キリシアの町で皿うどんを食ってから1か月ほど経った頃。
季節はそろそろ夏を迎えようとしている。
また、私の中で風来坊の虫がうずうずし始めた。
昼の天津飯を食べ終え、ふと、
「そろそろ旅に出るか…」
とつぶやく。
「にゃ?」(どこへじゃ?)
と聞かれるが、いつもの通り行先なんて決めていない。
「さて、どこに行こうか?」
と答える私に、いつもどおりチェルシーが、
「にゃぁ…」(風来坊よのう)
と、ため息交じりにそう言った。
そうと決まればさっそく準備に取り掛かる。
市場に寄ってなくなった調味料をそろえ、古くなった道具を新調して宿に戻った。
その日は一日荷物の整理をして終わる。
ここ最近よくいく居酒屋で飯を食い、宿に戻ると明日に備えて早めに眠った。
翌日。
なんだかんだで長居したキリシアの町に別れを告げる。
進路はとりあえず東にとった。
東にも大きなダンジョンがあるから、最終的にはそこを目指すつもりだ。
しかし、その途中は大きく回り道をし、各地のギルドをこまめに覗きながら、小さな異常がないかを見て回ろうと思っている。
サクラに跨り、私は、
(さて、東のダンジョンにはいつ着くことやら…)
と思って苦笑いを浮かべた。
ゆっくり前進の合図を出す。
こうして、また私の放浪の旅が始まった。
街道に出て、楽しそうに歩くサクラの背に揺られ、のんびりと進む。
まずは2日ほど先にある宿場町を目指すことにした。
「にゃぁ」(さっさと大きな町に行け…と言いたいところじゃが、こればっかりは仕方ないからのう…)
と言い、蔵の上で丸くなるチェルシーを、
「まぁ、これも賢者の努めってやつさ…」
と言って、慰めるように軽く撫でる。
そして、ご機嫌取りがてら
「次の町に着いたら久しぶりに焼肉にでも行こう」
と提案してみた。
「にゃぁ」(上ミノは必須じゃぞ)
というチェルシーを苦笑いでまた撫で、遠く浮かぶ雲を見る。
なんとなく、
「夏だねぇ…」
とつぶやいた。
「にゃぁ…」
とチェルシーも何事かつぶやく。
私は初夏のきらめく日差しに目を細めながらサクラに「もう少しゆっくり」の合図を出した。
宿場町に入りさっそくギルドに顔を出す。
しかし、例のダンジョンの鎮静化という作業を終えたばかりということもあってか、急を要するような依頼は無かった。
さっそく焼肉屋を探してギルドを出る。
そして、チェルシー待望の上ミノを堪能した後、ゆっくりと休んでまた次の町を目指した。
そんなことを何度か繰り返し、20日ほど経った頃。
小さな村を通りかかる。
その村は街道沿いにある小さな村で、ちょっとした雑貨屋以外に店が見当たらないくらいの、なんとも長閑な農村だった。
共用らしい小さな水場があったので、サクラを止めて水を飲ませてやる。
そこにいたおばちゃんに、
「通りかかりの冒険者だが、最近この付近で変わったことはないか?」
と聞いてみると、案の定、
「特に異常はありませんがねぇ…」
という答えが返って来た。
それでも私は、
「そうか、それはよかったな。しかし、些細なことでもいいんだ、昔と違うと思うことはないか?」
と重ねて聞いてみる。
するとそのおばちゃんは、
「そうですねぇ。私が歳をとった以外に変わったことは…。ああ、そうそう。最近は昔に比べて山菜の量が減りましたね。まぁ、それでも困らないくらい採れてますけどねぇ」
と、冗談を交えつつ、朗らかに笑いながらそう教えてくれた。
私も笑顔で、
「ははは。そうか。平和なものだな。いや、変なことを聞いてすまんかった」
と言いつつ、またサクラに跨る。
そして、村を出て少し行くと、街道を逸れて森の中へと入っていった。
「にゃぁ」(なんじゃ?草が少ないのが気になったのか?)
