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第21話 恐怖

〈フウラ視点〉


 暗い。


 真っ暗闇に覆われた視界。


 どうやらあたしはひんやりしたところに横たわっているみたい。


 微かに見えるのは魔法の光に照らされた人の影。机の上でなにかをしているようだ。ちゃりちゃりと高い音が部屋に響き渡る。


 あたしは、その人がなにかに気を取られている間に逃げ出そうと考えた。


 しかし、そこから先には進まなかった。


 手足がほとんど動かないのだ。 

 きつく縄で結ばれているようだ。力を振り絞ってもびくともしない。


 動くと微かに身体が痛むのは、意識を失う直前に何かを食らった影響だろうか。


 変に身動きをとっては勘付かれると思い、あたしは一旦諦めることにした。


 脱出の機会はいずれ訪れる……はず。

 そのときに力いっぱい振りほどこうとすれば縄はちぎれてくれる……かもしれない。


 かちゃん。


 それっきり、音が止まった。


 嫌な予感がした。


 身体が震え始める。


 怖い。怖い。怖い。


 ゆっくりと人影が近づいてくるのがわかった。


 コツン、コツンとあたしに残された時間を知らしめるように歩いてくる。


 あたしの目の前で音は止まった。


 顔を上へ向ける。

 暗闇に溶けるように真っ赤に光る目があった。その目はあたしをじっと捉えている。


「お前は、贄だ」


「にえ……?」


 贄って、生贄のことだよね?


 なんの……?


 生贄になったら死んじゃうのかな?


 嫌だ。死にたくないよ。


 まだやりたいこといっぱいあるのに。


 お姉ちゃん、助けて……。


「うぐっ!?」


 腕を強引に持ち上げられた反動で声が出る。

 赤い目をした人は、もう片方の手になにかを携えながらあたしに向けてぶつぶつと唱える。


 直後、身体に痛みが生じる。

 内側から引っ張られるような激痛。焼かれるような感覚にも似ている。


「痛い痛い痛いっ!?」 


 痛みで呼吸がうまくできない。

 肺に空気を取り入れるため必死で息を吸おうとするが、その動作が痛みを増幅させる。


「あぁぁあぁぁ?!」


 熱い。


 熱を直接浴びたようなビリビリとした感触が全身を駆け抜ける。


 熱に、痛みに、意識を持っていかれる。


 意志に反して目が閉じていく。

 ぼんやりとした頭で考えるのはお姉ちゃんのことだった。


『お姉ちゃんなら絶対聖女になれるよ! だから頑張って!』

『フウラに応援されると嬉しいですわ! お礼に頭を撫で撫でいたしますわね』

『んふふ〜』



『お姉ちゃん、お母さんに怒られちゃったから匿ってー』

『あらあら、仕方ないですわね。少しだけですのよ? 反省したら家に帰ること、約束できますわね?』

『……はーい』


 これが走馬灯というものだろうか。


 お姉ちゃんとの思い出が溢れてくる。些細なことでしかないけれど、大切な思い出が。

 きっと現実では数秒程度しか経過していないはずなのに、長く長く感じられる。


 お姉ちゃんはあたしが死んだと知ったらどう思うだろうか。悲しむだろうな。


 お姉ちゃんはあたしに甘いし、優しい。

 ここで死んだらその気持ちを、その期待を裏切るみたいだ。


 絶対に死にたくない。


 でも、あたしは攻撃魔法をまだ使えない。攻撃魔法を学ぶのはもっと上の学年になってからだから、使えるのは何のダメージも与えられなそうな魔法。


 絶望的だった。


 意識はどんどん暗くなっていく。


 もうすぐ刈り取られる。


 おかしい。さっきまであったはずの痛みを感じない。限界なのだろうか。


 お姉ちゃん。

 頭の中で小さく呼ぶ。それだけで僅かな希望を感じられた。


 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。


 何度も唱える。

 けれど、意識は遠くなっていく。


 お姉……ちゃん……、たす……け……。


「っ?!」


 突如、浮遊感が訪れてあたしは地面に投げ出された。


 ゆっくり目を開く。


 そこには知らない人が立っていた。


 目が暗闇に慣れてきたようで容貌がなんとなくわかる。齢を重ねた男の人のようだ。おじさんと呼ぶことにしよう。


 おじさんは剣を手にしていた。


 あたしを背に、赤い目の人と対峙しているようだ。


「こんなお嬢サンを相手に、なにするつもりだったんだい?」


「……」


 おじさんは飄々とした態度で赤い目の人に問いかけるが、無言しか返ってこない。


「いきなり質問されても答える気はないってか。んじゃあオレの目的について話すわ。人が消える事件が起こってるってきな臭い話を聞いてな。金をもらってそれを調査してるってとこだ。そんで怪しい箇所を追って行ったらここに着いたってワケだ」


