鐘が鳴り仕事を終えると、シュダがやってきた。
わたしは変装をささっと済ませ、外へ出る。
「今日は時計塔へ参ろうと思いますわ」
「時計塔ってあれか?」
そう言って、シュダは街の中心部に聳え立つ細長い建物を指さす。
わたしは返事の代わりにコクリと頷く。
昨日と同じく夕刻。
シュダと教会内でのやりとりがほぼない分、今日の方がまだ明るい。
空の高所は水色で、下方にいくにつれ茜色が混じり合い、綺麗なグラデーションを描いている。
空だけは前世で見たものと一緒なので、つい回顧してしまう。
わたしが死んだ後、どうなったのか。家族や友達が悲しんだのだろうか。
でも、わたしがいてもいなくても世界は回っていくんだろうな。
ここだと違う。この街に聖女はただ一人。いなくなれば大騒ぎだろう。国の重鎮たちが悲鳴をあげるはずだ。
前世と今世で立場は大きく変わった。わたしはもうただの一般人ではない。
今は聖女として懸命に生きよう。
――――――――――
レストランも中心部に近いところにあったため、途中まで順路は同じだ。
ふと横を見て思ったのだが、シュダとわたしは頭一個分くらい身長が違うようだ。彼は思ったより背が高い。
「この街は毎日これくらい人がいるのか? なんかこう、精神的に疲れないか?」
まだまだ都会初心者のシュダが尋ねてくる。
「休日はもっといますわ。この程度、直に慣れますわよ」
「慣れるまでこの苦痛が続くのか……」
額に手を添え、鬱屈としている。
そんな彼を横目にふふっと笑う。
「ヒオラはどんくらいで慣れたんだ?」
「最初からこの街に住んでいるのですから、慣れるもなにもありませんわ。ですが、そうですわね……ここ数年は往来を行き交う人の数がより一層増えたように感じますわ」
発展と同時に人の数も年々上昇傾向にある。わたしがまだ両親の手を繋いで歩いていた頃は人がまばらだったはずだ。
「けれど、徐々に増えていくのであればあまり苦になりませんわ」
「それが最適な慣らし方ってことか」
「そう考えると、現状のシュダは最悪ですわね」
いきなり高難易度から挑戦しているようなものだろう。
前途多難である。
――――――――――
時計塔の真下までやってきた。
天をつくように高くまで伸びるこの塔を見上げる。
これから階段を登り、最上部まで行く。なかなか骨の折れる移動になるが仕方ない。
鍵束を取り出し、その中の一本を裏にある扉の錠前へと差し込む。
解錠して足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれる。外の光が遮られているため、かなり暗い。
ライシャインを無言で発動し、指先に光を灯す。
明かりが生まれたことで、螺旋状に階段が連なっていることがわかる。ここからでは暗くてよく見えないが、上にずっと続いているのだろう。
その階段をわたし先導で、一段一段登っていく。
「ここって普段は閉まってるんだな」
階段を登りながらシュダが呟く。
「ええ。ですが、わたくしは聖女なので特別に時計塔の鍵を有しておりますわ。今回は特権を利用して塔内に立ち入りましたわ」
「私用で入っても大丈夫なのか?」
「…………多分問題ありませんわ」
「今の間はなんだよ」
「間などありまして?」
「これでもかとわかりやすいくらいあっただろ」
「気のせいですわ」
聖女スマイルを浮かべ、取り繕う。
長々と階段を登った果てにあったのは、寂れた扉だった。建て付けが悪いのか上手く開かない。
「俺が開ける」
横へ立ち退き、シュダが扉の前にやってくる。
彼が片腕に体重をかけて押すと、重い音をあげながらゆっくり開いた。
こじんまりとした部屋だった。
目立つのは雑多な物と奥にある梯子。
物置部屋だろうか。
明かり取りがあるため、先程の場所よりだいぶ明るい。
わたしはライシャインを解除した。
梯子は固定されており、上開きの扉へと繋がっている。扉の先が登れる範囲での最上部だろう。
早速わたしは梯子へ手をかけ登っていく。
「ちょちょちょっとまった」
半分くらいまで登った頃、シュダがなんだか慌てた様子で言った。
「どうかいたしまして?」
「スカートの中が見えそう」
昨日より短めの膝上スカートを履いていたためか、気になったようだ。
「あっち向いてくださいまし」
「ヒオラからすると、登ってる間俺があっち向いてるかどうかはわかんないわけじゃん? 不安をなくすためにもここは俺が先に登るべきじゃ」
「面倒な性格をしていますわね。もう半分ほど登ってしまいましたのに、今更降りろとおっしゃいますの?」
「いやまて、俺はヒオラを気遣ってだな……というかもっと警戒しろ」
「シュダはそんなはしたないことはしないと、わたくし信じておりますわ」
「信用してくれてるのは嬉しいが、一応聖女サマだろ」
「はぁ……もうなんでもいいですわ。見ても構いませんわよ」
「見ねぇよ! 構えよ!」
ごちゃごちゃ捲し立てるシュダを放置して登りきり、上開きの扉を押し上げる。
そして最上部の石の床に両手を当て、力を使って身体を押し出す。
立ち上がって、まず目に入るのは大きな鐘だった。
わたしがいつも就業時間を終える合図としている鐘。
この鐘は魔法鐘と言い、定められた時間に鳴るように出来ている。
鐘を避けて端まで歩き、胸のあたりまである石壁の外へ顔を乗り出す。
後方から音がした。見ると、登りきったシュダが立っていた。
彼はわたしの右隣へとやってきた。
石壁の上に肘をつき、手のひらの上に顎を乗せている。視線は彼方へと向けられていた。
「綺麗だな」
「そうですわね」
二人して景色に見惚れる。
登る前よりも太陽は下方にあり、濃紺の夜がじわじわと迫ってきている。
街の明かりがポツポツと灯っていて、どこか幻想的だ。
大勢の人が行き交う街。早足で帰路を急ぐ者もいれば、のんびりと黄昏時を味わう者もいる。
けれどそこに誰一人として同じ者はいない。誰もが自分だけの人生を懸命に生きている。
景色をぼーっと堪能していたが、ここに来た目的をふと思い出す。
「わたくし、俯瞰することで効率的に記憶の手がかりを探せると考えたのですわ」
「上から見てもあんまわかんなくないか? 普段見てる景色って横からだし」
「わたくし、俯瞰することで効率的に記憶の手がかりを探せると考えたのですわ」
「俺の台詞全無視で同じこと繰り返すな」
反論出来ず、脳死で同じ台詞を繰り返していたわたしに的確な突っ込みを入れてくる。
「というかそう思っていらしたのなら、もっと前に言ってくださいまし!」
「登ってる最中に気付いたんだよ……ここまで登ったのに引き返すのもなーって思って。でも……」
少し溜めてから、シュダは続ける。
「登ってよかったじゃんか。こんないい景色見れたんだし。ありがとな」
「……っ」
笑顔でこちらを見ながらそう言われ、不覚にも心がざわめいた。
動揺したまま視線を彷徨わせていると、ある場所を指し示したシュダに疑問を投げかけられた。
「ところで、あそこ……なんか騒がしくないか?」
シュダの指す方を見ると、なにやら人だかりができていた。
大通りから少し離れている道で、人が集まっているところ以外は密度が高くない。
人々はなにかを囲っているようにも見えた。
「本当ですわね。なにかありましたのでしょうか……?」
「気になるし、行ってみるか」
「ええ。そうですわね」