人間には不幸か、貧困か、病気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
イワン・ツルゲーネフ
ステージ0
「はたして、人類の悲願は達成されたんでしょうか?」
つけっぱなしのテレビから女性アナウンサーの声がかすかに聞こえてきた。
朝食のシリアルを食べていた鎮目恭夫は、近くの扇風機を思わず止めた。
テレビ画面にはサーキットを周回するアフリカ人ランナーが映し出された。
前方には風をさえぎるような形状に加工された自動車が走っている。空気抵抗を極限まで減らした状態で、短距離走に近い速さを維持したままランナーは走り続けていた。
アナウンサーの説明によると、これはマラソン二時間切りを目指したプロジェクトで主催はアメリカのシューズメーカー・アスタリスク社だという。
シューズは新開発のカーボン素材をソールに採用した特注品で、カーボンの反発力でこれまでにない推進力をランナーは得ることができるとアナウンサーは付け加えた。
だが、人工的に好条件を整えても結果的に二時間は切れなかったようだ。
しかし、非公式ながらマラソン世界記録を上回るタイムは出た。その記録は二時間〇分二十五秒。
アスタリスク社は二時間切りを達成するそのときまでプロジェクトを継続させるらしく、メインのベテランアナウンサーは「人類の悲願達成なるか、続報が楽しみですね」とニュースを締めくくった。
こんなプロジェクトを日本でやったら、きっと死人が出ただろうなと鎮目は思った。
「買ってもらえるのは靴じゃなくて、ひんしゅくだ」
うまいセリフが口をついて出たが、独り身の鎮目には相手をしてくれる同居人はいない。独り言が虚しく響く。
二〇一八年の日本の夏は殺人級の猛暑が続き、九月になった仙台では二十八度の暑さを記録する日もあった。
扇風機を消したせいで額から汗が噴き出す。不快感が鎮目を苛立たせたのか、また独り言を吐いた。
「つか、マラソン二時間切りのどこが人類の悲願なんだよ」
確かに、マラソン二時間切り達成を願った人類はきっと多くないだろう。あえて言うなら陸上競技界の悲願がふさわしいと思われた。
職業が科学者ならばタイムマシンの実現が悲願だと答えるだろうし、数学者ならば未解決問題を解くことだと答える。そして、思想家ならばきっと世界平和と答えるはずだ。
その人の置かれた環境や職業によってなにが悲願かは異なるのに、マラソン二時間切りを人類の悲願だと紹介するなんて、テレビマンは誇張表現を使いたいばかりに事実を弯曲しすぎていると鎮目は感じていた。
「ったく、朝の忙しい時間を返してくれ」とぶつくさ文句を言いながら新聞を広げた鎮目は、なぜか急に黙り込んでしまった。
新聞には『テレビと会話する孤独な老人が増えている』という記事が載っていたのだ。
恥ずかしくなった鎮目は、そろそろ病院へ出勤することにした。
新聞をたたんでテレビを消して、食べかけのシリアルを流し台のゴミ受けに捨てる。牛乳を吸いすぎて柔らかくなったシリアルが好きではないのだ。
そして、カバンに財布や鍵やスマートホンや紙資料を詰め込んでいく。
カバンにあるはずのIDカードが見つからなかった。
部屋の中を探して回る途中で鎮目はふと考えた。
では、医者にとっての悲願は一体なんだろうか?
再生医療の実現か、あらゆる病気の根絶か、不老不死か。
答えはすぐに出た。
医者の悲願は、ガンの特効薬を開発することだ。
厚生労働省が発表している二〇一五年の「人口動態統計」によれば、日本全体の死亡者数は一二九万〇四四四人で、その内ガンによる死亡者数は三七万〇三四六人となっていた。
この結果からすると日本人の三人に一人はガンで死亡すると言えた。
また、二〇一二年の国立がん研究センターの調査結果によれば、男女合わせた生涯ガン罹患リスクは五十五パーセントなので日本人の二人に一人はガンになる。
日本人にとってもっとも身近でもっとも恐ろしい病気がガンだった。
昔は恐ろしかった病気でも、治療法が確立したり特効薬が開発されたりしたことで死ぬ危険がほぼ無くなった病気は数多い。
だが、ガンの特効薬は未だに開発されていなかった。
そこで、多くの人命を救うためにさまざまな研究者が日夜ガンの特効薬を研究していた。
鎮目も、そんな人間の一人だった。
七年前、鎮目は東京都新宿区にある慶葉大学中央病院に勤める医師だった。専門は血液腫瘍内科で、ガン研究の分野で将来を嘱望された優秀な研究医だったのだ。
