〈フウラ視点〉
「なに……これ……」
痣があった。
ただの痣ではない。
黒と紫が混ざったような色をしていて、呼吸に合わせて生き物のようにうごめいている。
大きさは小指の先ほど。
だけど、自分の身体に気色の悪いものがあるだけで、ひたすらに悍ましいと感じた。
「いやっ……気持ち悪い!」
痣を払おうと思わず手で引っ掻く。
無意味だとわかっている。
でも怖くて怖くて、どうにかしないといけないという衝動に駆られた。
あたしの手はすぐさま止められた。
お姉ちゃんの手があたしの動きを妨げたのだ。
「掻いてはいけませんわ」
「でもっ!」
「大丈夫ですわ。お姉ちゃんがなんとかいたしますわ」
お姉ちゃんの力強い眼差しがあたしを見つめる。
なんとしてでも助けるという意思が伝わってくる。
そうだ、お姉ちゃんは聖女だ。
治療にかんすることなら、できないことなんてほとんどない。
きっと治してくれるはずだ。
「お姉ちゃん、治して!」
あたしはお姉ちゃんに懇願した。
そのお願いに、お姉ちゃんは聖女の笑みを返した。
――――――――――
「まず、痣が一体なんなのかを調べる必要がありますわ……あら?」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「この痣、さっきまで服に隠れて見えなかったはずですわ……」
お姉ちゃんの言葉に、痣の部分に目を遣ると、服からちょこっと痣がはみ出していた。
痣が大きく、なってる?
「き、気のせいだよお姉ちゃん。たぶん服がちょっと前側に引っ張られたせいだと思うな。……ほら、これで元通り!」
あたしは服を後ろに引っ張って痣を覆い隠した。
ホントはあたしも大きくなっていると思った。
けれどそれを受け入れるのが嫌だった。
残酷な現実を認めたくない。
認めたら痣がどんどん大きくなっていく気がするから。
「痣の大きさはひとまず置いておいて……では調べますわね」
お姉ちゃんは魔法を発動した。
この魔法は治療魔法じゃないので、服の上からでも大丈夫らしい。
魔法の光があたしの痣がある部分に強く集まる。
改めて、お姉ちゃんはすごいなって思う。
聖女で色んな魔法が使えて、戦うこともできるんだっけ。
お姉ちゃんが本気で戦う姿、いつか見てみたいな。
「うーん」
魔法で調べ終えたお姉ちゃんが、目を閉じてなにやら悩んでいる。
「わからないのか?」
シュダさんが口を挟む。
「いえ、治療が少々面倒だと思いまして」
面倒だけれど、治療できないとは言ってない。あたしは少しだけホッとした。
お姉ちゃんが考えるのをやめ、あたしに向き直った。
「まず……これは呪いですわ」
「呪い……?」
「現代ではあまり聞き馴染みがないものですが、昔は呪いがあちこちで使われていたのですわ」
呪いなんて、本や劇などの物語の中でしか聞かない。
お姉ちゃんの話によれば、呪いは魔法に近いけれどちょっと違うものらしい。
呪いがかけられたのはどの瞬間だろう。初めて赤い目の人と遭遇した時かな。あの時、黒く光るものが自分の身に迫ってきた記憶がぼんやりとある。
「悪魔……は聞いたことありますわよね?」
「う、うん」
そういえば美術館でおじいちゃんが語っていた話にも悪魔が登場した気がする。
悪魔も物語の中の存在だ。
今の時代、悪魔なんて見たことない。
「この呪いは悪魔の仕業ですわ。ただ、悪魔というのは今はもういない存在ですわ。あらかた封印されてしまいましたので」
「……その封印を解いたやつがいるってことか」
「そうですわね。シュダ、心当たりありますわよね?」
「……もしかしなくても、あのペンダントの件か?」
ペンダント? なんの話だろうか?
あたしの知らない方向へ話が進んでいき、一人置いてけぼりになる。
なんだかシュダさんとお姉ちゃんだけで意思疎通しているのが悔しい。
あたしも会話に混ざりたくて、うずうずする。
「おそらくあのペンダントに封印されていたのが悪魔で、それを意図的に喚び出して、なにかきな臭いことしてる奴がいるってとこだな」
「ええ。悪魔とは、代償を伴った契約ができると聞きますわ。おそらくフウラの痣はなんらかの代償の跡である可能性が高いですわね」
「ねえ、ペンダントってなんの話?」
あたしは機嫌悪く尋ねた。
「あー、フウラは知りませんわよね。軽く説明いたしますわ」
どうやらシュダさんとお姉ちゃんが偶然ペンダントを巡る事件に出くわしたそうだ。
で、そのペンダントには実はなにかが封印されているらしい。
そのことを公園で知ったようだった。
事件現場に駆けつけるなんて、やっぱりお姉ちゃんはかっこいいな、と場違いな感想を抱いたが胸にしまっておこう。
「それで、痣をこのままにしておくと結局どうなるの?」
あたしは軽い気持ちで訊いてみた。
「隠していても不誠実なので、正直に言いますわ」
お姉ちゃんは一度言葉を切って、深呼吸した。
「このままだと、フウラは命を失いますわ」
ひゅっと心臓が縮んだような気がした。
全身が体温を失ったみたいに震え出す。
せっかく命拾いしたと思ったのに、まだ脅威は去っていない。それどころか、ここからが始まりなのかもしれない。
「痣はいずれ全身を包み込みますわ。生命力を吸って代償とし、悪魔へ捧げることになりますわ」
贄と言われたことを思い出す。
あたしはその贄とやらに、既に片足を突っ込んでいるみたいだ。
「安心してくださいまし。すぐに命が危ぶまれるわけではありませんわ」
お姉ちゃんは不安を取り除くためか、慌ててそう付け加えた。
「でも不思議ですわね……一度呪いをかけたら誰からも見つからない場所に隔離し続けるはずですのに……あぁなるほど、わかりましたわ」
お姉ちゃんは一人頷き始める。
「おそらくフウラが全身に痛みが走ったと言っていたのが、長時間眠る魔法かなにかだったのだと思いますわ」
全身が痛くなる魔法がかけられているとき、突然見知らぬ人が助けてくれたことを思い出す。一体あれは誰だったのだろうか。
「そんで、打開策は?」
「悪魔を倒すこと、もしくは封印することですわ」
「その悪魔って今どこにいるのかわかるの? 赤い目の人がいたところには他に気配なんてなかったけど……」
「おそらく悪魔は別の場所にいるはずですわ。彼らは得てして強力な気配を宿していますわ。街中にいては、勘付かれること間違いなしですもの」
「なら、その所在をどうやって探るんだ?」
「痣を使いますわ。魔法で大元を辿ることができるのですわ」
お姉ちゃんが再び魔法を唱え出した。
あたしの痣部分に光が集まる。
痣は、さっき服で隠したのにまたはみ出ていた。
やっぱり、広がってる……。
痣が拡大している事実を突きつけられ、つい苦い顔をしてしまう。
痣の部分に集まった光は線となり、ある方向へ向かって消えていく。
「……居場所が、わかりましたわ」
魔法を使い終え、お姉ちゃんは静かに告げた。
「今は使われていない教会ですわね。そこに、悪魔がいますわ」
お姉ちゃんは遠く、街の外の方角へ顔を動かした。まるで、その場所が見えているかのように。