寛解
二〇二〇年七月二十四日(金)
沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約二百九十キロメートル、太平洋と東シナ海の間に宮古島はあった。
日本中が待ち焦がれた東京オリンピックが開幕したこの夏は、宮古島に訪れる観光客が激減したために若者の姿を見かけることは少なかった。
そんな中で、沖縄のマリンブルーの海上にかかった長大橋をクロスバイクで漕ぎ進む一人の若者の姿があった。
若者は照りつける太陽の光で目を痛めないようにサングラスをしていた。
長大橋から繋がる県道二百五十二号線を北東に進んで沖縄県立宮古島病院の駐輪場にたどり着くと、若者は自転車を停めてサングラスを外した。
自転車に乗っていた若者は、天羽だった。
あの日、鎮目は殺人の罪を被る代わりに病院長の座を明け渡せと嘉山を脅した。
有名になって母親を見つける手掛かりが欲しい天羽は、百合子を救うためにUCANを採血されても死なずに生き残る可能性に賭けた。
しかし、鎮目が全身ガンに片肺を失って死にかけの天羽からUCANを採取することはなかった。
鎮目は郁実のさい帯血からUCANを作り出すことに成功していたので、そちらを百合子に投与したからだった。
だから結局、天羽が死ぬことはなかった。
だが、鎮目は嘉山の目を欺くために、天羽が間もなく死ぬのでホスピスに転院させたと虚偽の報告をした。
鎮目がこんなやり方を選んだのは人を殺したという負い目を持たずに病院長になりたかったからに他ならないが、おかげで天羽もこうして生きながらえることができたのだった。
病院長になった鎮目が資金的な援助もしてくれたこともあり、天羽は宮古島に移り住むことができた。
この一年半の間に体内のUCANももとの数値まで増えていたので、天羽の全身ガンもすっかり寛解していた。
右肺下葉を切除したために衰えた呼吸機能も、日常的にクロスバイクで移動することで以前と遜色ないほどに回復していた。
天羽は元通りの健康な体を取り戻していたのだった。
だから、天羽は患者としてこの宮古島病院を訪れたわけではなかった。
天羽は今、この病院のホスピスでボランティアの仕事をしていた。
天羽は月曜日から金曜日の午後帯にここで末期ガン患者のたちの散歩に付き添ったり、一緒にごはんを食べたり、話し相手になったりしていた。
ボランティアなので基本的に給料は無い。
天羽は鎮目に援助してもらったお金の残りを切り崩したり、観光案内人のバイトをしたりしてギリギリで生計を立てていた。
正社員の仕事を探せばいいのに、天羽がわざわざホスピスでボランティアをするのには大きなわけがあった。
天羽は退院して生き延びろという鎮目のアドバイスを一度は拒否していた。
有名になることが母親に見つけてもらえる最後のチャンスだったので、無名のまま生き延びるだけでは意味がなかったのだ。
鎮目はそんな天羽を説得するために、とある仮説を語りだした。
――君のUCANが突然変異ではなく遺伝によるものだと仮定した場合、母親もUCANを持っていることになる。ということはつまり、母親もUCANでガンを抑え込んでいる可能性が高いんだ。
――それがどうしたっていうんだよ?
――人間の免疫力は二十代をピークに年々衰えていき、四十代になるとピークの約半分まで低下すると一般的に言われている。加齢やストレスによって免疫力が下がるから中年になると病気になる機会が増えるんだ。それはUCANを持っている母親だって例外じゃない。
天羽は鎮目の言いたいことがぼんやり分かりかけてきた。
――母親が二十歳そこそこで僕を産んだとしたら、今の年齢は四十五歳ぐらいか。
――そうだ。母親はすでに全身ガンになっている可能性が高い。そして、母親の故郷と思われる宮古島でホスピスがある病院は一軒しかないんだ。
鎮目は生き延びて宮古島に行けと天羽に助言した。
天羽も母親に見つけてもらうことをただ待つより、この手掛かりをもとに自分から母親を見つけだしたいと考え直した。
そして、宮古島に移り住んだ天羽は、この宮古島病院のホスピスでボランティアの仕事があることを知って求人に応募をしたのだった。
天羽がボランティアとしてホスピスに勤めだしてからすでに九ヶ月が経っていた。
その間に、四十代で末期ガンになってしまった女性と何度か出会い、そして別れを繰り返した。
だが、その中に天羽が自分の母親だと感じる人間は一人もいなかった。
ホスピスのラウンジにある大型テレビでは、東京オリンピック開幕式の生中継が放送されていた。
