律たちは自宅からやや離れた、市民公園の隅にあるベンチで休息をとっていた。木製のベンチに腰掛けた律は、意図して深い呼吸を繰り返している。木陰に位置するそこは冷たい風が吹き抜け、彼の
彼らが廃工場へ足を運ぶのは目下見送ることとなっていた。
律が、いきなり廃工場へ向かうのは避けたいと申し出たからだ。精神的にはもちろん、一年以上引きこもった自分には体力的にも不安がある、もしもあのときと同じような状況に陥ったとき、落ち着いて対応できるようにしておきたい、と。その目には怯えや恐れも含まれていたが、それ以上の真剣さがあった。
律は筋トレや柔軟、スクワットを定期的に行っており、引きこもりにしては引き締まった身体をしていたが、確かに全体的なスタミナ不足は否めなかった。
そこで皐月は、まず体力づくりを兼ねて、外出の際にウォーキングやジョギングを行うことを提案したのだった。広い市民公園は、体力づくりの場としてぴったりだった。
今日はその初日である。念入りに準備運動をしてから、律たちはウォーキングを始めた。
律はやや大きめのジャージを上下に着用していた。三十分程度歩いただけで全身からじっとりと汗が吹き出し、体力の衰えを感じる。しかし皐月とともにウォーキングやジョギングをすることで、これから体力がついていくことを思うと少し楽しみに感じていた。
皐月も律に合わせて自身の服装を変えていた。黒い丸首シャツに、ピッタリとした黒いスポーツレギンス、その上にグレーのショートパンツを履いている。身体のラインが普段よりも出る服装に、律は目のやり場に困った。
しかし皐月が言うには、律の深層心理が反映された結果だという。むきになって否定するのも逆効果だと直感的に理解した律は、「こういう格好をさせたいと思ってたんだ」とにやつく皐月に何も言い返さず、赤い顔のままウォーキングを始めたのだった。
幾分か息の整った律は、隣に腰掛ける皐月を感慨深げに眺めていた。視線に気づいた皐月が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「なあに?
「そ、そんなんじゃない」
律は慌てて視線を逸らし、言い訳をするように言った。
「ただ、見れば見るほど妄想には思えないなって」
「それはそうよ。律くんにとっては私は『現実』なんだから。説明したはずよ?」
物分かりの悪い生徒に言い聞かせるように口を尖らせる皐月。
「わかってるさ……。いや、わかったつもりで、わかっていなかったのかもしれないな」
自分には妄想と現実が区別できない、その事実が経験として律の中へ染み込んでいった。だが、不思議と恐怖や焦りは無かった。『妄想』が皐月の形をしていたから受け入れることができたのかもしれないと律は思った。
「でも、いいのか? 皐月さんは『更生』を一刻も早く進めたいのかと思ってた」
機嫌を探るように言う律に、皐月は苦笑する。
「急がば回れ。時間は無限じゃないけど、それだけの準備が必要だときみは判断したのでしょう? 私は基本的にきみの意見を尊重するわ。単に
真剣な表情で頷く律。皐月は満足そうに笑った。
「それに、別にあの場所じゃなくても『更生』は進められるのよ」
律は、意味深に微笑む皐月の視線が自分に向けられていないことに気づいた。
皐月は律の肩越しに、その背後を見ていた。律は、皐月の視線に導かれるように、ゆっくりと振り返った。
ベンチの周囲は木陰を作り出すほどの樹木が立ち並んでいる。
大人が抱えるようにしても両の手が触れ合わない幹の樹木は、その枝も太く、力強いものを持っている。人一人程度であれば、悠々と支えられるほどに。
その