鎮目は好きな研究に没頭できる毎日が楽しく、このまま象牙の塔で一生を終えることを望んでいた。
ところがある日、鎮目の人生を一変させる事件が起きた。派閥のトップだった八神浩太郎教授が院長選挙で対立候補に敗れてしまう波乱があったのだ。
新しく院長に就任した嘉山貞正教授は、八神派だった医師たちをすぐに粛清することにした。その結果、鎮目は系列の慶葉大学仙台病院に異動させられてしまったのだった。
――私は反対したんだが、どうしても人手が足りないらしくてね。時期が来れば呼び戻すよ。君もそのつもりでいてほしい。
反対もなにも、お前が俺を左遷する決定を下した張本人だろ。
嘉山のせいで鎮目はいまも仙台病院で働いていた。研究医ではなく臨床医としてあらゆるガン患者に化学療法を施しているのだ。
とはいえ、ガン研究ができなくなったことと妻と子どもと別れてしまったことを除けば、鎮目はいまの暮らしに不満はなかった。
人手は足りているので決まったシフトで働ける。無理な残業をさせられることはない。
そもそも不満を言い出したらキリがないし、人間は諦めが肝心だという哲学を鎮目は持っていた。いや、正確には自分にそう言い聞かせて、鎮目は静かに暮らす努力をしていたのだった。
IDカードはジャケットの内ポケットに入っていた。
鎮目は、いまより七歳若かったころの顔写真が貼られたIDカードをカバンに詰めて、一人で暮らすには広すぎるマンションから飛び出して行った。
福島県仙台市の外れにある自然林は市民の憩いの場として人気のスポットだった。
その林を侵食するかのように、慶葉大学仙台病院のビル群はそびえ立っていた。
国が掲げた地域完結型医療の中心的役割を担う目的で二〇〇八年に建設された中核病院には、毎日多くの患者が詰め掛けている。
日中の日差しを避けるためか、まだ八時だというのにロビーは診察待ちの患者で賑わっていた。
そんな患者をかきわけて、鎮目は血液腫瘍内科の医局へと急いでいた。
IDカードをセンサーにかざすと自動ドアが開く。
鎮目が医局に入室すると、デスクには臨床検査部からの検査結果票が届いていた。
昨日の九月五日午後十三時過ぎ、救命救急の医師から「急性白血病の疑いあり」との連絡を受けて鎮目がコンサルトした患者のものだった。
鎮目が封を開けて中身を確認する。
髄液検査の結果では白血球数などの数値に特に異常な所見はなかった。どうやら患者は急性白血病ではなかったらしい。
記載された個人情報によると、この患者の名前は天羽大輝。二十五歳の男性だ。
「アモウ」という珍しい名字をした若者は、除染作業員として働くために県外から福島県相馬市にやってきたという。そして、空き家の表土剥ぎ取り作業を行っていたときに鼻血を出して倒れてしまった。
除染作業員は放射線管理手帳で被曝放射線量を厳重に管理されている。働ける日数は最大で四十五日というルールもあった。
すべては除染作業員の健康を害さないためだったが、お金欲しさに個人情報や経歴を誤魔化して、雇う業者を変えては除染作業を繰り返す人間も少なくなかった。
雇い主である地元土木工事会社の経営者は、天羽をそんな人間の一人だと疑った。
放射線被曝から急性白血病になった人間を出してしまったら大手ゼネコンから下請け仕事が回ってこなくなる。
そんな不安から経営者は大慌てで慶葉大学仙台病院の救命救急センターに天羽を運んできたらしい。
鎮目は医師でありながら「命を粗末にするような人間は勝手に死ねばいい」という考えを持っていた。
しかし、入院している天羽はどうみても貧困層の若者だった。つまり、社会的弱者だ。
弱者が生きるためにやむを得ず除染作業をした結果、急性白血病になってしまう。
国や大企業が自分たちの失敗の尻拭いを押しつけたせいで、弱者に健康被害が生じるなどという悲劇は断じてあってはならない。
鎮目はそんな考えも持っていた。だから、天羽の急性白血病の疑いが晴れて安堵していた。
鼻血を出して倒れた原因はおそらく、日射病か過労から来る貧血だったのだろう。天羽はすぐもとの生活に戻れるはずだ。
続いて、鎮目は天羽から採取した白血球の画像データをパソコンソフトで開いた。
白血球の形状に異常がないか、未発達なものが増えていないか目視で調べる作業だ。
天羽がモニターを凝視する。トラックボールを操作して明暗を調節したり画像を拡大したりしていた鎮目の手が急に止まった。
なんだこれ? ……ナチュラルキラー細胞か?
