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1-1




 ──扉に手をかける。ドアノブがついているのに押しても引いても開かない。魔法で鍵をかけられているらしく、こちら側からは開かなかった。肩で大きく息を吐く。色々と思い出したは良いのだけれど拐かされて、その上閉じ込められてしまった。赤いカーテンを開いて窓から外を眺めれば禍々しい色をした空と底の見えない闇が見えて体が震えカーテンを閉める


 どうにも出来ずに赤銅色の革張りのソファーに腰を下ろした。ふと思い出すのはあの時居合わせた男の人。旅人のような身なりで、まだ年若く今の私とほとんど変わらなさそうだった。青年はあの時必死に助ける事を誓ってくれた



「時間はかかるだろうけど……待ってみようかしら」



 彼の事はよく知らないけれど待ってみようかしら。国には父や母、多くの兵士達がいる。実のところ私は帝王学を始めとした学問、王族の風格を身に付けるための礼儀作法等は学んではいるものの身を守る術は持っていない。前の人生でもなかった

 私の出来る事はなさそう。大人しく待つことにした。手始めにテーブルの上の果物に目をやる。色艶の良い果物に自ずと手が伸びた。手軽に食べられるバナナを選んだ。房から一本もぎ取り剥いていく。手は困惑したように躊躇うけれど、頭では当たり前の一連の作業として処理していた。普段ならスライスしてお皿に並べた物をフォークで食べるのに、かぶりついてしまう。程良く柔らかい実を噛めば甘みがじわりと広がって、心なしか心も落ち着かせた



(やっぱり不思議な気分だわ)



 ついさっき家族に見守られて終わりを迎えたと思ったのに、お姫様として暮らした日々が確かにある。はっきりと今と前の出来事を思い出せる以上、本当に前世と今世なのね


 驚きはしたものの、今生きている以上精一杯生きるしかなさそうだしやるしかないわ。とは言ってもやっぱり待っているくらいしか出来ないので。普段の何倍の時間もかけてバナナを食べた。二本目に手を伸ばし無心に近い形で減らしていく。部屋の中が静まり返っているのもあり自分の咀嚼音が大きいかのように感じる。甘さから三本目には手が伸びなかった。お腹も満足で、ある程度落ち着いたので万々歳でしょう


 席を立ってぐるりと一渡り眺める。最初は豪華さにしか目がいかなかった部屋を今度はきちんと見てみる事にした。家具は最低限。生活に必要なものは揃っている。生理現象も解決出来るし、シャワーだとか洗浄も出来る。でも洋箪笥の中は空っぽで、よくよく見てみれば部屋の隅や家具のところどころに目立たない汚れや劣化があった。元々誰かが住んでいたのかも知れない。しばらくの間は過ごしていけそうだわ。お城で過ごしていた時と比べれば大きく違うけれど


 部屋を見て回った私はもう一度扉の前に立つ。ドア自体は木製の一般的なもの。念の為もう一度ドアノブを下げて押してみる。全く動かない。扉に耳を宛てて外の様子を探ってみる。話し声も物音も聞こえなかった



 ──見張りはいないのかしら……?



 ひとまず待つと決めたはずなのにフッと「もしかして頑張れば出られるんじゃ……?」なんて考えが降ってくる。頭を振って浮かんで来た考えを隅へと追いやった

 ソファーへと戻って落ちるように座る。跳ね返されて少し浮いてから戻り、落ち着いた

 待つのって結構退屈ね、なんて。口に出しかけて喉で押し留めた。国の皆は私を心配して一刻も早く助けようとしてくれているに違いないのだから。退屈だなんて罰が当たるわ




◇◆◇




「──……あ……私、寝てたのね……」



 あまりにすることがなくて、いつの間にかソファーで眠ってしまっていたみたい。横たわっていた体を起こす。カーテンを開けて外を見てみる。変わりない濃厚な色にカーテンを閉めた。これでは時間がわからない。前世ではあちらこちらに時計があったけど今世では一般的には太陽の位置を見るか教会の鐘で知るかの二択。高価な品で持っているのは富裕層か教会

 そしてこの部屋にも時計がない。太陽は見えないし、教会の鐘は聞こえて来そうにない。前世では時間を確認する癖があった。それは時計がないとわかっていても。むしろ時計がないからこそ気になるのかも知れない


 実際閉じ込められてからどのくらい経ったのかわからないというのは不安。王城での正餐と夕食の時間に近付いた時の空腹、眠気で大体の時間はわかるかしら。日付はわからなくなりそうだから日記か目印か何かつけた方がいいかもしれない