自分で歩くことができる末期ガン患者が何人か集まってテレビを鑑賞していた。
評判のよかったリオオリンピックの閉幕式も演出したアーティストチームが手がけた開幕式は、日本の伝統や文化を重んじながらも来るべき未来へ向けて生まれ変わる東京というテーマがはっきり見て取れて、日本人であることを誇りに思えるような内容だった。
末期ガン患者の中には生きてこの開幕式を見られて喜んでいる人間もいた。
「自分も病気じゃなかったら、スポーツでも芸術でもいいから世界で活躍する人になりたかったな」
まだ若いのにも拘わらず、悪性度の高いスキルス胃ガンになってしまった男性がつぶやいた。
「なるほどなぁ」
天羽は肯定か否定か分からないような曖昧な相槌を打った。
肯定すれば、男性がなにも成さずに死んだみたいで失礼になることも考えられた。
そんなことはない、今からでもなにかできることはあると安易に励ましてしまえば、ようやく自分の死を受け入れる準備ができた患者に対して死の恐怖を呼び起こすことになってしまう。
だから、天羽は「なるほどなぁ」が口癖になってしまった。
また同じような話題を振られたら気疲れしてしまう。
天羽はラウンジから離れることにした。
「どこ行くの? そろそろ日本代表が入場するよ」
「新しく入院する患者さんが来る時間なんで、対応してきます」
天羽はそう言ってラウンジをあとにした。
本来はボランティアの自分ではなく職員がすべきことだが、職員だってきっと開幕式を見ていたいだろう。
この場で気まずい思いもしなくて済むし、職員からの評価も上がってもしかすると社員の誘いを受けるかもしれない。願ったり叶ったりだと天羽は思った。
天羽はふと、自分の未来について考えた。
母親には会いたいが、自分の人生はこの先もずっと続いていく。
それなのに、ここで社員になることが自分の歩むべき人生なのだろうか?
自分はまだ二十七歳で、これから東京オリンピックで活躍するであろう日本代表の選手たちとさほど年齢も変わらなかった。
もしかすると他にすべきことがあるのじゃないだろうか?
天羽は前掛けのポケットから母親の形見である宮古上布を取り出して見つめた。
もう九ヶ月も働いたが、母親に会えるどころか新しい手掛かりすら掴めていない。
そもそも、母親が故郷の宮古島にいる保証すらどこにもなかった。
もしかすると自分はとても無駄なことをして人生の貴重な時間を潰そうとしているのではないだろうか?
天羽は不安な気持ちに苛まれた。
そろそろボランティアの仕事を辞めたほうがいいのだろうか?
辞めて宮古島も離れて、自分のやりたいことを見つけたほうがいい。
きっとそうだ。
天羽が辞める相談をするために、ホスピスの責任者を探してナースステーションの前までやってきた。
すると、車イスに乗った六十歳手前ぐらいに見える痩せ細った女性の姿があった。
職員や看護師が丁寧な対応しているところを見ると、新しく入院する末期ガン患者が時間より少し早く到着したようだ。
末期ガンで痩せ細っているということは実年齢は見た目よりずっと若い可能性があった。
女性の本当の年齢は四十代後半から五十代なのかもしれない。
気になった天羽が女性のもとに近寄った。
「はじめまして。ここでボランティアをしている天羽大輝と言います」
「あぁ、はじめまして。今日からお世話になります、与那嶺ひかりです」
初めて来るホスピスに不安な気持ちも強いはずだが、ひかりは明るく挨拶を返してくれた。
天羽はひかりに見入ってしまった。
目の色や耳たぶの形が自分と似ている気がしたからだ。
ひかりの顔を見ていると、天羽は泣きたい気持ちはないのになんだか不思議と涙が溢れてきてしまった。
初めて来たホスピスでスタッフが突然泣きだしたら、ひかりをきっと不安にさせてしまうだろう。
天羽は背中を向けることで顔を隠して、手の甲で涙を拭った。
「おいおい、なんで泣いてるんだ?」
余計なことに、天羽が泣いていることに気付いた職員が指摘してきた。
その場にいる全員に天羽が泣いていることがバレてしまった。
ひかりは天羽を気遣って、斜めがけのポーチからハンカチを出して手渡してきた。
「よかったら使ってください」
「すみません」と天羽はハンカチを受け取った。
そしてすぐに、ハンカチが麻製であることに気付いた。
何度か指先で撫でてみると、天羽がよく知る生地とまったく同じ艶や手触りをしていることが分かった。
天羽は気持ちを抑えることができなくなってしまい、その場にへたり込んで咽び泣いた。