天羽の白血球のうち、おそらくナチュラルキラー細胞であろう細胞が変わった形状をしていた。通常より一回り大きく、表面の形質も若干異なった。
ナチュラルキラー細胞は文字どおり生まれつきの殺し屋で、人間の全身をパトロールしながらガン細胞などを見つけ次第に攻撃する役割を持ったリンパ球だ。
人間が生まれながらに備える体の防衛機構で重要な役割を担い、毎日どこかで発生しているガン細胞や異常細胞の増殖をすぐ抑え込んでくれている。
ところが、このナチュラルキラー細胞は加齢やストレスに非常に影響されやすく、その数を減らしたり攻撃力が極めて弱くなったりすることで、初動の役割を全うできなくなることがある。
ナチュラルキラー細胞が処理しきれない異常細胞が残ってしまう。これがガン発症の大きなきっかけとなっているのだ。
その大事なナチュラルキラー細胞が通常の人間のそれとは大きく異なっている。
見慣れない形状だ。しかし、鎮目にとっては初めて見る形状ではなかった。
鎮目にはこのナチュラルキラー細胞を以前にも見た記憶があった。だからこそ、これがナチュラルキラー細胞だと分かったのだ。
朧気な記憶を頼りに、鎮目は医学論文データベースにキーワードを打ち込む。
ナチュラルキラー細胞、スペース、ガン、スペース、……そして、さい帯血。
三つの単語で絞り込んでも、十件以上の候補が出てきた。
インパクトの強い内容に対して自分の関心度が低かったのは仙台に異動させられたあとに発表された論文だったからだ。だから、あの論文を目にしたのは今から六年ほど前だろう。
二〇一一年から二〇一三年。
発表時期まで絞り込むと、ヒットした論文は一つだけになった。
『さい帯血から作成したナチュラルキラー細胞でガン死滅を確認』
これだ。
論文の概要には、人のへその緒にあるさい帯血をもとに作成したナチュラルキラー細胞がガン細胞の中に入り込んで内部から死滅させた、と記載されていた。
発表したのは中国地方にある森元生物化学研究所で、発表年は二〇一二年だ。
鎮目が見出しをクリックすると本文が開いた。
――このナチュラルキラー細胞と現象は同研究所が世界で初めて発見。へその緒の英語訳「Umbilical Cord」と、変則、例外、矛盾、逸脱の意味を持つ「ANomaly」から「UCAN」と名付けた。
――人のガン細胞とUCANを混ぜたところ、UCANがガン細胞に近づき、侵入。その後、約二~四時間で徐々にUCANが死滅し始め、同時にガン細胞の生存率も低下した。死滅したUCANから細胞を死に至らせる物質が漏れ、ガン細胞の構造を壊すのが原因とみられる。正常な細胞には侵入しなかった。
――今後はUCANを元にした新たなガン治療法の開発が期待される。
論文はそう結ばれていた。
「ユーキャン……」
鎮目は天羽のナチュラルキラー細胞の画像と論文にあったUCANの画像を拡大して見比べた。
画像編集ソフトで画像データを重ねるとその姿がピタリと一致した。
鎮目が睨んだとおり、その形状は瓜二つだった。
鎮目は二〇一八年になってもこの治療法が世間で話題になっていないことが気になった。
新たなガン治療法は開発されなかったのか?
鎮目は疑問の答えを探してキーボードを叩いた。
森元生物化学研究所の名前をネット検索すると、新聞系ニュースサイトの古い記事が引っかかった。
記事によると、森元生物化学研究所は二〇一三年に倒産していた。
UCANの論文を発表して研究開発資金を投資家から集められるだけ集めた直後の倒産だったために、投資詐欺や計画倒産が疑われていたが真偽は不明のようだ。
次に、この論文を発表した研究者・近藤富雄の名前を検索すると、研究所が倒産したのちに自宅で首をくくって自殺したという記事が出てきた。
UCANの作成は他の研究機関や研究者では一度も再現できず、医学界はUCANの論文が詐欺目的の捏造だったと結論付けたという。
近藤は医学界に対する抗議で自殺したと、記事を書いた記者は推測していた。
鎮目はイスに体を深く沈めて考え込んだ。
昔にあったガンの特効薬を示唆する論文。その鍵となる特異なナチュラルキラー細胞とそっくりな細胞を持った人間を自分が偶然に発見してしまった。
そしてさらに、その論文を書いた研究者はもうこの世に存在しない。
鎮目は今朝テレビを観ていたときの自問をもう一度思い浮かべた。
――医者にとっての悲願は一体なんだろうか?
そして、自答する。
それはガンの特効薬だ。この俺が人類の悲願を最初に実現させた研究者になるのだ。
鎮目はスマートホンを取り出した。
鎮目には疎遠になった人間の番号を削除するクセがあったが、電話帳にその番号は残っていた。
鎮目は汗ばんだ手で発信ボタンを押す。
しばらく鳴らし続けるとようやく相手が出た。
「……誰かと思ったら。久しぶりだね、鎮目くん」
懐かしくて、とても忌ま忌ましい声だった。
「ご無沙汰しています。嘉山病院長」
特異なナチュラルキラー細胞を持った人間の存在を、鎮目はこの世でもっとも憎んだ人間に報告した。