんだ。人の命をたくさん寄越せって」
人の命を一つ蘇らせるのに、いくつもの命が必要になる。一度なくなったものはそう簡単に元通りにはならないのだと痛感させられた。
「僕は、か弱そうな子どもや老人に狙いを定めて、生贄として捧げた。ほらあんなふうに」
彼は視線を遠くへ飛ばす。
わたしたちもつられて見ると、壁に何人もの人が埋まっていた。あのペンダントの事件で見かけた小太りのお爺さんらしき人もいた。
動きはない。既に事切れているのだろう。
彼らの肌は黒紫色に染まっていた。フウラの痣と同じ色だ。それが全身をおびたたしく這っていた。
どうやら全身を支配された場合は悪魔を倒しても消えないようだ。
フウラも助けが遅くなれば、ああなっていた。その事実に背筋が大きく震える。
「悪魔と契約したおかげで、この剣で斬りつけるだけで奴が直接赴かなくても代償として捧げられるようになった」
禍々しい黒の光を放つ剣はそういうことか。
今は悪魔の力が弱まったせいか、普通の剣と化していた。
「これがこの事件の顛末さ。僕はきっと、地獄に落ちるな……」
「……これから、人の為に生きることを誓えば、まだあなたは変えられますし、変わりますわ」
わたしは彼の目を見て、真摯に告げる。
「中途半端な慰めはいらない。僕はもうどん底まで落ちたんだ。……ははっ、こうなったら徹底的に悪になってやるよ。なあ悪魔、お前まだ生きてるんだろ?」
男は遠方でくたばっている消えかけの悪魔を一瞥する。
「……」
微かにだが、低い呻き声が聞こえた気がした。
「僕の命を代償として最後にひと暴れしてくれないか? それくらいできるだろ? 悪魔なら」
「待ってくださいまし、そんなことをすればどうなるのかわかって……」
「……ソノ願イ……ウケタマワッタ……」
暗く響き渡るような声だった。
契約はここに成った。
赤い目の男は、ばたりと気を失った。
いや、この表現は正しくない。おそらく既に死んだのだろう。
緩やかな空気は既に消え去っていた。
伸び切っていた悪魔がゆらりと上体を起こし、わたしたちの前に立ちはだかる。
消えかけていた身体は形を取り戻し、禍々しい気配に満ちていた。
さっき戦った時よりも何倍も圧を感じる。
ヒリヒリとした殺気が、不快なくらい肌を逆撫でした。
圧倒的なその存在感に押しつぶされそうになる。
人間は所詮、矮小な生き物なのだと、言葉がなくとも思い知らされるようであった。
悪魔は吼えた。
頭が割れるほどの
そして、破壊の一撃をお見舞いしてきた。
その手から放たれたのは、暗黒そのもののような円球の魔法。
昏く、黒く、まるで世界を塗りつぶすかのような勢いでわたしたちに近付いてくる。
魔法に呑み込まれたものは等しく壊され、滅ぼされていく。
魔力はほぼ使い果たしている。
無言で立ち竦むことしかできない。
崩壊が始まった世界で、気付けば身体が宙に吹き飛ばされていた。