 外は暗く、中は魔法灯ランプで明るいから眠る時間については少し不安だけれど。さっき眠ってしまったのも本当は夜だったのかもしれないと考えてしまう



「……いけない」



 今の状況を考えて言い知れぬ恐怖心が湧いてきた。慌てて振り払う。とりあえず待つにしても王国の状況が知りたいわ。何とか知れないかしら

 そう思って顧みて、今初めて気がつく。テーブルの上に眠る前にはなかったはずの物があった



「あら……?」



 お皿の上でドーンと存在感を放っているのは丸々一匹の魚だった。焦げ目がついている――焼き魚。ご飯はもらえると安心するべきなのかしら。見たところ魚以外はなさそう。他のおかずもなければナイフもフォークも箸も串さえもない。処理した様子はないから内臓は避けたいのに

 ──捕まっている立場で贅沢よね



(でもせめて塩は欲しい……)



 記憶から白米とお味噌汁とたくあんと組み合わせたくなってしまう。焼魚ということがあり前世での食事が恋しくなりながらも出来る限り諸々の部分は食べないようにして食べて洗面所に向かった。手掴みで食べざるを得なかったため、皮や脂がついていて手が気持ち悪い。石鹸はないので出てくるぬるい水でひたすら擦り落とす。皮はとれても脂はなかなか落ちない。むしろ広がっているような気にすらなる。仕方なくタオルで拭い取った


 洗面場から出るといつの間にか扉が開いていて足が止まる。扉の前にはリザードマンが佇んでいた。何をしに来たのかとまじまじと見ていると視界の端で何かが揺れた

 すぐに視点を下げると向こう側が透けて見える青い生き物――スライムがいた。スライムは最下級のモンスターとして有名で、私も実際に何度か見たことがある。リザードマンとは反対で、非好戦的で大人しいモンスター。スライムの出現で少し胸を撫で下ろす。リザードマンのように好戦的なモンスターじゃなくて良かった

 スライムは私が食べられなくて残した魚の部分に覆い被さった。中心に取り込んだ魚は溶けていき、やがて消えてなくなった。お話や本では見聞きしたけれど実際に見るのは初めてでつい釘付けになって見てしまった。リザードマンがテーブルに近寄って、皿を回収して出て行こうとする。それにドレスの裾を持ち上げて駆け寄った



「あのっ! わたくしはここで何をすれば良いのですか?」

「あ? ここに籠ってめそめそ泣いてろ。騒ぎはすんなよ」

わたくしを拐かしたからには何か理由があるのではないですか? 望みは何なのですか?」



 ──心臓がバクバクと速く脈打ってる。言ってから殺されるのではと考えて体が震えそうになった



「……その内嫌でもわかる。せいぜい泣き喚いてろ」



 バタン、と扉が閉められる。リザードマンは腰の剣に手をかけることはなかった。リザードマンがいなくなった途端に膝が震えだして崩れて座り込んだ

 姫としての立場、ここでの知識。わたくしを私が認識し理解し混ざり合うまでの間には無知であんな態度をとれたけれど、あの時に死んでもおかしくないのよね。今後は気をつけないと。特に好戦的なモンスターには



「ぷ?」

「……あら?」



 座り込んだ私の近くにはスライムがいた。リザードマンに置いていかれてしまったみたい。人とかだと首を横に傾けているかのような。そんな風に見えた。今までが今までだったからそれを見て肩から一気に力が抜ける



「置いていかれてしまったの?」

「ぷ! あけ、られる!」



 ポンポンとボールが弾むように弾んで扉に近付いて、ドアノブに張り付いた。ドアノブが下がり、私がどれだけしても開かなかった扉があっさりと、徐ろに開いた。今は魔法の鍵は解かれているのかしら



「あいた、あいた!」



 スライムは下に落ち、その場で跳ねる。何だか無性に前世の時の孫を思い出してスライムの上の部分を撫でた。ぷにぷにとしていて気持ちが良くて何度も撫でてしまう。スライムは嫌がらず、飛び跳ねもしない。胸の中に温かい気持ちが広がっていく。スライムって皆こんな感じなのかしら。こんな状況だから和むわ



 ──あ、そうだわ



「ねぇ、何か私の国の事知らない? 助けが向かってるという噂とか……」

「しらない!」

「そう……」



 ──当然と言えば当然よね


 スライムは最下級モンスター。知能もそんなに高くない。知っているとしたらもっと上。もしくは情報が確定した時とか。現段階じゃ難しいわよね

 スライムから手を離すとスライムは反対側のドアノブに張り付いてドアを閉めていった。いなくなってしまったスライムに一抹の寂しさを抱いた

 念の為ドアノブを押したり引いたりしてみたけれどビクともしなかった




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