と言うチェルシーに、
「ああ。たいしたことじゃないと思うが、念のためな」
と答え、自分のおせっかいぶりを思って苦笑いを浮かべる。
そして、
「にゃぁ」(賢者も大変よのう)
とこちらも苦笑いでそういうチェルシーを軽く撫でてやりながら、私は森の中を進んでいった。
やがて、村人が普段出入りしているだろう場所を少し過ぎたところで野営の準備に取り掛かる。
準備が終わるとさっそく調理に取り掛かった。
肉を切り乾燥野菜や米と一緒に炊き上がる。
仕上げにその辺で摘んだ野草を乗せると、意外にちゃんとした炊き込みご飯が完成した。
「にゃ」(いただきます)
と言ってはぐはぐと食べるチェルシーの姿に癒されながら、私もひと口食う。
夏の野草のほのかな苦みがなんとも言えない爽やかさを醸し出し、食欲を刺激してきた。
(即興にしてはなかなかいい出来じゃないか)
と自画自賛しつつ、美味しく食べる。
「にゃぁ」(季節の味じゃな)
とチェルシーが満足そうにそう言った。
「ああ。夏の味だな」
と私も満足げにそう答える。
森のどこかでひぐらしが鳴き、長閑な雰囲気の中でその日は暮れていった。
翌朝。
のんびり日の出を待って森の奥を目指す。
その日、一日進んでみたが、さしたる異常は見られなかった。
(気のせいだったか…)
と思いつつも、念のため明日は半日ほど奥に行って様子を見てみようと考えその日はそこで野営にする。
また炊き込みご飯では芸がないとチェルシーに怒られそうなので、その日はパスタを茹で、ニンニクや香辛料で少しピリ辛にしたトマトソースをかけたものを出した。
翌日。
何事もないことを祈りつつ森の奥を目指す。
しかし、なにやら魔物らしき痕跡を見つけてしまった。
「にゃぁ…」(ゴブリンじゃな…)
とチェルシーがため息交じりにそう言う。
私たちにとっては飽き飽きする状況だ。
しかし、あの平和な村の村人に取ったら一大事だろう。
そう思って私はその痕跡を丹念に追って行った。
やがて、巣らしき場所を発見する。
数は10数匹。
ほんの小さな巣だ。
初心者でも無い限り苦戦なんてしようがない。
私はさっさと群れの中に突っ込み、軽い運動も兼ねて刀を振るった。
右に薙ぎ、返す刀で跳ね上げる。
踏ん張って反転し袈裟懸け。
突き、また横なぎと繰り返しているとあっと言う間にすべてのゴブリンが魔石に変わった。
刀を納め、杖を取って地面に軽く突き立てる。
あの、自分が歳をとった以外には何も変わらないといっていたおばちゃんの顔を思い出し、
(これからも、この村は変わらず平和なままさ…)
という言葉を送りながら、私はその場をゆっくりと鎮静化していった。
「ふぅ…」
と息を吐いて、額の汗を拭う。
(やはり、淀みというか滞りというか…。魔素が溜まっている規模によって消費する魔力が全然違うな…)
と思いつつ、杖を納め、とりあえずその場でお茶を淹れた。
「にゃぁ」(飲み終わったら昼にせい)
というチェルシーを膝の上に乗せ、軽く撫でながらお茶を飲む。
すると、サクラも私の横に来て膝をついた。
その首筋を優しく撫でて、またゆっくりとお茶を飲む。
梢の間からこぼれてくる日差しにも強さを感じる。
「夏だねぇ…」
とつぶやいた。
「ふみゃぁ…」
とチェルシーがあくびをする。
「ぶるる…」
と鳴いて、サクラもうとうとし始めた。
私はそんな2人を起こさないようにそっと立ち上がると、一度大きく背伸びをして、静かに昼の用意を始めた。
ゆっくりとした昼を済ませ、その場を発つ。
2日ほどかけて森を出たが、村には特になんの報告もしなかった。
(それでいい。いや、きっとその方がいいだろう。あの村はこれからもずっと平和なままだ)
と思いながら、再び街道を行く。
夏の日差しに照らされて、青い稲穂がキラキラと輝いていた。
「うにゃぁ…」(暑いのう…)
というチェルシーに、
「夏だからな」
と苦笑いで返す。
サクラは暑いのが気にならないのか、むしろ元気そうに、
「ひひん!」
と鳴いて楽しそうだ。
私はそんな2人をそれぞれに撫でてやって続く道の先を見つめた。
真っ直ぐに続く街道の先にはもくもくとした入道雲がそびえている。
私はそれを見て、
(ああ、綿菓子の機械なら簡単にできるな…)
と思いついた。
(次の宿に着いたら簡単な設計図と仕様書を書かねばな)
と思いつつ、またその雲を眺める。
(さて、明日はいったいどうなることやら)
と、まるで他人事のようなことを思って、苦笑いを浮かべた。
私たちの旅は続く。
大変なこともあるだろう。
しかして、その先にあるのは希望だ。
私はそう確信して、ひとり笑みを浮かべると、サクラに「少し速足」の合図を出して、旅路の先を真っすぐに見つめた。