「……」


「話す気なしか。なら仕方ない、斬り合うしかねぇな!」


 そう言って剣を横手に構え、薙ぎ払った。


 ドゴォンという音と同時に、びゅんと突風が吹く。


 あたしは今ので倒したんじゃないかと思ったが、おじさんは油断なく佇んでいる。


「受け止めたか……」


 おじさんの攻撃は剣によって止められていた。


「腕がなまったかなぁ……」


 しかしおじさんは余裕そうな態度を崩さない。攻撃が通用しなかったのに気楽そうなのは見栄を張っているのか、それとも……。


「お嬢サン、今のうちに逃げな」


「あの、あたし……縛られてて」


「ありゃそうだったのかい。そりゃすまんねぇ」


 一瞬だけおじさんがこちらを向いた。

 そして剣をササッと振るう。


 それだけであたしの縄がバラバラと床に落ちていった。


 おじさんはすぐさま向きを戻して敵対する。


 早業に驚いたが、お礼を言わなきゃと心を切り替える。


「あ、ありがとう! おじさん!」


 あたしはその場から急ぎ足で逃げた。 

 おじさんがなんとかしてくれると信じて。


 全てを任せるのは申し訳ないという気持ちもある。でも、あたしにできることなんて何一つない。この場は逃げるのが吉だ。


 振り返らず、足をがむしゃらに前へ動かす。


 暗く沈んだ階段をのぼり、よくわからない通路を進み、やがて、あたしは外へ出た。


 暗い道だ。

 空を見ると、微かに星が煌めいていた。


 街の明かりを求めて彷徨い続ける。


 走り続けたせいで息はとっくに上がっていた。

 けれど、何かが追ってきてるんじゃないかという恐怖心が足を止めることを拒む。敵はあの人以外にもいるのかもしれない。


 さっきの出来事が何度も頭を埋め尽くす。

 こんな怖い経験、人生で初めてだ。

 お姉ちゃんは似たような経験したことあるのかな。


「はぁっ……はあっ……」


 苦しいけれど走るのは止めない。

 止めたら追いつかれる気がする。


 足を必死に動かし続け、なんとか路地裏を脱した。


 膝に手を置き、呼吸を整える。


 大通りはポツポツと明かりが灯っており、人の気配も感じられる。


 ぽかぽかとした安心感が生まれてくる。


 帰って、きたんだ……。


 嬉しくて涙が出そうになった。

 泣いたら変だと思って頑張って堪える。

 けれど頬を伝っていく。


 その時、店から一人の男の人が出てきた。

 涙を急いで拭っていると、彼はぼんやりとこちらへ向かって歩いてくる。


「……ん?」


 あたしの存在に気付いたようだ。


「あ、あのっ! 助けてください!」


 あたしは彼に助けを求めることにした。


 へとへとで上手く歩ける自信がない。

 なにより、ここが街のどのへんなのかいまいちわからないのだ。 


「こんな夜に一人でどうしたんだ?」


 近づいてきた彼の顔に見覚えがあった。

 そう、昼間お姉ちゃんの隣にいた人だ。


 まさかこんなところで遭遇するなんて……。

 でも今は非常事態だ。文句を言ってはいられない。


「その、誘拐されちゃって……。なんとか抜け出してきたところなんです」


 なんて言えばいいのかわからなかったあたしは、濁しながら現状を説明する。


「ホントか? 家出とかじゃなく? まあどっちにしろ親御さんのところに連れて行く必要があるから変わらんか。じゃあ、親御さんとこまで送っていくから」


 優しそうな人でホッとした。

 お姉ちゃんと話してるってだけで勝手に恨んだり妬んだりしてすみません。


「あ、そうだ。俺の名前はシュダな。よろしく」


「あたしはフウラって言います。よろしくお願いします、シュダさん」 


「家はどの辺にあるんだ?」


 シュダさんが尋ねてくる。


 あたしは普通に答えようとして、ふと言い淀む。


 あえてお姉ちゃん家を教えたほうが面白いかも、なんてこの期に及んで変な考えが浮かんでしまったのだ。

 教会だとわかりやすいし、そのほうがいいはずという後付けの理由を添えて、あたしは自分を正当化することにした。


「えーと……あ! 教会の方に向かってください!」


「教会の近くに住んでるのか? わかったわ」


 シュダさんが特に深く考えずに頷く。 


「ところで、歩けるか?」


 あたしの格好は汚れていた。

 目立った怪我はないはずなのだが、気遣ってくれているようだ。 


「ちょっと厳しいかもです。必死で逃げたせいで疲れちゃって」


「なら背中に乗りな」


 屈んでくれた大きな背中にひょいと乗る。

 酒の匂いを強く感じる。もしかすると、ちょっと酔っているのかな。


 シュダさんが立ち上がると、視界が一気に高くなって、なんだか強くなったみたいだった。


 ゆっくりとした歩幅でシュダさんは進んでいる。


 見知らぬあたしの為にここまでしてくれるなんて、いい人なんだなぁとつくづく感じる。


 この人にならお姉ちゃんの隣、少しなら貸してあげていいかも、なんて思いながら、あたしは眠りに落ちていった。

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