「ぷぎゃ!」
「ん?」
何か踏み上げたように車体が傾いたのと同時に声がして、目を開けた。
すっきりとまではいかないけれど眠れた気がするわ。陽の光の方を見れば二人の姿が見えた。馬車は止まっているみたい。ブラッド様が武器を片手に御者席から降りているのを目にする。気になって私も降りた。
ブラッド様は剣を持ってしゃがんで車輪を見ている。それを後ろから覗き込んだ。何かが車輪の下敷きになっているみたい。
「これを轢いたのか」
「おはようございます。何が……?」
「ああ。どうやら」
「あ……あ、ア」
よく見えないへばりついている何かがプルプルと震えだした。声もする。ブラッド様が後退して離れていく。起き抜けでややぼうっとしていたけれどやおらに緊張感がやってくる。動いていて、声がする。生き物なんだわ。
「アリーー!!」
「えっ⁉」
私も下がった方がいいかと思い半身を少しだけ下げたのと同時だった。呼ばれ慣れた呼び方をされて、車輪の下敷きになっていた生き物が飛んできた。少しひんやりとしていて、お餅のような柔らかい感触。覚えのある感触。それに何より、私にその呼び方をする相手は現時点では限られている。
「す……スーちゃん?」
「ありー、ありーしやあぁ! 捜した。ボク、すごく捜した!」
「あの時確かにお別れしたのに……追い掛けてきてしまったの?」
「アリー、迷子、大変! 見つけた! 良かった! アリー……アリー……!」
子供がワンワンと泣いているような錯覚に陥る。
そうだわ、小さい頃のあの子が泣いていた。離れたくないって。嬉しいけど、申し訳無い気持ちと、どうすればいいかわからないという気持ちになった事。
時々振り返っては笑って話すような良い思い出だけれど、 今はその事が重なってしまう
──突き放せない。
スーちゃんの事を想えば色々と思うところはあるのに。連れて行った方が良いと考えてしまうわ。お友達だとかの元にいた方がいいと思うけれど、また別れたら追ってきてしまいそうだし。
「……仕方、ないわね」
「アリー、無事? 元気?」
頬にくっついていたスーちゃんの体をそっと剥がして、いつものように両手の手の平の上に乗せ視界によく映る位置へと調整する。
「ええ。スーちゃんに会えたから元気よ」
「元気ー!」
嬉しそうに手の上でぴょんぴょんと跳ね始めた。なんだか懐かしい気持ちになる。
「それじゃあ……一緒に行く? 今度ははぐれないように」
「一緒? アリーと一緒に行くー!」
無邪気に言って、スーちゃんは肩へと跳び乗った。嬉しそうなスーちゃんに私まで嬉しくなってくる。
肩に乗っているのを視界の端で何度も確認してから馬車の方を振り返った。馬車に戻ると眉間に皺を寄せた商人さんが訝しげな目をして見ていた。
「おい……そいつぁモンスターだろ? アンタは……人間、だよな?」
「ええ。けれどスーちゃんは良い子よ」
「イイコって……モンスターはモンスターだろ? そいつを乗せるわけにはいかねぇ。乗せるってんならここで降りていってくれ」
「…………」
私はスーちゃんと過ごしてきたから多少なりともどんなコかはわかる。けれど他の人は違う。かといってこの子をもう置いてはいけない。それなら仕方ないわよね。
「わかりました。乗せていっていただいている身です。私はここで降ります。おいくら?」
ここまでの代金を払って後は歩くしかないわね。今がどの位置かはわからないけれど、一晩眠れたし幾らかは進めたはずだわ。
支払いのため残っているお金を取り出したところで、ブラッド様が近付いてきた。横に退くと間へと入る。武器はもうしまっているようだった。
「待て。もう森が見えている。せめて森を抜けてから降ろすべきではないか?」
「モンスター付きで? 荷に何かありゃ意味が……」
「こんなところで降ろすのも人としてどうかと思ってな」
言われて先を見渡してみれば遠くに緑色が横に広がっているのが見えた。目線を下げれば商人さんが渋面でこちらを見ている。私というよりは肩にいるスーちゃんだろうけれど。当のスーちゃんはよく分かっていないみたいでその場で体を広げてくつろいでいた。
溜め息を吐いて視線を逸らした。積み荷の方を見て、首の裏を掻いている。
「……わかったよ。乗りな」
不承不承ながら商人さんはそう言った。何がどうなったのか一瞬わからずに呆けてしまった。
──乗せていただける、のよね?
「よろしいのですか?」
「……確かに森の近くで放っておいて何かあったら目覚めが悪いんでな。そいつを見張っておいてくれよ」
「……あの、商人さんのお名前は?」
「あ? テッドだが」
「テッド様、不安にさせて申し訳ありません。ありがとうございます。ブラッド様も。お心遣いありがとうございます」
商人さん──テッド様とブラッド様に頭を下げて礼をする。
「……あいよ」
テッド様はもう一度溜め息を吐いたけれど、心なしか眉間の皺が和らいだ気がした。
ご厚意に甘えて再び馬車へと乗り込んだ。後からブラッド様も御者台に座り、再び馬車は動き出した